イグノーベル賞を日本人が10年連続で受賞—そのカギは80年前にあり?

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世の中を笑わせ、考えさせる研究に贈られるイグノーベル賞。日本は常連受賞国で、2007年から10年連続で受賞している。無意味に思える研究でもその後の大発見につながる可能性があるなど、科学研究の発想の自由さと日本人研究者の関係について考察する。

迷路を解く粘菌

「バナナの皮を踏んだら本当にすべるのか?」
「牛のフンからバニラの香り成分を抽出!」

イグノーベル賞はそんな愉快な研究に贈られる賞だ。ノーベル賞のパロディとして1991年に米国の出版社が設立して以来、「人々を笑わせ、考えさせる」ことを審査基準として毎年10件の研究に対して贈られてきた。

実は、これまでの26回の歴史の中で、日本人が受賞していない年は7回しかない。とくに、2007年から16年までは10年連続で受賞。日本はイグノーベル賞常連国なのだ。冒頭で紹介した2つの研究も、日本人研究者が受賞したテーマである。その斬新な発想はどこから生まれるのだろうか。これまでのイグノーベル賞を振り返りながら、発想の源を探ってみる。

08年に認知科学賞を受賞した北海道大学の中垣俊之教授らのグループが研究したのは「粘菌」だ。スライムのようにねばねばした生き物で、何か特別なことができそうには見えない。しかし、粘菌の一種「モジホコリ」は迷路を解けることが中垣教授らによって証明された。とても単純そうな生き物である粘菌が迷路を解いてしまうとは驚きだし、気づいた研究者の発想もすばらしい。いったい、粘菌はどのようにして迷路を解くのだろうか?

餌(中央)に群がる黄色いモジホコリ

粘菌は餌に向かってゆっくりと移動する性質を持っている。また、複数箇所に餌があると、その餌を結ぶように血管に似た管状の構造を作る。管の中には「原形質」というドロドロとした液体が流れていて、血液のように栄養を全体に送り届ける。この管が迷路の答えを示すのだ。

その様子を見てみよう。まず、粘菌が迷路全体に広がるように餌をまく。十分に広がったら、スタートとゴールにだけ餌を残して、残りの餌は取り除く。すると、徐々にスタートとゴールを結ぶ管がつくられる一方、経路以外の場所では組織が移動し、やせ細っていく。その結果、スタートとゴールを結ぶ最短距離が管によって示されるというわけだ。中垣教授らは、このような現象が起こる仕組みを数学と生物学の知見を使って導き出し、新たな学問分野を切り開いたのだ。

粘菌が迷路を解くイメージ図

おしゃべりを黙らせる研究

もう一つ受賞例をご紹介しよう。

2012年、音響学賞を受賞したのは産業技術総合研究所の栗原一貴研究員らのグループ。おしゃべりな人を非暴力的に黙らせる装置「スピーチジャマー」を開発したことが評価された。会議で延々と語り続ける人や、図書館のような静かな場所でおしゃべりをする人の話を「止めたいけど、文句を言ってケンカになったらなあ…」と思ったことが誰にでもあるはず。栗原氏らは、今まで学問的になかなか注目されていなかった日常の不満に目をつけたのだ。

スピーチジャマーは、ある方向からの音だけ録音するマイクと、その方向にのみ音を発するスピーカーが一つになった装置だ。おしゃべりを止めたい人の方向に向けると、その人の声を記録し、少しだけ遅らせてスピーカーから投げ返す。すると、その人は自分の声が奇妙に聞こえるため話しづらくなり、おしゃべりを止めることができるというわけだ。

スピーチジャマー。上部の銀色の筒がマイク、下部の黒い箱がスピーカー

この現象は「聴覚遅延フィードバック」と呼ばれ、古くから知られていた。栗原氏は「おしゃべりを止めたい」という日常的な不満にこの現象を応用することで、平和的に問題を解決するユーモラスな考え方を示すことに成功したのだ。

頭の悪い人が宝物にたどりつく場合も

物理学者・寺田寅彦

イグノーベル賞では、これら2つの例のように、他人が考えたこともないような斬新なアイデアが評価されてきた。それでは、このような発想はいかにして生まれたのだろうか。一言で語るにはあまりにも難しい問いだが、そのヒントを80年前の日本人研究者による随筆にみる事ができる。

随筆の著者は、物理学者の寺田寅彦(1878~1935)。当時の最先端技術であったX線結晶構造解析などの研究で知られる。科学的な視点から日常を眺めた随筆の名手でもあり、その作品は80年たった今でも大学生を中心に読み継がれている。

