吹き荒れる外国人ジョッキー旋風の裏(上)

文化

不透明な合否判定

「もしかしたら、日本の競馬はとてつもない宝物を逃してしまったかもしれない」――堀宣行調教師は溜め息まじりにつぶやいた。

「ジョアン・モレイラ騎手、日本中央競馬会(JRA)騎手免許1次試験不合格」の報が伝えられて数日後のことである。ブラジル出身のモレイラ騎手が短期免許で来日する際の身元引受人の一人であり、数々の良血馬を託して結果を出し続け、実際に今回の受験でもその背を押したであろうトップトレーナーは、落胆の色を隠さなかった。

本当なら、こちらが頭を下げてでも来てもらいたい騎手だとも堀師は言う。そんな存在を不合格としたJRAの判断に対して、サークル内外の見方もおおむね厳しい。公正確保をうたうなら、短期免許ならOKで通年免許はダメというのは矛盾ではないか。この10月にはある新人騎手が競走距離を誤認した事象があったが、モレイラ騎手はそれよりも劣るということか。こういう点でこそ、JRAは興行効率を意識したスタンスをとるべきではないか……どれもおそらく正論であり、さまざまな問題を提起したことも確かである。しかし、いずれも決定力を欠くのは、ここでいう免許試験というワードが世間の認識と一定の隔たりがあることを多くの人がうすうす気付き始めたからである。

定員を示してその枠内の上位者を合格とする、合格点を示してそれをクリアした者を合格とする、あるいはそれらをミックスして定員内でかつ合格点をクリアした者を合格とする、試験とはそういうものだと普通は考えられている。しかし、騎手試験に定員など聞いたことがない、筆記試験ではおおむね60点以上(100点満点)という合格基準が設定されてはいても、厳密な得点が発表されることもない。何人もの関係者は「免許試験だと思うから不信感が湧く。いっそ、JRAへの入社試験にしてしまったほうがスッキリするのではないか」と指摘する。なるほど言い得て妙だ。

一方で、安藤勝己騎手(当初は笠松競馬所属)やミルコ・デムーロ騎手(イタリア出身)がそうだったように、外部からの実績者は2度目の受験なら受かるという都市伝説がまことしやかにささやかれている。この秋、某医大が入試において女子や多浪生に不利な操作をしたことが発覚、これを受けて文科省は全国の医大の調査に踏み切った。同様な調査を農水省などが強制力をもってJRAに行ったらどうなるだろう。ほら、1年目は60点以下で2年目は60点超だったのは本当だったでしょ、という結果が果たして示されるのだろうか。興味はあるが、筆者としては、そこは深く探らないのが大人の対応であるような気もする。おそらく、JRAだって本音では忸怩(じくじ)たる思いを抱いているはずだからだ。

超一流ジョッキーが日本を本拠にしたがる理由

さて、ここで、日本に来ている、来ようとしている外国人騎手はなぜそんなに腕達者なのか、なぜ日本を目指すのかを簡単に考えてみよう。

欧米ではアマチュア騎手が無数にいる。もちろん競馬スクールからプロ騎手になる道もある。国によって多少の違いはあるが、彼らが完全実力主義の中でひしめきあい、力のある者だけが這い上がってくる。たとえばイギリスでは毎年200人近い騎手がデビューするが、5年後に生き残るのは一ケタだと言われる。仮にその一ケタに残れたとしても、各国の花形競馬場で乗せてもらえるのはさらに一握り、まして有力馬が常に用意されているのは、さらにさらに一握りだ。仮にそこまで登り詰めたとしても、一度のミス騎乗でオーナーや調教師から専属契約を解除されることもある。

対してJRAの騎手はといえば競馬学校での純粋培養が原則である。直近の5年でデビューした新人は、計20人(年3~6人)にすぎない。ここに競争原理が働いていないとまでは言わないが、外国と比べて、地方競馬と比べてもシビアさの違いはどうしようもない現実だ。先に述べたような壮絶な生き残り戦のすえ、世界的な名声を得ている騎手がそこに襲来したらどうなるか。そんな検証が週末ごとに行われているのが今日の中央競馬の実態と理解しておくほうが、モレイラが、ルメールが……と個別の手腕を分析する以上に端的でわかりやすい。

繰り返しになるが、JRAの環境が甘いと責めるつもりはない。日本の騎手たちだって与えられた状況のなかで一生懸命に腕を磨いている。しかし、今日はパリ、明日はドバイと国境をまたぐような大移動をしながらシーズン中はほぼ毎日レースに騎乗し、結果が出せないときは赤字遠征も珍しくないというのがとりわけヨーロッパの騎手事情だ。そんな彼らの目線に立ってみよう。開催は土日だけ、調教も水木曜日が少し忙しい程度、仮に札幌・小倉間を移動したとしてもその距離は自国の比ではない。まして超高額な賞金が用意されている国があるとしたら……まさに日本の競馬は宝の山に見えるに違いない。

日本の競馬の魅力はそれだけではない。それは運営がしっかりして、ファンの熱意や理解に恵まれ、そして何より馬のレベルが高いことである。土曜の平凡な開催日であろうと、少なくても数万の客が入り、世界中のホースマンが渇望するディープインパクトの仔が信じられないようなタイムで何食わぬ顔で駆け抜けていく。そこでパフォーマンスを披露できるのは騎手冥利に尽きるのではないか。クリストフ・ルメール騎手が真顔で語っていた。「夢は日本の馬で凱旋門賞を勝つことです。近い将来、それがかなうと信じています」、あながちリップサービスとはいえない表情に垣間見えるのは、日本に根を下ろした者の覚悟と誇りだったと言ったら大げさだろうか。

強い騎手の「経済効果」

さて、前述したように、JRAだって本心ではモレイラ騎手を採りたかったことはまず間違いない。こんなファンの声を聞いたことはないだろうか。「単勝オッズ1倍台の馬に乗っていれば、勝ちまくるのも当然だ」

例えば10月の秋華賞で、ルメール騎手は単勝1.3倍の圧倒的な支持を集めたアーモンドアイに騎乗、期待にたがうことなく圧勝してみせた。しかし、「ルメールじゃなかったら、2倍はつけた」という声も聞こえてくる。1倍台の人気馬に乗るから勝つのも事実、しかし、彼らが乗るから1倍台の支持を集めているのもおそらく真実だ。

仮にこのレースにおけるアーモンドアイの単勝オッズは2.0倍が妥当だとする。それが騎手という要素で1.3倍まで買い進まれるためには、ざっくり計算してさらに1億3000万円弱の単勝が売れなくてはならない。現実にはこのような状況がほぼ全レースの全式別で展開されているのだから、その経済効果は莫(ばく)大である。この計算自体は少し強引だが、外国人騎手のカタカナが、ファンが馬券に注ぎこめるための何よりの安心ファクターになっていることはお分かりいただけるだろう。JRAにとっても、黙っていても自らの商品価値を高めてくれるコンテンツが欲しくないわけがないのである。

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バナー写真:第23回秋華賞(GI)。ゴールするクリストフ・ルメール騎乗のアーモンドアイ(右端)=2018年10月14日、京都競馬場[日本中央競馬会(JRA)提供/時事]

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