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「不信」よりも「無関心」:問われる日本のメディアの在り方

林 香里【Profile】

[2018.03.27]

「フェイク(偽)ニュース」という言葉が世界的な流行語になり、同時にメディアやネットの情報に対する不信感が高まっている。だが、日本ではメディアへの「不信」よりも「無関心」がまん延すると筆者は指摘。その背景には、世間の空気を忖度(そんたく)してあからさまな衝突を避け、狭い枠の中で競争しつつも、日本社会を統合してきた伝統メディアの在り方がある。その一方で、一部の新聞では党派性を強く打ち出す傾向が目立ってきた。日本のメディア社会の特殊性と課題を考察する。

近年、フェイスブックやツイッターなどネット経由で「フェイクニュース」が拡散され、民主主義が機能するために必要な市民の政治知識をかく乱している。その動きと同時進行で、トランプ大統領が気に入らないメディアを「フェイクニュース」と罵倒。いまや「フェイクニュース」は社会の流行語になり、メディアの情報に対する信頼が揺らぎ、世界的に「メディア不信」は高まるばかりに見える。

日本でも、同様に「メディア不信」という言葉をよく聞く。しかし、それは他の欧米諸国の「メディア不信」状況とは、やや異なる。どこが異なるのか。また、共通の傾向もあるのか。本稿では、日本における「メディア不信」について考えてみたい。なお、この論考の一部は、2017年に出版した拙著『メディア不信 何が問われているのか』に基づいている。

世間の空気に「忖度」するメディア

オックスフォード大学ロイター・ジャーナリズム研究所(以下、ロイター・ジャーナリズム研究所)の2017年の報告書では、メディア不信を生む根底には、当該国における根深い政治の分極化と、その分極した意見に依拠する伝統メディアの報道の偏りがあると分析している。つまり、さまざまな話題を巡って、政治論争がイデオロギー化し、激化するのと引き換えに、メディア不信も高まっているというのだ。

この結論に日本のメディアをなぞらえてみると、日本の伝統メディアの報道スタイルは、一部を除けば、いずれも抑制的で中立を意識し、あえて物議を醸すものは少ない。かねて欧米メディアからは「何が言いたいのか分からない」、あるいは「政府の発表そのままの報道」として、退屈さを批判されてもきた。

日本も、実は論争的テーマには事欠かない。被差別部落問題、在日韓国・朝鮮人に対する差別、原子力エネルギーの利用、歴史認識問題、皇室報道の在り方、死刑の存置など、テーマはいくつもある。しかし、日本のメディアは、あえてこうした問題に論争を挑むというより、むしろ慎重に距離を置く。

2017年、日本では、安倍首相の政治スキャンダルに関連して「忖度(そんたく)」という言葉が「流行語大賞」に選ばれて話題となった。この言葉はヒエラルキーの厳しい日本の政界や官庁の行動様式を表現するのにぴったりの言葉である。そして、まさにこの「忖度」こそ、日本のメディアにも見える行動様式だ。つまり、世間の空気を読み不必要な対立をあおらない、「忖度」する空気が強い。他方で、そうした姿勢はメディアが日本の多数派を代表し、国を統合するという役目を担ってきた姿とも言える。

メディアのおとなしい姿勢が功を奏してか、日本社会では、政治的意見の分極化も表面化していない。従って、先のロイター・ジャーナリズム研究所が指摘するような意味での「メディア不信」は見えにくい。

そんな状況であるから、新聞発行部数は海外に比べてずばぬけて高い。日本新聞協会によると、今でも紙の新聞は毎日4000万部以上発行しているし、NHKの世論調査では、テレビも1日4時間近くの視聴時間を誇っている。

しかし、これが日本のメディアへの「信頼」の証しであるかは、別問題だ。

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  • [2018.03.27]

nippon.com編集企画委員。東京大学大学院情報学環教授。1963年名古屋市生まれ。2001年東大大学院人文社会系研究科より博士号取得 (社会情報学)。ロイター通信東京支局記者、バンベルク大学客員研究員(フンボルト財団)などを経て、2009年9月より現職。公益財団法人東京大学新聞社理事長、ドイツ日本研究所顧問、GCN (Gender and Communication Network)共同代表、放送倫理・番組向上機構(BPO)・放送人権委員会委員。著書に『<オンナ・コドモ>のジャーナリズム』(岩波書店、2011年)、『メディア不信 何が問われているのか』(岩波新書、2017年)など。

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