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台湾の「白色テロ」犠牲者に光をあてた日本の舞台人

松田 良孝【Profile】

[2018.09.22]

台湾では、1949~87年の戒厳令下、多くの政治犯がとらわれた。いわゆる「白色テロ」である。この政治弾圧を記録・調査する台湾の国家人権博物館が5月に正式オープンした。国際的にも非難を浴びたこの政治弾圧をめぐり、77年5月、台湾の東隣にある沖縄県与那国島で一つの出来事が起きている。関西圏を中心に活動したシンガーソングライター、小林隆二郎(1946~2015年)が、台湾から逃れてきた男性2人を救出したのだ。このエピソードは音楽仲間を通して大阪の演出家で脚本家、馬場さくら(45)に伝わり、焼身自殺で言論弾圧に抗議した台湾のジャーナリスト、鄭南榕(1947~89年)を主人公とする舞台「七十一日的台湾白百合」として実を結んだ。初演は昨年11月の大阪。今年4月には台湾に上陸し、8月31日には東京公演が行われた。かつて日本側で白色テロの受難者を密かにサポートしてきた線は、40年余りを経て姿を現し、表現の自由に思いを巡らす手掛かりを日台双方に与えている。

台湾から逃れた男性2人の救出劇

1977年の救出劇は、関西を拠点に白色テロの被害者を支援していた米国人のリン・アラン・マイルス(1943~2015年、漢名:梅心怡)と小林が台湾から逃れてきた男性2人を助けたというものである。

全共闘世代の小林は、音楽などで自由な表現を実践する場「ばとこいあ神戸」の立ち上げに関わった人物。韓国の民主化運動や、沖縄の米軍基地問題やサンゴ礁問題で揺れた石垣島白保の新空港問題など沖縄にも関心を寄せていた。

小林隆二郎は大阪市交通局(現・大阪メトロ)で駅員をしながら音楽活動をしていた(千松幸夫氏撮影)

小林が2008年に発表した回想によると、77年5月にマイルスから「小林さんは沖縄に何度も行き、詳しいから私と一緒に与那国島に行ってほしい」と言われ、その月の後半に与那国島へ向かった。

台湾からの2人は40歳ぐらいで、与那国島で最も西に位置する久部良(くぶら)集落に潜んでいた。2人は真夜中に台湾から漁船で与那国島の近くまでやってくると、海に飛び込み、泳いで上陸。腕や脚にはその時にできた擦り傷の跡が残っていた。4人はその後、2人を保護していた島の人たちに礼を言うと、レンタカーで与那国空港へ向かい、島を離れた。

1977年5月に救出劇があった与那国島久部良地区=2009年7月5日、沖縄県与那国町(筆者撮影)

与那国島は戦後、台湾との間を結ぶ定期的な航路も航空路線も開設されたことはないが、いわゆる「密貿易」の拠点だった。国境の島のにぎわいは50年代初頭まで続いたが、その後も細々と人やものが行き来している。琉球政府の税関当局は65年に与那国島で調査を行っており、その報告には「(与那国島の)部落民は外来者に対しては、極度に警戒し、特に台湾漁船のことについては、何をきいてもアイマイで要領を得ず、なかなか口を割ろうとしない」とある。税関当局は与那国島を注視していたわけだ。実際、66年6月には与那国島からの密貿易が台湾北部の淡水で発覚している。

与那国と台湾を結ぶ糸は細くとも途切れることはなく、期せずして緊急避難の出入り口として作用としたと考えることができそうだ。

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  • [2018.09.22]

石垣島など沖縄と台湾の関係を中心に取材を続ける。1969年生まれ。北海道大学農学部農業経済学科卒。十勝毎日新聞、八重山毎日新聞を経て、2016年7月からフリー。著書に『八重山の台湾人』、『台湾疎開』、『与那国台湾往来記』(いずれも南山舎)、共著に『石垣島で台湾を歩く:もうひとつの沖縄ガイド』(沖縄タイムス社)。第40回新沖縄文学賞受賞作の小説『インターフォン』(同)もある。さいたま市出身。ブログ「台湾沖縄透かし彫り」

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