バルセロナ都市計画に携わる建築家 吉村有司

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日本を飛び出し、バルセロナで建築家として活躍すること15年。これまでバルセロナの公的機関の職員として、様々な都市計画に携わってきた吉村有司氏に、バルセロナでの仕事の大変さや今後の抱負について語ってもらった。

吉村 有司 YOSHIMURA Yūji

1977年愛知県生まれ。建築家。2000年中部大学建築学科卒業。2001年よりバルセロナ在住。バルセロナ現代文化センター、バルセロナ都市生態学庁、カタルーニャ先進交通センター勤務などを経て、現在laboratory urban DECODE共同代表、マサチューセッツ工科大学SENSEable City Lab Research Affiliate。主なプロジェクトに、バルセロナ市グラシア地区歩行者計画、バルセロナ市バス路線変更計画など多数。近年は、クレジットカードの行動履歴を使った歩行者回遊分析手法の開発や、Bluetoothセンサーを用いたルーヴル美術館来館者調査など、ビッグデータを用いた歩行者分析の分野で世界的な注目を浴びる。「地中海ブログ」で、ヨーロッパの社会や文化について発信している。

社会や文化を知らずに飛び込んだバルセロナ

——吉村さんは名古屋のご出身ですが、2001年にバルセロナに行かれたきっかけは?

吉村有司  バルセロナに行ったのは偶然です。私は建築家ですので、最終目的は自分の事務所を立ち上げることで、その前に尊敬する建築家のもとで学びたいと思いました。その建築家がたまたまバルセロナ在住のスペイン人で、彼に働きたいとメールしたところ受け入れてくれました。

その当時スペイン語はまったく分からず、英語で通用するだろうと思い、言語の問題は全く気にしていませんでした。3カ月もすれば慣れるだろうと楽観的に考えていました。

——バルセロナはカタルーニャ州の州都でもあり、スペイン語とともにカタルーニャ語が話されます。

吉村  当初、スペイン語とカタルーニャ語の違いも分からず、なぜ街中の道標が二つの言語で表記されているのか不思議に思っていました。バルセロナの文化や社会の実情も知らずに行ったからです。

——にもかかわらず、後にバルセロナ都市生態学庁(バルセロナ市役所)やカタルーニャ先進交通センター(カタルーニャ州政府)で、文化や社会を知らなくてはできないような都市交通の統制プロジェクトなどに携わります。

吉村  最初はたまたま行ったバルセロナに興味もなかったのですが、住んでいるうちに、ここは良い都市だと体で実感していきました。食べ物は美味しいし、毎日天気は良いし、住んでみたら面白いところだったというわけです。1年ほどは英語で生活していましたが、ある時点からバルセロナは学ぶに値する都市だと思い始め、この街について勉強してみようということで今に至っています。

とことん話し合い解決するラテン文化

——これまで取り組まれたプロジェクトで特に印象深いものは?

バルセロナ都市生態学庁の吉村氏の席から見える風景。窓の正面にビーチが見える。

吉村  バルセロナに来て間もない頃、バルセロナ都市生態学庁に就職して最初に担当したプロジェクトです。グラシア地区を歩行者空間化するという計画に携わりました。バルセロナ市内北部に位置するグラシア地区は、市内の中でも都市整備が遅れている地区で、車1台通るのがやっとの細い街路に、たくさんの車が入り込み、1日中交通渋滞が発生していました。住民が安心して歩いて暮らせる街路空間に生まれ変わらせようという計画が持ち上がり、私が担当することになったのです。

当時の私は、住民の反対に対してどのようにコミュニケーションをとっていいかさっぱり分からず苦労しました。自分の未熟さ、経験のなさのなせる業ですが、とても印象に残っています。ただ、この計画が実行されて以来、グラシア地区には魅力的なお店がたくさんオープンし始め、それにつれてバルセロナ中から人々が集まるようになり、1、2を争うお洒落な地区に変貌を遂げました。

グラシア歩行者空間プロジェクトの開始前(左)と終了後(右)の街並み

——住民の反対をどのように解消しましたか?

吉村  何よりも話し合うことです。ラテン系の人たちは永遠に話し続けます。例えば、ミーティングが夕方4時に始まる予定だとすると、4時半頃から始まり、2時間の予定でも終わらず夜8時頃になり、お腹が減ったのでバルにでも行こうかとなります。そこでもずっと話して夜中の12時頃まで続くことがよくありました。

単に集まって話し合うだけでは真の住民参加は実現されないかもしれません。しかし、言いたいことをとことん言って、聞きたいことを納得するまで聞く、これがこの社会文化が生んだ地域への参加方法なのだということを知りました。こうした過剰すぎるコミュニケーションから双方の妥協点が見え始めます。妥協の中で今回はこうしようと決まっていくのです。別の新しいプロジェクトで問題点が発生すると、また話し合いで妥協点を見出します。妥協を繰り返すことで対立を乗り越えていくのは、おそらく、ラテン文化の特徴かもしれません。

日本では効率を追求するので、とことんコミュニケーションをとり、長い時間を掛けて双方が妥協しながらも話し合いで解決するということはあまりないように思います。ですからこのラテン文化の全く異なる発想は、私にとって新しい発見でした。

観光都市バルセロナの失敗に学ぶ

——バルセロナは有名な観光都市で、世界中から観光客が来ていますが、今日の講演ではバルセロナの観光における失敗例を取り上げていましたね。(※1)

吉村  はい、今日はわざと失敗についてお話しました。なぜかと言えば、バルセロナは世界中で評価されていて通常成功しか語られませんが、失敗の中にこそ学ぶべきことが多いと私は考えています。私のような内部で携わった人間がきちんと伝えていかなければいけないと思い話しました。

