オスプレイ論議の本質を問う

政治・外交

米軍新型輸送機オスプレイの日本への配備計画に対する日本国内の反発により、日本政府が飛行開始を認めるまで2カ月を要した。反対派の最大の懸念は安全性だが、そもそもこの問題の本質はどこにあるのか。米スティムソン・センターの辰巳由紀主任研究員が論考する。

米海兵隊が沖縄県の普天間飛行場に配備を予定している垂直離着陸輸送機MV-22、いわゆる「オスプレイ」をめぐる日本国内の情勢が日米同盟に影を落としている。9月19日に森本敏防衛大臣と玄葉光一郎外務大臣がオスプレイの日本国内での飛行を認めることを発表したが、7月のヒラリー・クリントン国務長官やアシュトン・カーター国防副長官の訪日、翌8月の森本防衛相訪米などではいずれも、この問題をめぐる議論に会談の多くが費やされ、森本防衛相はオスプレイの試乗も行った。

4月にモロッコで発生したMV-22墜落事故については海兵隊が、6月にフロリダで発生したCV-22墜落事故については空軍が、それぞれ、「事故は機体の構造上の欠陥によるものではない」と結論付ける報告書を発表。8月末には、防衛省も専門委員会による調査に基づき、モロッコでの墜落事故は「事故の原因は人為的ミス」という結論を出した。

結果として、7月23日にオスプレイが試験飛行を行う予定の山口県の岩国飛行場に搬入されてから、日本政府が飛行開始のゴーサインを出すまで2カ月近くかかることになった。そもそも、この問題はどうしてこんなにこじれてしまったのか。本稿ではこれを考えてみたい。

「100%の安全」要求は合理的か

オスプレイ配備に関して唱えられる最大の懸念として「機体の安全性」が挙げられる。確かに、オスプレイは事故が多いイメージが強い。開発・試験飛行中は事故で30余名が命を落とし、「未亡人製造機(widow-maker)」と揶揄(やゆ)された。2001~2005年の間の大規模な再設計・改修を経て、2007年に実戦配備されてからも、事故と無縁なわけではない。冒頭で触れたように2012年に入ってからは4月にモロッコで、6月にはフロリダ州で、死傷者が出る事故が続いている。

ただ、注意しなければいけない点は、一口に「オスプレイ」といっても、現在飛行しているオスプレイには空軍特殊作戦用の「CV」と海兵隊型の「MV」の2種類あり、この二つでは事故率が著しく異なることだ。CVは飛行時間10万時間相当の事故率が13.47件(実際の飛行時間は2012年6月時点で2万2266時間)だが、沖縄に配備される海兵隊型MVの事故率は飛行時間10万時間に対して1.93件とはるかに低い。ちなみに2004年に沖縄国際大学に墜落したCH-53D大型輸送ヘリの事故率は、10万時間あたり4.51である。

さらに考えるべきことは、「安全性」を問題にする場合に、日本側が政府の立場として「100%の安全」を求めるのが合理的かどうかということだ。米国では、軍事・安全保障問題に関する議論の中で「minimize risk(リスクの最小限化)」という言葉がよく使われることからも分かるように、「100%の安全はない」ことを前提に「どうやってリスクを最小限に抑えるか」を考える。要は「リスクを減らす努力は続けながら、事故が起きた場合にきちんと対応できる体制を整えましょう」という考え方だ。

対して日本の場合は、常に「100%の安全」が求められる。さらに、リスク回避のために必要な措置や、万が一事故が発生した場合の手続きなどについても普段からオープンに議論をすることができない。このため、緊急時の措置を事前に吟味したり、責任の所在を明確にするといったことができず、結果的に対応が後手に回ることが多い。人間の行動に「100%の安全」はない。それが確保されなければ反対、という立場は個人の感情としては理解できても、政府の立場として果たして合理的なのか、一考の余地があるだろう。

