6000人のユダヤ難民を救った「好ましからざる」男—映画『杉原千畝 スギハラチウネ』チェリン・グラック監督に聞く
[2015.12.04] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL |

「日本のシンドラー」と呼ばれる杉原千畝の半生を描いた映画を監督したのは、ユダヤ人の血をひく父・日系2世の母を持つ日本生まれの米国人だ。チェリン・グラック監督にこの映画に込めた思いを聞いた。

チェリン・グラック

チェリン・グラックCELLIN Gluck1958年3月アメリカ人の父と日系アメリカ人の母の長男として和歌山県に生まれる。1980年に寺山修司監督の『上海異人娼館/チャイナ・ドール』で映画キャリアをスタート。その後、『ブラック・レイン』(1989)、『ラスト・アクション・ヒーロー』(1993)、『コンタクト』(1997)、『タイタンズを忘れない』(2001)、『トランスフォーマー』(2007) などのハリウッド大作で助監督を担当。2009年、『サイドウェイズ』で映画監督デビューを果たす。日本映画では『ローレライ』(2005) でUSユニットの監督、『太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男』(2011) でUSユニットの監督・脚本を担当した。

日本人、ポーランド人のキャストを結ぶ日本生まれの米国人

戦時中、ナチス・ドイツの迫害からリトアニアに逃れてきたユダヤ難民に独断で日本通過ヴィザを発行し、6000人もの命を救った外交官・杉原千畝。戦後、外務省から退職勧告を受けて辞職した彼の存在は日本では長らく忘れられていた。1985年、イスラエル政府から戦時中ユダヤ人を守った功績に対する感謝の称号を贈られた千畝は、その翌年86歳の生涯を閉じた。外務省が千畝の外交官としての「名誉回復」を行ったのは、没後5年を経た1991年のことだ。

映画『杉原千畝 スギハラチウネ』(12月5日公開)は、近年「日本のシンドラー」と呼ばれて再評価されている千畝―海外ではSempoと呼ばれた―のヴィザ発給をめぐる静かな闘いを描いた作品だ。リトアニア・カウナスの領事代理だった杉原千畝を演じる唐沢寿明、妻・幸子役の小雪をはじめとする多彩な日本人キャストに加え、第一線で活躍するポーランド人俳優たちの存在感がドラマに厚みを与えている。ポーランドでのオールロケ撮影を指揮したのは、日本生まれの米国人、チェリン・グラック監督だ。

ユダヤ系米国人の父と日系米国人の母の間に生まれたグラック監督の多文化的背景、複眼的視点が、この映画の“隠れた主役”といえるかもしれない。

「スーパーヒーロー」ではない1人の男の静かな決断

グラック監督がこの作品で描きたかったのは、いわゆる「スーパーヒーロー」や「偉大な日本人」の物語ではなく、1人の人間が重要な判断を迫られたときの決断の過程だ。

千畝とシンドラーを比較するべきではないと語るチェリン・グラック監督。

「 “Extraordinary things happen to ordinary people.” ―というように、普通の人に尋常ではない事態が起こり、それに対応していく過程で初めてヒーローが生まれるのです」と監督は語る。「千畝は、その選択が少なくともその時点で自分としては正しいことだと決断した。誰にも誇示することなく、普通に正しいと思ったことをして、その結果、何千人もの命が救われ、その子孫が何万人にも増えた。その結果ヒーローとなったわけです」。

グラック監督自身は、千畝に関して、特に深く知っていたわけではなかった。何年か前に『河豚(フグ)計画』(The Fugu Plan /1930年代に日本で進められたが実現しなかったユダヤ難民の移住計画)という本の中で、千畝に関する言及があったときも、「これがよくいわれる“日本のシンドラー”という人かと思った」程度だったという。

だが、今では「シンドラーと千畝を比べるべきではない」と力を込める。スティーヴン・スピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』(1993年)で世界的に知られるオスカー・シンドラーは、「自分の工場にいる人を救った。身近な人を救ったシンドラーと見知らぬ人たちを救った千畝は違う」と。

「ペルソナ・ノン・グラータ」にこめた意味

その一方で、グラック監督は、「千畝」のような人は世界のいろいろな場所に存在したと指摘もする。「ウイーンにいた中国の領事、マルセイユにいたアメリカの領事も、多くのユダヤ人を救っています」。

監督は映画の英語タイトル「Persona Non Grata(ペルソナ・ノン・グラータ)」(好ましからざる人物)に強いこだわりをみせる。千畝はその諜報活動によって、ソ連側から「Persona Non Grata」の指定を受けて入国を拒否され、在モスクワ日本大使館へ赴任できなくなる。「軽蔑されて締め出された経験」を持たなければ、排外される人間の気持ちはわからない、という思いと、戦時下で千畝のような行動をした人は他にもいたという思いを込めているからだ。

この複眼的視点が、映画のコアな場面で過剰な演出を避けるというグラック監督の基本的スタンスにつながるのかもしれない。また、それは千畝を演じる唐沢の意向でもあった。

1940年、リトアニアはソ連に併合され、各国の大使館・領事館は続々と閉鎖されていた。ユダヤ難民たちは、シベリア鉄道で極東まで進み、日本へ渡って米国などへ脱出するしか逃亡ルートがなかった。そのため、日本の在カウナス領事館へ難民が殺到した。すでに領事館閉鎖の勧告をソ連から受けていた千畝だが、閉鎖までの約1カ月間、そして閉鎖後もリトアニア出国の直前まで、千畝はヴィザを発給し続けた。領事館のスタッフも一緒になって淡々と事務作業を続ける描写は、抑制がきいているからこそ胸に迫る。

杉原千畝役の唐沢寿明と共に、ポーランド人俳優たちが存在感ある演技をみせる。【左上】日本領事館運転手として雇われ、千畝の諜報活動を支えるポーランド政府のスパイ、ペシュ役のボリス・シッツ/【右上】在カウナス日本領事館職員のドイツ系リトアニア人グッジェ役のツェザリ・ウカシェヴィチ。 ©2015「杉原千畝 スギハラチウネ」製作委員会

10月にはリトアニア・カウナスでワールドプレミア上映を行い、上映後は5分におよぶスタンディングオベーションが起こるほど熱狂的な反応だった。「“どうしてカウナスで撮らなかったの、カウナスに見えない”と(観客の)おばあちゃんに怒られた」と監督は笑うが、映画文化の歴史が根付くポーランドで撮影できて恵まれていた、と語る。「千畝が救ったといわれる大半の難民はポーランド人でした。だからポーランドで撮影してポーランドの素晴らしい役者を使えたことは本当によかった」。

2015年10月、作品の舞台であるリトアニア・カウナスでのワールドプレミア上映は大盛況だった。

杉原千畝がリトアニアを去る前に滞在していたメトロポリスホテル前に立つ唐沢寿明、小雪、グラック監督。1940年8月末、千畝は領事館でのヴィザ発給終了後、このホテルでヴィザに代わる渡航許可証を発給した。 ©2015「杉原千畝 スギハラチウネ」製作委員会

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