丸若裕俊:“日本文化の再生屋”が導くお茶の未来
[2017.11.08]

己を賭した勝負のため伝統工芸の世界へ飛び込み、“日本文化の再生屋”と呼ばれた男。ものづくりから日本茶へ。伝統の継承から再定義へ。渋谷と佐賀、パリを拠点に日本茶で世界へ挑む、破天荒なビジョンの行方とは。

丸若 裕俊

丸若 裕俊MARUWAKA Hirotoshi株式会社丸若屋代表取締役、プロダクトプロデューサー、プロジェクトプランナー。1979年、東京都生まれ。アパレル勤務などを経て、2010年に株式会社丸若屋を設立。日本各地で培われてきた伝統工芸や最先端の工業技術に時代の空気を取り入れて再構築し、新たな提案を行う。2014年、パリにギャラリーショップ「NAKANIWA」をオープン。2017年春には東京・渋谷に茶葉店「幻幻庵」を立ち上げ、世界に向けた“新しい日本茶カルチャー”の発信に取り組んでいる。 幻幻庵:http://www.gengenan.net/ 丸若屋:http://maru-waka.com/

「世界と勝負する」その決意から“日本文化の再生屋”へ

髑髏 お菓子壷 花詰(画像提供:丸若屋)

美しく輝く絹の着物から、陶磁器や漆の塗り椀、畳に障子などの建具に至るまで。日本各地で受け継がれてきた日本の伝統工芸が今、再び注目を集めている。訪日外国人観光客の増加や2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会の開催を追い風に、伝統的な職人の手仕事と現代的なデザインを融合させ、新しい形で“日本らしさ”を表現する取り組みが活発化しているのだ。

丸若裕俊はものづくりプロデューサーとして、こうした流れを決定づけた先駆者の一人。日本全国の工芸産地を飛び回り、職人たちとの協働によって数多くの品々を生み出してきた。

例えば、日本を代表する磁器である九谷焼の窯元(かまもと)・上出長右衛門窯(かみでちょうえもんがま)の六代目・上出惠悟とともに手がけた髑髏(どくろ)型の菓子壺。同窯元と世界的デザイナーのハイメ・アジョンのコラボレーションによる器や、スポーツブランドのプーマから発表された曲げわっぱの弁当箱。そして、鹿革に漆の紋様を施した「印傳(いんでん)」によるiPhoneカバーetc.。最近よく見かける“和テイスト”のデザインとは一線を画した、骨太な印象のものばかりだ。

プーマから発表された曲げわっぱの弁当箱(画像提供:丸若屋)

印傳のiPhoneカバー(画像提供:丸若屋)

10年余りの活動を経て“日本文化の再生屋”と呼ばれるようになった丸若だが、現在の“伝統工芸ブーム”には危機感を抱いているという。

「確かに、日本のものづくりを謳う製品が増えたのは事実です。でも僕には、その少なからずが“雑貨化”しているように映ります。外国人観光客市場を見込んで日本風を装ってはいるものの、およそ本物とはかけ離れたものばかり。人々の“ものを見る目”は衰え、優れた技術に対する正当な評価がなされないまま、産地の経済状況や職人の高齢化は深刻になる一方です」

そう語る丸若自身も一般的な日本の若者の例に漏れず、二十歳過ぎまでは伝統工芸とはほぼ無縁の生活を送っていた。転機が訪れたのは、海外有数の高級カジュアルブランドに勤務しながらストリートアーティストとして活動していた23歳のこと。出張先の石川県で、九谷美術館に展示されていた古九谷の大皿(17世紀)を前に、大きな衝撃を受けた。「自分一人の表現をはるかに凌駕(りょうが)する、こんなにすごいものが日本にはある。これなら世界と勝負できるはずだ」

九谷焼の上出長右衛門窯とハイメ・アジョンのコラボ作品(画像提供:丸若屋)

とはいえ、伝統工芸には何のツテもなかった。熱意だけを頼りに九谷焼の窯元をはじめ、大館曲げわっぱ(秋田県)の職人や越前塗(福井県)の塗師の元などへ足を運び、持ち前の感性で新たな製品企画を提案。地道な努力で信頼関係を築きながら、印傳iPhoneカバーや上出長右衛門窯×ハイメ・アジョンの器を最先端デザインの発信イベント「DESIGNTIDE TOKYO」で発表し高評価を集めるなど、一歩ずつ実績を積み重ねていった。

「世界と勝負する」という決意通り、2014年にはパリ・サンジェルマン地区にギャラリーショップ「NAKANIWA」をオープン。ヨーロッパの一流シェフたちがこぞって訪れる東京・合羽橋の料理道具屋「釜浅商店」取り扱いの包丁や、有田焼の文祥窯(ぶんしょうがま)による白磁の器など、自身の目利きによる製品を次々に展開していった。

この記事につけられたタグ:
  • [2017.11.08]
関連記事
その他のインタビュー

ピックアップ動画

最新の特集

バナーエリア2
  • nippon.comコラム
  • in the news
  • シンポジウム報告