特集 伝統美のモダニズム “Cool Traditions”
温故知新のアーティスト―山口晃

小山 ブリジット(聞き手)【Profile】

[2013.03.15] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية | Русский |

山口晃(あきら)は伝統的な日本画の手法を借りながら、現代美術の最先端を切り開くアーティスト。ポップ感覚あふれる作品は世界からも注目を集めている。その創作の秘密をフランス人の日本美術研究家が解き明かす。
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山口 晃

山口 晃YAMAGUCHI Akira画家。1969年東京生まれ。群馬県桐生市で育つ。東京芸術大学美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了。大和絵や浮世絵を思わせる伝統的な手法を採り入れつつ、時空を自由に混在させ、人物や建築物を緻密に描き込む作風で知られる。2012年11月には平等院養林庵書院に襖絵を奉納。近著に『ヘンな日本美術史』(祥伝社)、『山口晃大画面作品集』(青幻舎)などがある。

東京圖 六本木昼図 / Tokei (Tokyo): Roppongi Hills / 2002 / 紙にペン、水彩 / pen, watercolor on paper / 40×63cm / 撮影:木奥恵三 / photo: Keizo KIOKU / 所蔵:森美術館 / Collection of Mori Art Museum / © YAMAGUCHI Akira, Courtesy Mizuma Art Gallery

 

時空を超えたユニークな幻想世界

小山ブリジット 山口さんの作品を最初に見た時の印象は強烈でした。空から眺めた六本木を描いたものでしたが、そこには天守閣や摩天楼があり、古めかしい和風建築とモダンな高層ビルとがごく自然に共存していました。細部に目を凝らすと都市に暮らす人々が描かれており、サラリーマンもいれば、犬の散歩をする人もいる。江戸時代の町人が高層ビルの窓を拭いていたり、街角で侍がけんかをしたりしている。

一見すると大和絵(※1)風なのですが、現在の六本木の風景にSF的なモチーフが加わり、時空を超えた幻想的な作品です。日本美術の伝統を強く感じるとともに、ポップな印象を受けました。

山口晃 私を日本画出身の画家だと思っている方も多いのですが、実は大学では洋画を学びました。作品も伝統的な日本画の顔料ではなく、西洋画材の油彩や水彩、ペンで描いています。伝統的な日本画の手法を借りて描いていますが、あくまで西洋絵画と出会って以後の日本の現代作家だと思っています。

小山 どうしてこのような絵を描くようになったのですか。

山口 悩みに悩んだ末に現在のスタイルにたどりついたというのが正直なところです。日本の美術界は、欧米の美術を進んだものとしてあがめ、キャッチアップすることをいつの時代にも繰り返してきました。明治期の油彩画や戦後の抽象絵画、コンセプチュアルアート、インスタレーション…、こうした傾向は基本的には現在も変わりません。大学生の時にそんな美術のあり方に疑問を抱き、悩むうちに行き詰ってしまいました。

近代以降の日本の美術史をたどると、西洋の物まねだけでなく、それに対して独自の美学を打ち出していこうとした先人がどんな時代にもいたことが分かりました。しかし野心的な先人たちの努力もむなしく、彼らは美術史の表舞台に登場することなく、“生き埋め”にされてしまいました。このままいけば自分も同じ運命をたどるに違いない…、そうした恐怖で絵が描けなくなってしまいました。

小山 どのようにしてそこから抜け出したのですか。

山口 その頃、展覧会で大和絵と出会い、構図の大胆さに驚きました。「あっ、これだ!」とひらめいて、西欧絵画が日本に入る前の伝統的な日本画に活路を見いだそうと思ったのです。つまり日本美術の「近代化」をもう一度自分自身でやり直してみようと考えたのです。フランスの方にはこうした葛藤がご理解いただけないかもしれませんが…。

日本人が出会ったジャポニスム?