1933年に書かれた「科学者とあたま」という随筆のなかでは、次のように述べている。

「『科学者になるには“あたま”がよくなくてはいけない。』これは普通世人の口にする一つの命題である。これはある意味では本当だと思われる。しかし、一方でまた『科学者はあたまが悪くなくてはいけない』という命題も、ある意味ではやはり本当である」(※1)

一般に、科学者には明晰(めいせき)な「あたま」が必要であると言われている。複雑に絡み合った自然現象を正確に読み解くには、分析する力が必要だ。しかし、「あたまが悪くなくてはいけない」とはどういうことなのか。寺田寅彦は次のように説明している。

「いわゆる頭のいい人は、云わば脚の早い旅人のようなものである。人より先に人のまだ行かない処へ行き着くことも出来る代りに、途中の道傍(みちばた)あるいはちょっとした脇道にある肝心なものを見落す恐れがある。頭の悪い人、脚ののろい人がずっと後からおくれて来て訳もなくその大事な宝物を拾って行く場合がある」

イグノーベル賞の例として紹介した2つの研究は、この説明にぴったり当てはまる。他人が今まで注目していなかった対象に目を向けた結果、新たな発見・発明を得ることができたのだ。しかし、他人が注目しないということは、重要ではないさまつな研究なのだろうか。寺田寅彦はそうとも限らないと力説する。

「頭のいい学者はまた、何か思い付いた仕事があった場合にでも、その仕事が結果の価値という点から見るとせっかく骨を折っても結局大した重要なものになりそうもないという見込をつけて着手しないで終る場合が多い。しかし頭の悪い学者はそんな見込が立たないために、人からは極めてつまらないと思われる事でも何でも、我武者(がむしゃ)らに仕事に取付いて脇目もふらずに進行して行く。そうしているうちに、初めには予期しなかったような重大な結果に打(ぶ)つかる機会も決して少なくはない。この場合にも頭のいい人は人間の頭の力を買い被って天然の無際涯(むさいがい)な奥行を忘却するのである。科学的研究の結果の価値はそれが現れるまでは大抵誰にも分からない。また、結果が出た時には誰も認めなかった価値が十年百年の後に初めて認められることも珍しくはない」

新発見に発展する可能性

一見するとさまつに見える研究も、地道に研究を積み重ねることで花開くことはよくあることだ。実際、上述した2つの研究もその後発展を続けている。

粘菌が迷路を解くことを発見した中垣教授らは、同じ仕組みを線路や道路といった都市計画に役立てられないかと考えた。餌と餌を結ぶ粘菌の形が、街と街を結ぶ鉄道の形に似ているというわけだ。実際、寒天でつくった日本地図の上で、東京周辺の主要都市にあたる場所に餌を置いて粘菌を育てると、本物の鉄道の地図とよく似た構造ができたという。粘菌が持つ数学的な仕組みを研究することで、新たなシミュレーション手法を開発できるかもしれない。この研究で、中垣教授らは2010年に2回目のイグノーベル賞(交通計画賞)を受賞している。

スピーチジャマーを開発した栗原氏は、積極的なコミュニケーションが苦手な人のための技術を研究する「消極性研究会」を14年に立ち上げた。栗原氏らは、ちょっとした心理的負担(たとえばSNSでの交流疲れ)を減らす技術を「SHYHACK(シャイハック)」と名付け、新たな視点から開発を進めている。この研究会からは「相手にどのように見られるか考えすぎる人のためのパーティ・デザインシステム」など、ユーモアを交えた新たな技術も生まれている。

寺田寅彦の言葉がイグノーベル賞受賞者に直接のインスピレーションを与えた証拠はない。しかし、「科学者とあたま」に象徴される自由闊達(かったつ)な研究環境が、日本の研究者に豊かな想像力を与えてきたことは間違いないだろう。これからどのような「あたまの悪い」研究が私たちを驚かせてくれるのか、楽しみだ。

出典

「寺田寅彦 科学者とあたま」(寺田寅彦著、平凡社、2015)

参考文献

志村幸雄『笑う科学 イグ・ノーベル賞』(PHPサイエンス・ワールド新書、2009年)
綾波書店・△×△×番長『イグノーベル賞ファンブック Vol.9』(綾波書店、2013年)

バナー写真:「股のぞき効果」の研究で、2016年イグノーベル賞を受賞した東山篤規(あつき)・立命館大学教授。同賞を日本人が10年連続で受賞(AP/アフロ)

(※1) ^ 以下、「寺田寅彦 科学者とあたま」(平凡社)より引用。

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