日本のiPS細胞研究:実用化に向け、新成果が続々

科学 技術

京都大学の山中伸弥教授が、ヒトiPS細胞(人工多能性幹細胞)の作製に成功して10年。同細胞を活用した難病治療薬の治験が始まるなど、実際の治療につながる応用研究が着実に前進している。

既存の免疫抑制薬を難病治療に

iPS細胞は、体を構成する様々な種類の細胞(筋肉、骨、心臓、肝臓、血管、神経……)に分化する幹細胞で、ごくわずかな皮膚片や血液などから作り出すことができる。その発見時から、山中氏が、再生医療と並び、臨床応用の柱に掲げていたのが創薬だが、2017年9月から「進行性骨化性線維異形成症」(FOP)という難病に対する治療薬候補の臨床試験(治験)が始まった。iPS細胞を用いて発見した薬の治験は世界で初めて。京都大学iPS細胞研究所(CiRA)の戸口田淳也副所長らがこの研究に取り組んでいる。

FOPは、小児期から発病する遺伝性の難病で、筋肉、腱、靭帯といった全身の線維性結合組織が徐々に骨に変わり、関節を動かせる範囲が狭くなって骨が変形する。物が食べられなくなったり、呼吸に支障を来すようになったりして、死に至ることもある。患者は200万人に1人とまれな病気で、国内に80人程度の患者がいると見られている。原因遺伝子は突き止められているが、有効な治療法はない。国から医療費が助成される指定難病となっている。

戸口田氏らは、患者の細胞から作製したiPS細胞を用いて、FOPの進行を遅らせる治療薬の候補を突き止めた。まず患者の細胞から、iPS細胞を作製することに成功。これを標準的なiPS細胞と比較してみたところ、骨分や軟骨の分化能が著しく高まるなど、FOPの病態が再現されていることを確認、FOPで異常な骨ができるメカニズムを解明した。さらに、このiPS細胞と、様々な化合物との反応を調べる実験を重ね、6800余りの物質の中から免疫抑制薬のラパマイシンに骨化を抑える効果があることを発見した。

この薬は、欧州では臓器移植の拒絶反応を抑えるために用いられ(日本は未承認)、日本では2014年に「リンパ脈管筋腫症」という、やはり希少難病の治療薬として承認されている。既存薬を別の疾患にも適用する手法はドラッグリポジションニング(DR)と呼ばれ、未知の副作用などが少ないために安全性が高いとされる。

今回の治験は、京都大学のほか東京大学、名古屋大学、九州大学の各病院で実施。6歳以上の患者20人を2群に分け、一方の群にラパマイシンを投与して半年間にわたって効果を検証することで、FOPに対する治療薬として承認を目指している。

既存薬のDRは、ヒトでの安全性や薬物動態の試験が済んでいるため、新薬に比べて開発コストを大幅に削減できる。しかし、製薬会社は、患者数の少ない難病では販売しても利益が見込めないなどとして、数千万円単位のコストがかかる治験には手を出しにくい。このため、国の予算で医師主導治験を行い、既存薬の適応拡大を目指していくことになる。

安全性、有効性の試験を容易に

特定の病気の患者から作り出したiPS細胞(疾患特異的iPS細胞)により、その病気に特有の細胞の状態を再現できるようになる。また薬の安全性、有効性の試験を動物実験によらず、そうしたiPS細胞を用いて行うこともできる。

FOP以外でも創薬の期待は広がる。慶應義塾大学の岡野栄之教授らは、筋肉を動かし運動をつかさどる神経が障害を受ける「萎縮性側索硬化症」(ALS)の治療薬候補を見つけており、2018年にも治験を始める予定だ。

岡野氏らはまた、遺伝性難聴の「ペンドレッド症候群」でもラパマイシンが内耳の細胞死を抑える効果を発見している。さらに、慶應義塾大学の福田恵一教授らは、心臓の筋肉が厚くなる遺伝性疾患「肥大型心筋症」に肺高血圧症の既存の治療薬が効果を示すことを見出した。

京大のiPS細胞研究所では、妻木範行教授らが、異常な軟骨細胞が形成されて低身長につながる「軟骨無形成症」と「タナトフォリック骨異形成症」という骨の難病について治療薬候補を見つけた。これは、世界中で幅広く用いられているコレステロール低下薬のスタチンで、骨の成長を回復させる効果があることを確認している。

網膜、心筋など、再生医療も臨床研究の段階に

iPS細胞のもう1つの臨床応用の柱である再生医療では、2013年に理化学研究所の高橋政代プロジェクトリーダーが、iPS細胞から分化させた細胞を用いて目の難病である加齢黄斑変性の臨床研究を開始している。これに続いて、大阪大学の澤芳樹教授(日本再生医療学会理事長)が、iPS細胞から作製した心筋細胞をシート状にして重い心臓病の患者に移植する治験を近く開始する予定だ。これは、テルモ株式会社と共同開発したものだ。

前出の岡野栄之教授(慶応義塾大学)も、iPS細胞から誘導した神経幹細胞を脊髄損傷の患者に移植する準備を進めている。また、京大iPS細胞研究所の高橋淳教授は2017年8月、パーキンソン病について、iPS細胞から作った神経細胞を疾患モデルのサルに移植して、手足の震えなどの症状が軽減したとする研究成果を発表した。ヒトに近い霊長類で初めて確認された効果で、18年度中の治験開始を目指している。

その先には、かけがえのない臓器を丸ごと作り出すという夢もある。澤芳樹教授は30年後の再生医療について、「心臓のような、収縮というシンプルな機能を持つ臓器であれば、臓器を丸ごと作り出すことができるようになっているのではないか」と語る。

山中伸弥教授が所長を務める京大iPS細胞研究所では、拒絶反応の少ない免疫型を持つ人の細胞からiPS細胞を作製して保管する医療用iPS細胞のストック事業が2013年に始まり、17年度中には日本人の30%がカバーできる種類のiPS細胞をストックできるようになる。加齢黄斑変性や心筋シートの臨床研究にも、ここからiPS細胞が供給されている。iPS細胞の基礎研究の牙城として、最大の課題である腫瘍化を防ぐ、細胞の質を高める、様々な臓器の細胞に分化させる、など臨床応用のための多くの課題に向き合っている。

バナー写真:iPS細胞を使った心不全の治療に向けて臨床研究を申請し、記者会見する大阪大学の澤芳樹教授=2017年7月21日、大阪府吹田市(時事)

再生医療 医薬品 iPS細胞