尖閣国有化から5年:漁船衝突事件を振り返って
仙谷由人・元官房長官に聞く(上)

川島 真 (聞き手)【Profile】

[2017.11.15] 他の言語で読む : ENGLISH |

2012年の尖閣諸島国有化と、中国で起きた大規模な反日行動から9月で丸5年。その中国では2期目の習近平政権が始動したが、日中関係はいまだに定期的な首脳協議の場がないなど停滞している。nippon.comは、2010年の尖閣での中国漁船衝突事件の際の官房長官、仙谷由人氏にインタビューし、当時の両国の対応などについて聞いた。

仙谷 由人

仙谷 由人SENGOKU Yoshito元内閣官房長官、弁護士。1946年徳島市生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験に合格し、中退して司法修習生に。弁護士として活動後、1990年に衆議院議員に初当選(社会党)。2014年まで衆院議員を6期務め、09年からの民主党政権では国家戦略担当相、内閣官房長官(10年6月~11年1月)、法相などを務めた。

慣習・慣例を重視する中国

川島 民主党が政権に就いた2009年は、東アジアの国際関係にとって興味深い時期と重なった。リーマンショックの後、中国が世界や東アジアで主導的な役割を目指そうとしていたタイミング。08年12月8日には、尖閣の領海の中に初めて中国公船が入った。尖閣だけを見ても鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦と3人の首相が登場する中で、東シナ海を「友愛の海」にするとの話があり、その後尖閣周辺での漁船の衝突、さらに尖閣「国有化」とダイナミックに展開していった。

この時期の中国の対日姿勢は、やはり日本に「拳を振り上げた」感じだったと見る向きもある一方、中国が08年、09年ごろに尖閣周辺で船を増やしたのは単に魚を追っていったからだと、漁業の問題だったという見方もある。この頃の日中関係、尖閣の問題についてどのように感じているか。

仙谷 中国漁船の海上保安庁巡視船への衝突、中国人船長逮捕という事件は2010年9月に発生したのだが、実は(民主党政権は)それまで、麻生内閣の時代に海保が「逮捕マニュアル」を作っていたとは知らなかった。それは中国の海洋進出に対抗するということを目的化したものではなくて、中国漁船の違法操業をどうやって取り締まるかのマニュアルであるという理解だ。

一方でこの当時、ガス田を巡る争いというのが既にあった。中国は海洋資源に目覚めて、「第1列島線」「第2列島線」ということを言いながら、領海については大陸棚ということを主張し、あたかも沖縄が自国の領土であるかのような主張も出てきていた。

尖閣問題の交渉で、野田内閣が行った国有化への反応を見ると、「共産党が全ての価値を体現できる」という価値観が中国にはあって、条約とか協定とか文字に書いたものでなくても、慣例・慣習となっているルールが絶対だという思い込みの部分もある。法治よりも人治というか、慣習的な統治が尊重されている。

川島 漁船衝突事件で中国側と交渉する中で、「法をもって中国とやり取りする難しさ」を体験されたという印象を持っているか。

仙谷 あの時、中国は「日本の政府が決断、決定すれば、船長を釈放することなどわけないではないか」という立場をとってきた。しかし、日本の場合「逮捕して72時間」までは政府の政治的な判断の余地はあるが、送検されて裁判所が勾留を決定して以降は、行政が「どういう風に扱え」などと関与することは絶対にできない。これを(中国は)分かってくれない。

想定できていなかった「逮捕後の対処」

川島 当時の中国側の不満は、「ああいうケースでは逮捕するのではなく、送り返すのが慣例だった」はずだという批判があったのだが、既に自民党の麻生政権の時に“逮捕する方針”が決まっていたことが問題を複雑にした側面もあるということか。

仙谷 海保が中国漁船の違法操業なりで中国人を逮捕した場合、逮捕後の対処のことまできちんと決めていたかというと、それはそうではなかった。裁判リテラシー、司法リテラシーが役所にも、そして政治家にもなかった。

中国側は領事による接見しかしなかった。そして水面下では(日本政府としては中国の)公使、あるいは大使とは常時接触していた。その中で「釈放を求める手続きというのは、やはり弁護人が付いて弁護人がやらないとうまくいきませんよ」と、そんな説明をしながら先方とやっていた。しかし、ある時から官邸と(中国大使館と)の関係も途絶した。その後はレアアースの問題(対日輸出の事実上の停止)とか、フジタの社員拘束とかが起きた。(中国側の)政治レベルで判断が変わったのだと思う。

