「当事者が語るひきこもりの気持ち:林恭子さん」

石崎 森人 (聞き手)【Profile】

[2017.12.05]

「社会的ひきこもり」と呼ばれる人が日本に約100万人いるという。その形態はそれぞれ背景によって異なり千差万別だ。ひきこもりから脱した2人にその経験を語ってもらい、2回に分けてリポートする。1回目は「ひきこもりUX会議」などの中心メンバーで自助会運営や啓発のためのイベントを開催している林恭子さん。2回目は「ヒューマン・スタジオ」を設立し、相談業務や家族会を行っている丸山康彦さん。執筆は、自らもひきこもり状態を経験し、現在は仕事のかたわら『ひきこもり新聞』の編集部員をつとめている石崎森人氏。

林 恭子

林 恭子HAYASHI Kyōko横浜市在住。高2で不登校。20代半ばまでひきこもりを経験。信頼できる精神科医や「ひきこもりについて考える会」での多様な人々との出会いを経て、30代半ばで回復に向かう。現在は、NPOでアルバイトをしながら「ひきこもりUX会議」「新ひきこもりについて考える会」「ヒッキーネット」のメンバーとして活躍している。

高校初日「大学入試まで、あと何百何日」が引き金

——ひきこもったきっかけはさまざまな原因やきっかけの積み重ねだとは思いますが、林さんの場合はどうだったのですか?

林恭子 高校の入学式の日に、校長先生が「大学入試まで、あと何百何日」と言ったんですね。それを聞いて、楽しいだろうと思っていた高校生活が、受験のためだけの場になってしまっていることに非常にショックを受けました。締めつけの厳しい管理教育に対してそれまでも感じていた違和感が身体症状に出て、不登校になりました。その後20代になり、なんとかアルバイトを始めましたが、通勤ラッシュや、寛容さのない同調圧力社会に違和感を持っていました。それを周りに伝えても伝わらず、自分の方がおかしいとされ、だんだん思っていることを言えなくなり、20代半ば頃に限界が来てひきこもりました。

また、管理的で高圧的な母の言う通りに生きていたので、気がつくと「自分」がなかった。だから思春期を迎えた頃、どのように生きたいかという方向性が見えず、自分でも分からなくなったというのもあります。

ほかの人は地上、私は土の中の世界

——ひきこもっていた時のつらさ、苦しさについて教えていただけますか。

 26歳からの2、3年間がもっともつらかったですね。「なぜこんな事になってしまったんだろう。何でこんなにダメな人間なんだ。社会に私の生きる余地はない…」と、起きている間ずっと自分を責めていました。

社会参加していない私をみんなも責めるだろうと思いました。それまで対人関係は苦手ではなかったのですが、怖くて他人と会えなくなるし、だんだん他人との会話も避けるようになりました。

1日2食で、お風呂に入ったり歯磨きができなくなったりする時期もありました。昼すぎに起きて、食べて、排せつをして、呼吸をしているだけの生きる屍(しかばね)。そんな自分に対して、1ミリも価値を見いだせず、生きている意味なんてないと思っていました。

当時は母と戦っていて、母をすごく責めてはいましたけれども、一方でどこに向けていいのか分からない非常に強い怒りのようなものがあり、常に消耗していました。

一般の人から「俺たちだって仕事に行くのつらいんだよ、お前だけじゃないんだ、甘えるな」とよく言われますが、それはあくまで地上の苦しみの話だと思うんです。例えていえば、(社会的)ひきこもりの当事者が住んでいるのは土の中の世界のようなものだと思うんですね。土の中ですから、息もできないし、真っ暗だし、とにかく苦しい。同じことをしても苦しさが全く違います。それは次元の違う世界なので、同列に語ることはできないと思います。ひきこもって、一日中ゴロゴロしたり、ネットやゲームばっかりして楽をしているように見えても、頭の中は一瞬も休まずに、グルグルとずっと自分を責め続けています。本人の心の中はボロボロでクタクタなのです。

どん底での気づき

——ひきこもりから抜け出せたきっかけと、現在に至るまでを教えてください。

 どん底にいた時は、もう(人生を)終わりにしないといけないと思っていました。具体的に実行することも考えましたけど、結局それはしなかった。多分、考えられなくなるほど悩んで、思考が停止したのですよね。そうしたら、ただ命が入っている入れ物としての身体が、少しだけ生きる方を向いたのです。

その後、流れにまかせて少し俯瞰(ふかん)している自分がいたんです。そうしたらどうも私は生きる方を選んだなと、後からぼんやりと思いました。その時が「底つき体験」という、いわゆる自分自身の力ではどうにもならなくなった状態で、そこから少しずつ、もう一回生きていく方に向かっていきました。

もう一つ、その時に精神科医の泉谷閑示先生にカウンセリングを受けていて、先生とのやり取りも支えになりました。他人に話すと「変だ」と言われるようなことを「生き物としては、そっちのほうが正しいんじゃないか」と先生に肯定してもらえた。周りには、(家族を含めて)一人も私の話を理解できる人はいなかったので、泉谷先生が初めて出会えた、言葉の通じる人だったんです。生まれて初めて本当に思っていることを、一つ一つ言葉にしていった。それによって自分を作り直す作業をしたのは大きかったですね。そうして30代に入って、他のひきこもりの経験を持つ、言葉の通じる人たちと出会うようになって、一人じゃないと思えるようになり、非常に勇気づけられました。

そんなある日、突然なぜか今生きていることは私が決めたことではなく、ある意味、生かされているんだと気づいたのです。そうであるならば、自らそれを断つことはせず、終わる時まで、ただ生きれば良いんだ。あまり生きる方向付けはせず、生きる意味を求めて苦しむのではなく、やって来ることを受け入れて生きていこうと思うようになりました。

——生かされているんだと思うようになったと。

 子供の頃から、学校や社会にある、弱い者を踏みつけたり、力のある者だけが理不尽に振る舞ったりすることに激しく怒るタイプだったんです。今でもそういう怒りを持つ気持ちは消えていなくて、エネルギーを取り戻していく中で、誰かのためというよりも、自分のためにも、少しでも、この生きづらい世の中を何とかしたいと思うようになりました。

この10年で、どんどん隙間が無くなって呼吸がしづらい世の中になっていると思います。だからその隙間を少しでも押し広げたいと40代に入ってから思い、幸いその仲間を得ることができたので、「ひきこもりUX会議」などひきこもり自助会の企画・運営などの当事者活動(※1)をやっています。

よく若い人の中にも、他の人の役に立たないから自分には生きる価値がないと言う人がいますが、誰かの役に立たなくても、生命なのだから堂々と生きていて良いはずじゃないですか。たとえどんなにダメな私であっても、この世にいて良いはず。私が生きていて良いならば他の人も同じですよね。

何もできなくても命があることイコール100パーセント肯定。自分に対しても、どんな人に対しても100パーセント肯定と思えるようになりました。

——どうもありがとうございました。

(※1)^ヒッキーネット」「新ひきこもりについて考える会」「ひきこもりUX会議

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  • [2017.12.05]

1983年生まれ。幼い時から生きづらさを抱える。24歳から2年半ほどひきこもる。ひきこもりから脱した経緯や試行錯誤を『不登校新聞』で「ひきこもるキモチ」として連載。現在は家族が起業した会社で社内情報システム、マーケティングや新卒採用の傍ら、「ひきこもりUX会議」や「ひきこもり新聞」の編集部員などの活動をしている。

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