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吹き荒れる外国人ジョッキー旋風の裏(下)
モレイラ騎手の不合格騒動から見える日本競馬の構造的な不備

田澤 聡【Profile】

[2018.11.22]

このコラムの前半(吹き荒れる外国人ジョッキー旋風の裏[上])で、世界の超一流ジョッキーがなぜ日本の競馬を目指すのかについて触れた。ブラジル出身のジョアン・モレイラ騎手も日本を拠点にしたいと考え、日本中央競馬会(JRA)の通年免許の取得を目指した。しかしまさかの1次試験不合格。競馬関係者の間に釈然としない思いが広がった。当のJRAもモレイラ騎手の商品価値は十分に理解していたはずなのだが……。

ヒエラルキーなき日本競馬

それでもなおJRAは、諸外国とは違って、外国の皆さん、どうぞ自由に乗りにきてくださいと言わないのか。筆者は言えないのだと思っている。それはJRAが日本における最強の競馬主催者であって、頂点の主催者ではない点にある。競走のレベルも賞金も断然なのに、日本競馬の構造として見下ろしたとき、ピラミッドの先端的な役割を果たし得ていないという意味である。

プロ野球でいえば、1軍があり2軍があり、チームによっては3軍が独立リーグと実戦練習を行うこともある。サッカーでいえばJ1リーグがありJ2リーグがあり、2014年にはさらにその下にJ3リーグも発足した。これらはチーム単位の構造図ではあるが、それを構成するのは、それぞれの技量に応じて配された個人(選手)である。

対して、日本の競馬の構造図はどうなっているか。それを語る前に相撲の番付を復習しておくと、あとで理解しやすい。トップリーグが「幕内」、2軍が「十両」、3軍が「幕下」……というイメージでいいだろう。そして力士たちは一部の例外を除いて、最下部リーグ「序の口」からスタート、その後、おのおのの力量に応じて自らのステージを引き上げていき、2軍に上がったところでようやく採算ラインに乗る(それまでは無給)。各リーグは、ステップアップの階段であり、再生を図るための修練の舞台でもある。下がる者がいれば、そのぶん上がる者がいる、場所ごとに壮大な入れ替え戦が繰り返されているのが相撲の世界といっていい。

競馬がこの相撲やほかのスポーツと決定的に違うのは、所属選手(騎手)がそれらのリーグ間を往来することがほとんどない、その一点に尽きると言ってもいいだろう。JRAが幕内、南関東競馬が十両、兵庫県競馬が幕下……馬のレベル、集客力などではそんな番付が確かに存在していて、所属する騎手の収入水準もほぼこれに比例している。ところが、すべてのリーグの主催者が違っていて、ましてJRA(中央競馬)とNAR(地方競馬)は騎手免許の交付主体まで異なっている。つまり、幕内や十両や幕下が、まったく別の組織で相撲をとっているようなものなのである。そう考えなければ、競馬学校を卒業したばかりの新人が、いきなり幕内の華やかな土俵からデビューできる事情が説明できない。

近代競馬となってから、地方競馬からJRAに移籍したのは安藤勝己騎手、戸崎圭太騎手など10人にすぎない。逆にJRAから地方競馬に移籍した例は筆者が知るかぎりゼロである。地方競馬同士では所属の変更例は実は相当な数が見られるのだが、そのほとんどは、たとえば高崎、宇都宮、上山、益田、新潟・三条、中津、荒尾など所属の競馬場が廃止されてしまった騎手が他地区に再就職したケースであって、積極的な意味における、厳密な意味における移籍ではない。ある地方競馬の騎手が酒席で語ってくれた。「せめて南関東の騎手になりたいですよ。でも、移籍するには地元の競馬場がつぶれるのを待つしかありません」。筆者には、とうていジョークには聞こえなかった。

つまり裾野からキャップストーンまでが一本の階段でつながっていないゆえ、JRAは本来的な意味において頂点ではない。それが外国人騎手の参入にどう影響があるのか、少し見えてきた読者もいらっしゃるのではないだろうか。

適正な競争を生む新鮮な「風」と「血」

日本を目指すのは各国で勝ち抜いてきたスターばかり。いわば騎手の大関か横綱だから、いきなり幕内に編入されることに異論を挟む余地は少ない。これを既存の勢力が、実際に声を出しているか否かはともかく、快く思っていないことは想像にかたくない。なにしろJRAの年間レース数は3,456鞍が法的上限、限られたパイの取り合いである。ジョアン・モレイラが通年で乗るようになったら、クリストフ・ルメール、ミルコ・デムーロと合わせてそのうちの500勝は持っていかれるだろう。失われた賞金獲得の機会、そのしわ寄せは将棋倒しのように下へ下へと及び、もっとも下位の騎手などはその存在さえ脅かされかねなくなるのは必定だ。

実力の世界だから仕方ないという意見にも一理ある。だが、前述したように幕内と十両がまったく別の土俵で相撲をとっている。上がってくる者もいないが、下がることもできない。つまり行き場がないということ。JRAは出口でも動脈硬化を抱えていて、これ以上の血、それがどんなに新鮮なものであっても無闇に輸血できないというのが現状と言える。

もちろん、これはJRAだけのせいではなく、日本の競馬が長いあいだ抱えてきた構造的な不備である。もし騎手免許が一本化され、競馬主体の垣根を越えた往来が許されるようになったらどうだろう。たとえば高知、大井と叩き上げてきた騎手がJRAに乗り込んでくるというのは盛り上がる構図だし、不振に陥り、乗り数の少なくなった騎手はいったんステージを下げて自らを見つめ直す手もある。そんな日々の繰り返しの中で、それぞれの騎手は、それぞれの身の丈にあった健全で拮抗(きっこう)した競争の場を得ることになる。

一方、JRAはそのときはじめて、実力のある者だけが集う競馬主体として真のリスペクトを集め、同時に、厳しいがエキサイティングな新陳代謝という自律作用によって適正な騎手のキャパシティーといったものを得ることになるだろう。だから――外国人騎手をスムーズに受け入れられる日がくるかどうかは、そんな風通しのよさを担保できるまでの長い宿題というのが筆者の考え方である。モレイラ騎手の試験、本人には気の毒なことであったが、この一本の木から森を俯瞰する機転や度量があるのか、競馬サークルもその合否が試されることとなった。

バナー写真:第158回天皇賞・秋(GI)の表彰式。レイデオロに騎乗して優勝したクリストフ・ルメール騎手(中央)、日本中央競馬会(JRA)の後藤正幸理事長(左)、俳優の反町隆史さん(右)=2018年10月28日、東京競馬場(時事通信フォト)

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  • [2018.11.22]

昭和生まれの編集者、ライター。競馬の道ひと筋にウン十年。実年齢のわりにキャリアは異常に長く、古い関係者からは「そういえばあの頃、まだ高校生だったものね」と振り返られることもしばしばである。いちばん好きなレースは、かつての「オープン平場」。スターホースたちが午後イチのレースや最終レースに太目残りで出てくるのんびりムードにノスタルジーを感じている。いちばんの悩みは、そういう話が通じる人が少なくなったこと。

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