中国漁船衝突事件の経過

2010年9月7日 尖閣諸島近海で海保の巡視船に中国漁船が衝突。海保は船長を公務執行妨害容疑で逮捕
9月9日 石垣海上保安部が船長を送検
9月13日 船長以外の船員が帰国
9月14日 民主党代表選挙。菅首相が小沢一郎元代表を破る
9月17日 菅首相が内閣改造。外相に前原誠司氏
9月19日 中国人船長の拘留延長。中国が反発強める
9月21日 中国の温家宝首相がニューヨークで船長の釈放を要求する発言
ニューヨークでの菅・温家宝会談行われず
中国がレアアースの対日輸出を禁止するとの情報
9月23日 中国・石家荘で邦人4人が「スパイ容疑」で取り調べとの情報
ニューヨークで前原外相、クリントン米国務長官が会談。日米安保と尖閣の関係を確認
9月24日 検察首脳会議を経て、船長が釈放される
9月29日 細野豪志衆院議員が訪中し、戴秉国国務委員と会談
10月4日 ブリュッセルでのASEM会合で、菅首相と温家宝首相が非公式に会談する

どこかで折り合いを

川島 菅首相は2010年9月21日、国連総会出席のため訪米した際に、温家宝首相との首脳会談ができなかった。そしてレアアースのことが話題になり、フジタ社員ときて、その後はスーッと解決に向かい、船長は釈放される。あのタイミングというのは…。

仙谷 結局、どこかで折り合いをつけないといけない。世論はこの問題で、強く出れば出るほど支持するけれども、それでは落としどころが分からない。菅首相もどこかで落とすことを考えろと、訪問先の米国から言ってきていた。

それで、(船長の釈放後に)細野君(編集部注:細野豪志衆院議員)に中国に行ってもらった。これは交渉しろということではなくて、情報を取ってきて欲しいと私は細野君に言った。ほとんど情報が取れなくなっていたので。そうしたら細野君は、最後は戴秉国さん(国務委員)まで会わされた。やはりそこ(のレベル)でないと決まらないのだと、そのことが分かった。

細野君は妥協的な話はしないで、きちんとこちらの事情を説明して、戴秉国さんの方も落とすとすればどのような方法があるか、見極めのできる情報を直接得ることができた。そこで中国側が「(日本の)官房長官と直接やろう」という話になったと、こういう経緯だと思う。最後は私が戴秉国さんと電話会談をし、お互いここで「分かった」ということにした。

もし、あの船長を拘留中起訴にすると、また保釈の問題とか、裁判をいつ始めるのかとか、中国側からすると何かアクションを起こさないと格好がつかない。あれだけ国内的に盛り上げているわけだから。

強くなった反中、嫌中気分

7年経ってみると、あの船長が(中国で)英雄扱いされたのは最初の数カ月で、あとは見向きもされなくなった。どこに行ったか分からないという話も聞く(編集部注:巡視船への衝突は政治的なものではなく、酒に酔った船長が暴走した偶発事件との見方が専門家の間では現在一般的になっている)。中国も半分は分かっていたと思うが、結局は振り上げた拳を下せず、日本が譲歩したという形を獲得しないと和解までできないということだったのではないか。

ただ、この事件は民主党やこれに関与した人々にとって、選挙という面をとってもプラスでなかった。さらに2年後の(尖閣)国有化を巡る大デモンストレーションもあり、どうしても日本では反中、嫌中気分が強くなった。

7年前と比べると、中国の人たちの所得は現在、倍ぐらいになっているのだろう。円安もあって、多くの中国人が日本を訪れている。迎える日本の小売業者なり、観光関連の企業はもちろん経済的に潤ってはいる。だが、国民の間では相反する感情も腹の底ではあるのではないか。

(インタビューは2017年10月26日に行った)

構成:nippon.com編集部
写真:川本 聖哉

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  • [2017.11.15]

nippon.com編集企画委員会委員長。東京大学大学院総合文化研究科教授。専門はアジア政治外交史、中国外交史。1968年東京都生まれ。92年東京外国語大学外国語学部中国語学科卒業。97年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学後、博士(文学)。北海道大学法学部助教授を経て現職。

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