バルセロナの観光における失敗は、観光客の数をとにかく増やすことだけに専念し、街の受け入れ態勢が追いつかなかったことです。観光客が増えすぎたことで、街中にはごみがあふれ、騒音はひどくなりました。ビーチにくりだした観光客がビーチ近くの店に裸で入店するなどモラルの低下も目立つようになりました。また、観光地化が進み過ぎた為に家賃などが高騰し、もともとそのエリアに住んでいた住人が追い出されてしまうジェントリフィケーションは非常に厄介な問題だと言わざるを得ません。

観光客急増の背景にはチープ観光の流行があると思います。例えばロンドンの大学生が格安航空券で週末にバルセロナに観光に来ます。格安航空券だとロンドンとバルセロナ間は片道100円程度で行けます。彼らはバルセロナではお金を使わず、インフラだけ使用して帰って行く。そのような観光客が増えてしまったのです。でも観光はパーソナルな行為なので、「来るな」とは言えませんし、観光は都市収入の重要な財源です。だからこそ、観光客と市民が共存できるようにするための観光マネジメントが必要です。

——日本でも海外からの観光客の増加にともない、民泊による騒音やゴミ出しの問題などが発生していますね。

吉村  まさに、今日の講演のひとつのメッセージは、2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けてです。日本政府が海外からの観光客誘致を行っていますが、ただ増やせばいいというものではなく、来た後のことを考えなければいけません。

——東京も今後そうなるかもしれませんが、バルセロナも移民問題と向き合っていく必要があると思います。スペイン全体でも10~15%の移民を抱えていると思いますが。

吉村  今まさに大問題です。バルセロナ圏でみると、移民が集中している地域があり、住民の半分くらいを移民が占めています。そうなると地元の人たちが近寄りにくくなり、分離・隔離という問題になります。

現バルセロナ市長のアダ・コラウ氏は市民活動家の出身で、こういう問題を優先して取り組む方針で、今後改善が期待できるのではないかと思います。

「ITと過疎化は相性が良い」

——日本では地方都市の過疎化が問題になっていますが、研究されている分野をこうした問題に応用はできないでしょうか?

吉村  過疎化に対するITの活用は、今後取り組まなくてはならない一つの軸です。私自身今までボストンやバルセロナという大都市しか住んだことがないのですが、まさにこれから問題になるのが地方の過疎化です。過疎問題に直面している日本の地方都市は、どうやって観光客を増やそうかと必死に考えています。

1992年のバルセロナオリンピック時は開催都市なので観光客が多く来ましたが、その時に周辺の村ではどのような観光対策を採ったかということを調べてみたいと思っています。恐らく、誰もこの調査はやっていないはずです。想像するに、田舎を売りにするなど、カタルーニャの人たちは何らかの対策を行ったのではないかと思うので、それを日本の過疎化問題にも応用できればと思っています。ただその場合にもやはり気を付けなければならないのは、どのように観光客を増やし、それを都市収入に繋げていくかという視点だけではなく、古くからその地に住んでいる人たちと如何に共存を図っていくかという観光マネジメントを同時に考えていくことだと思います。

——東京では高齢者の介護施設が不足し、地方に移す話も出ています。また、ITに明るい若者たちは東京を脱出して私生活の充実をはかれる地方都市に移り住む人たちもいます。今後、街の人口構成が変わり、人の動きも変わってくるかもしれませんね。

吉村  IT、特にビックデータの分析(データサイエンス)などは場所に関係なくデータさえあればいいわけで、Wi-fiはないと困りますが、それさえあれば問題なく仕事はできると思います。それで過疎化の解消につながるなら非常にいいことだと思います。

実は私は毎年夏休みに1カ月間、スペイン北西部ガリシア地方のオウレンセにある人口400人の山奥のペティン村という小さな村で過ごしています。大自然に囲まれた田舎生活で、人間にはそういう時間も必要だと思います。ニワトリの声とともに起き、村に一軒しかないパン屋で熱々のパンを買い、庭で採れた野菜を食べる生活です。こういう所でもWi-fiを使ってデータ解析をするなど、支障なく仕事ができます。スペインでも地方の過疎化は問題になっていますが、そういう意味においてITと過疎化は相性が良いと感じます。

夏休みを過ごすペティン村の風景。鉄柱の上にあるのは、コウノトリの巣。スペインではコウノトリの巣が良く見られる。

2020年東京オリンピック・パラリンピックに貢献したい

——今後取り組みたいことは何ですか?

吉村  2020年の東京オリンピック・パラリンピックに貢献したいです。バルセロナは1992年のオリンピックの際に都市を再活性化させたという世界でも有数のモデルなので、それをきちんと伝え、日本がどのようにすればよいかアドバイスができるようになりたいです。具体的には観光についてです。

先ほど述べたように、日本は観光客を増やすことしか考えていないように見えます。数を増やすことも大事ですが同時にマネジメントを考える、つまり、来た人たちに対して、その先を少し考えながら取り組む必要がある。そういうことを2020年に向けて提案していきたいです。

——今後もバルセロナにお住まいの予定ですか?

吉村  わかりません。現在、バルセロナ、ボストン、日本の3つの拠点を持っていますので、おそらくこの3拠点を巡回することになると思います。これまで様々な世界の都市を見てきましたが、住むにはバルセロナが最高です。

(インタビューは2015年12月21日に行われた。聞き手:日本大学商学部准教授 細田 晴子)

(※1) ^ 「観光MICEとオープンデータ」と題したビジネスセミナーで、吉村氏は「バルセロナの観光産業の光と闇」というテーマで基調講演を行った。

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