「国籍」は揺らぎ続ける—世界の潮流から取り残された日本の国籍法

社会

2018年3月、外国籍取得に伴う日本国籍喪失は「違憲」だとして、欧州在住の男性らが提訴。また、昨年の蓮舫議員の二重国籍問題を巡る論議は記憶に新しい。現在の日本の国籍法は、時代の要請に沿うものなのか。歴史的経緯や時代的背景を踏まえ、移民問題を研究する社会学者が検証する。

最近、二重国籍問題や日本国籍喪失を巡る裁判などがニュースになり、日本の国籍の在り方に改めて注目が集まっている。二重国籍は、国際結婚から生まれた子の国籍選択の規定(22歳になるまでに日本国籍を選ぶか否かを決める)に深く関わる。そもそも、日本で最初の国籍法は国際結婚に対応するためのものだった。

19世紀に生まれた「先進的」国籍法

近代日本の国籍法は明治6年(1873年)の太政官布告第103号に始まるといわれる。この布告は外国人と結婚した日本人女性および日本人と結婚した外国人女性の国籍の在り方を決めたものだ。そして、これが最初の国籍法とされるのは、国際結婚をする際に政府に届け出なくてはならない人を国籍上の日本人とみなしていることによる。また、政府の許可が必要な人は最初の全国的戸籍である「壬申(じんしん)戸籍」登載者とした―つまり、戸籍によって国籍が決まるという最初の仕組みでもあったからだ。「国籍法」という名の実定法は明治32年(1899年)に公布・施行されているが、それに先立って近代的な国籍概念が日本に存在したということになる。

興味深いのは、国籍の概念が外国との出会いによって生まれてきたことだ。同じことは国籍法についても言える。明治32年の国籍法は、当時としては極めて先進的だった。その最たるものが国籍離脱を認めていたことだ。19世紀の欧州諸国において、国民は兵役の義務を負っていたし、兵役に就いた国民が他国に帰化(=国籍取得)すると軍事情報が流れる可能性を危惧して、厳しい条件を課すのが普通だった。しかし、日本の国籍法は最初から外国に帰化することを認めていた。しかも、原則として国際結婚した場合に女性が男性と同じ国籍を取得するとしたことで、夫婦同一国籍主義として、結果的に国際結婚のもとで生まれる子どもの国籍も同一とする家族同一国籍主義にもなっていた。

明治の国籍法がこのような仕組みを取ったのは、決して家族の中に迎え入れた外国人を同化しようとしたからではない。欧州での戦争では、国籍が違うために家族同士が銃を突き付け合わねばならない事態もしばしば生じた。その反省を踏まえ、人道的配慮をしたからだ。このように欧州の国籍法よりも人道的に進んでいた背景には、明治政府が幕末期に結ばされた不平等条約の撤廃を最大の政治的課題としていたことがある。日本が文明国であることの証しとして欧州よりも進んだ法体系を持っていることを国籍法で示そうとする思惑が働いていた。

血統主義と二重国籍否定の背景

一方、明治の国籍法は「完全血統主義」を採用していた。生まれた場所によって国籍が決まる生地主義に対し、自国民の子は自国民になる仕組みを血統主義というが、完全血統主義というのはどこで生まれても国民の子は国民になるということだ。筆者が主に研究してきた日系ブラジル人の例を挙げる。かつての日本人移民が集団移住した移住地を「コロニア」というが、コロニアでは長いこと自分たちのコミュニティーを日系社会ではなく「日本社会」と呼んできた。明治の国籍法のもとで生まれたのであれば、外国で生まれても日本人だからだ(正確には日本人の父のもとに生まれた場合のみ。母が日本人でも、外国人と結婚すれば母は夫の国籍と同じになるからその子は外国籍になる)。

この明治の国籍法は実は戦後まで続いている。改定されたのは昭和25年(1950年)。昭和の国籍法になってからは、完全な血統主義ではなく、外国で生まれた場合は一定の手続き(国籍留保の手続き)を取らないと日本国籍を取得することができなくなった。さらに、女性差別撤廃条約への批准を機に、父母両系制になり、国際結婚した日本人女性が日本国籍を子に渡すことができるようになった。このように、われわれが日本人であることもその時々のルール(国籍法)いかんによって変わるものなのだという点に留意したい。