小山 日本の伝統文化には造詣が深かったのですか。

大師橋圖畫(断面図) / Bridge Leading to Daishi (cross-sectional diagram) / 1992 / 紙にペン / pen on paper / 各65 x 50cm / © YAMAGUCHI Akira, Courtesy Mizuma Art Gallery

山口 まったく無知でした。当時、私が実感する日本の建築と言えば、桂離宮ではなく、ツーバイフォーの建売住宅でした。日本の伝統的なイメージと言っても、黒澤明監督の映画ぐらいです。大学の古美術研修で京都や奈良の神社仏閣を巡り、それをきっかけにして浮世絵やびょうぶ絵、絵馬や地獄絵、合戦図など日本の古美術を貪欲に吸収していきました。それは、外国人が未知の日本文化を発見して面白がる感覚に近かったような気がします。

小山 19世紀後半、フランスの印象派の画家たちは浮世絵などの日本絵画に出会って衝撃を受けました。ジャポニスム(※2)が、ゴッホやモネなどに多大な影響を与えたことは有名です。

当時の印象派の画家たちは、写真技術(※3)が登場してから真に迫った絵を描くことの限界を感じていたようです。いろいろと模索した結果、透視図法(※4)的な描き方とは別の次元での真実らしさを表現していた日本の絵画を発見しました。印象派の苦悩はどこか山口さんに通じるところがあるような気がします。

山口 それは過大評価でしょう。彼らがジャポニスムという前近代的なものを積極的に採り入れて新しい時代を切り開いていったのはその通りだと思います。感心するのは、あれだけの写実帝国を築き上げながら、一小国の美術に目を向けた西欧の感受性の高さです。みずからの屋台骨をぐらぐら揺らしながら方向転換を図った大胆な行動こそ評価すべきです。

鳥瞰図にちりばめられた視点

小山 大好きな作品に、三越百貨店の鳥瞰図(ちょうかんず)があります。作品には、大和絵の代表的な手法である「洛中洛外図」の手法が採り入れられています。これは、京都の名所旧跡やそこに暮らす人々の風俗を描いた絵画様式です。室町時代後期よりびょうぶ絵として発達して、明治時代までこの手法が受け継がれました。私が最初に見た六本木の作品もこの手法で描かれていました。これらの作品も、近代以前の視点と出会うことで生まれたものですね。

百貨店圖 日本橋三越 / Department Store: Nihonbashi Mitsukoshi / 2004 / 紙にペン、水彩 / pen,watercolor on paper / 59.4 x 84.1 cm / 所蔵:株式会社三越伊勢丹 / Collection of Isetan Mitsukoshi Ltd. / © YAMAGUCHI Akira, Courtesy Mizuma Art Gallery

山口 そうです。西洋絵画を学ぶと、どうしても透視図法的な視線で物事を眺めるようになります。そして絵を見る鑑賞者の位置が定まり、構図が構成されます。しかし洛中洛外図では、こうした透徹した視点は設けられていません。グーグルマップのように対象物ごとに視点が設けられ、それが一枚の絵の中に散りばめられています。縮尺にしても同様です。さまざまな縮尺地図がいくつも集まり、その境目を雲で覆って違和感を覚えないようにつなげていきます。

小山 この作品には、平安中期に生まれた「吹抜屋台(ふきぬきやたい)」の手法も使われていますね。屋根や天井を省き、室内の情景を上からのぞき込むようにして描く技法です。この技法を使って、三越に向かう人々や店内の売り場でにぎわう人々が描かれています。そこでは桃山時代から江戸時代、現代の人々が一緒に食事をしたり買い物をしたりして、今にも目の前に飛び出してきそうです。

山口 絵画は、三次元の実物を二次元の中でそう見えるようにする表現方法です。そこにはおのずと「嘘」が入り込みます。写真的な画像上の正確さよりも、見る人の心に何がしかの真実の像を浮かび上がらせることの方が大切だと思っています。