代替案なき反対の問題点

日本でオスプレイ問題が表面化してからというもの、国政を担う立場の人々の間でも、オスプレイ配備の延期・反対を唱える声が散見されるようになった。実際にオスプレイと隣り合わせで生活することになる地元住民の声を背負っている自治体の首長や県・国会議員はともかくとして、「100%の安全が確保できるまでは反対」「地元の懸念が払拭(ふっしょく)できるまでは配備反対」と発言している人々に対しては、「代替案を示すつもりがあるのか」と問いたい。

そもそも2001~2005年の長期にわたり日米両政府が米軍再編協議を行っていたころ、当時は「軽飛行機」という言葉が用いられていたが、米国ではすでにオスプレイの沖縄配備が検討されていた。だからこそ、米側は普天間代替施設の滑走路の長さにこだわったのだ。さらに2006年、自民党政権下の日本が米国と合意した「米軍再編のためのロードマップ」では、普天間代替施設を2014年には完成させ、その後、基地機能の完全移転を待って、普天間飛行場は閉鎖になるとされていた。辺野古沖の代替施設からの離着陸であれば、万が一墜落事故が起きても海面、最悪でもキャンプ・シュワブの中に墜落し、地元に対するリスクは最小限に抑えられる。

2006年に合意された計画が遅延しながらでも前進していれば、オスプレイが普天間から本格的に運用される期間は最小限で済んだはずだ。ところが、民主党政権に代わり、この米軍再編計画は実質的に白紙に戻ってしまった。鳩山由紀夫政権が9カ月かけて辺野古移設案に逆戻りする間に、「最低でも県外」という公約に喜んだ沖縄県の態度は硬化し、いまや普天間移設問題は打開の糸口が全く見えなくなってしまった。つまり、移設問題をめぐる民主党政権の迷走も、今回の問題がここまでこじれた原因の一つといえる。

日本に米軍装備変更の拒否権なし

もとより、現行の日米安全保障体制の下では、オスプレイ配備のような「米軍装備の機種更新」としての措置を拒む権利は、日本にはない。にもかかわらず、国防総省は、4月と6月の事故調査報告を速やかに日本側の調査団に提供し、なおかつ、日本に配備するオスプレイについては日本政府からオーケーが出るまでは飛行を禁止することにも同意していた。世界の他の地域では、空軍型・海兵隊型いずれのオスプレイも通常通り飛行を続けているのに、である。米側が精いっぱいの誠意を見せていたことの証左だろう。日本政府が今以上の配慮を米国に求めるのは、自らの政権交代による混乱を棚に上げ、とても合理的とはいえない安全感覚を振りかざした無責任な主張でしかない。

また、オスプレイ配備は日本防衛や東アジアで起こり得る有事の事態も念頭に置いた上で計画されている。これに本気で反対するのであれば、オスプレイが予定通りに運用できないことで生じる海兵隊の作戦能力への影響を、自衛隊に補わせなければならない。今の自衛隊が最も強化を必要とする能力の一つが長距離輸送・戦略輸送の分野だが、自らの能力強化のみならず、米軍の任務も一部肩代わりできるほどの強化を目指す場合には、防衛費の増額は避けられないだろう。そこまでやる覚悟が日本の政治にはあるだろうか。

国内メディアの過剰報道に疑問

最後に、ことオスプレイになると、事故発生場所の米国でもほとんどニュースにならないようなトラブルが日本のメディアで大々的に報じられる現象が起こっていることも指摘しておきたい。7月11日と9月6日にノースカロライナ州で発生した緊急着陸に関する報道がその良い例で、いずれの場合も、米国のメディアでは全くといって良いほど話題を集めていない。事故が発生した国ですら注目されないような事故を、まるで深刻な墜落事故が起きたかのように大々的に報じ、いたずらに日本国内で不安をあおるような報道のあり方にも疑問を呈したい。

(2012年9月19日 記、タイトル背景写真=産経新聞社)

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