見る者の想像力に委ねる

小山 山口さんの描いた合戦図からは、戦争の悲惨なイメージが全然感じられません。どこかピクニックに出かけるような感じですね。

當卋おばか合戦[部分] / Postmodern Silly Battle / 1999 / カンヴァスに油彩 / oil on canvas / 97x324cm / 撮影:宮島径 / photo: MIYAJIMA Kei / 所蔵:高橋コレクション / Collection of Takahashi Collection / © YAMAGUCHI Akira, Courtesy Mizuma Art Gallery

山口 私には戦争体験がないので、そのイメージをリアルに実感できません。ですから、戦争イメージをあたかも実体験のように伝えてしまうことには抵抗があります。それよりも、最初からこれは「嘘」なんですよと示した上で、戦争の怖さを描きたいのです。その方が、本当の戦争はもっと悲惨なはずだと見た人が思ってくれるような気がするのです。

小山 イメージは押し付けられるよりも、見た者の想像力に委ねられた方がより強いインパクトを与えますからね。

山口 3.11の後で発表した水墨画で描いた東京の鳥瞰図をご覧になって、そこに水没した都市のイメージを見いだした方がいました。震災を意識してこの絵を描いたのではなかったのですが、ご覧になった方の思いがそこに投影されたのだと思います。こうした声を聞くと、都市の普遍的な面も表現できたのだなと少し安堵(あんど)します。都市は、時代を超えたさまざまな人々の記憶の集積によって成り立っているわけですから。

小山 人はどこから来て、どこへ行くのか。山口さんの作品を見る時、そんなことをいつも考えさせられます。日本美術に関心のないフランス人が見ても同じように感じるのではないでしょうか。今度ぜひギメ美術館(※5)など、欧州の目利きたちが集まる場所で山口さんの個展を開催してもらいたいものです。きっと西洋美術史の“大事件”になるはずです。 

Tokio山水(東京圖 2012) [部分] / Tokio Shan shui / Tokyo Landscapes 2012 (detail) / 2012 / キャンバスに水墨 / Japanese ink on canvas / 四曲一双 各162×342cm / a pair of four-panel folding screens / © Nacása & Partners Inc. / Courtesy of Fondation d’entreprise Hermès / © YAMAGUCHI Akira, Courtesy Mizuma Art Gallery

協力=株式会社ミヅマアートギャラリー
ポートレイト写真撮影=川井聡

(タイトル写真=最後の晩餐2008 カンヴァスに油彩、水彩、墨 80 x 233 cm 撮影:太田拓実 © YAMAGUCHI Akira, Courtesy Mizuma Art Gallery) 

▼images

【Photos】 山口晃の世界

 

(※1)^ 平安時代、中国的な主題を描いた唐絵(からえ)に対して、日本の風景や風俗を描いた絵を大和絵(やまとえ)と呼んだ。鎌倉時代には宋や元から輸入された中国画やその画風にならって制作された新様式の絵画を唐絵と呼ぶようになり、これに対して大和絵は平安時代以来の伝統的な様式の絵画の総称として用いられるようになった。江戸時代の琳派(りんぱ)や浮世絵も大和絵の伝統の上に開花した。

(※2)^ 19世紀後半のフランスで、浮世絵の移入やパリ万国博覧会の出品物によって引き起こされた芸術運動。印象派の画家たちに影響を与えた。

(※3)^ 1826年、フランスのニエプス(1765-1833)がカメラ・オブスキュラを使用した世界初の写真撮影に成功。19世紀後半には、肖像写真が大衆的な人気を博し、多くの画家が写真家に転向した。

(※4)^ 1点を視点として、物体を遠近法によって人間の目に映るのと同じようにして描く画法。

(※5)^ フランスのパリにある国立東洋美術館。リヨンの実業家ギメ(1836-1918)が収集した東洋美術を収蔵。

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  • [2013.03.15]

武蔵大学人文学部教授。パリ生まれ。パリ大学大学院で比較文学博士号を取得。早稲田大学大学院で日本の近代文学を学ぶ。専門は比較文学、美術(ジャポニスム)。著書に、『夢みた日本 エドモン・ド・ゴンクールと林忠正』(平凡社)などがある。

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