日本が二重国籍を認めないのは、決してナショナリズムに基づくものではない。先にも述べたように欧州で家族が国籍によって引き裂かれる事態を回避し、当事者の立場を考えれば、どこか1カ国が責任を取るほうが望ましいとの考えに基づくものだ。その結果が、家族同一国籍主義だった。人道的配慮によって二重国籍を否定する論理が働いているのだが、当時の国際情勢が前提としてあったことは見逃すべきではない。

仕事のために元の国籍を捨てた移民たち

二重国籍を認めない政策の下で、日本から海外に移民した者の国籍は常に問題となった。特に労働者として移民した段階から次の段階に入る時に問題が顕在化する。つまり、労働者として働いた者が一定の富を蓄えて農場主、あるいは会社の経営者などになる際に、国籍が問題となることが多かった。北米でも、南米でも、自分が広げた農地を守るために日本国籍から米国籍、ブラジル国籍やペルー国籍などを取得した者は多い。

戦後も日本からラテンアメリカへの移民は行われているが、その戦後移民の中にも農地を守るため、または農協や会社で一定の地位を占めるようになったために日本国籍を捨てざるを得なかった人々は多数存在した。ブラジルなどでは20年ほど前から、自身の日本国籍離脱は国籍を捨てる意思の発露ではなく財産を守るためにやむを得ない選択であり、日本国籍を今でも持つと認めてほしいという訴えがあった。

仕事上の理由で国籍を変えざるを得なくなるのは、日本に住む外国人でも同様だ。例えば、鉱業法は外国人が鉱山主になることを禁じているし、外国人は公務員に採用されない。つい数年前までは、日本の外交官と結婚した外国人配偶者が在外勤務に帯同する場合には日本に帰化する必要があった。

各国で二重国籍を認める動き

近年、国籍を巡り、世界的に大きな変化が起きている。多くの国々で二重国籍を許容するようになってきた。例えば、経済協力開発機構(OECD)諸国の圧倒的多数が、今では二重国籍を認めている。

また、海外に出て行った元自国民をつなぎ留めようとする動きも顕著に見られる。1990年代後半のアジア経済危機の際に、韓国はデフォルト(債務不履行)に陥り、国際通貨基金 (IMF) の厳しい管理下に置かれた。この時期(99年)に「在外同胞法」を制定し、国籍を離脱した元自国民の帰国や帰国して滞在する期間中の法的に安定した身分を提供している。この動きの背景には、海外の同胞を自国につなぎ留めることで投資を呼び込もうとする政策的意図がある。メキシコも90年代後半に同様の政策を取り、また外国籍になった者の再帰化を容易にもした。

時代の変化に即した法改正を

こうした動きが20世紀の終わりに生じたのは決して偶然ではない。かつて移民と言えば、移った先に居場所を見つけ、移民先の国の人になっていくものであった。発展途上国から移住先への国際移動の費用が高い時代には、移民が戻ることを想定する必要がなかった。

しかし、いまは事情が違う。移民を多く送り出している国は、どこも急速な経済発展を遂げつつあり、国際航空運賃は30年前と比べると格段に下がった。国際的な人の移動を、貧しい国から豊かな国へという単純な一方通行のみで考えることができなくなった。それと共に、グローバル化し定期的に経済変動が生じる現代にあって、いかにして海外に移民した元自国民を引き続き自国と結び付けるかは、どこの国でも大きな政策課題になっている。二重国籍を認める国が増えているのは、こうした新しい国際関係の反映と見ることもできるだろう。日本が人道的な見地から単一国籍主義を取った時代と、明らかに前提が変わったのだ。

そして、日本が父母両系制に変わらざるを得なかったのも単に女性差別撤廃条約への批准だけが理由ではない。日本の国籍法を作る際に参照した欧米各国が父母両系制に変わってしまっていたが故に、今後、国際結婚がさらに増えてきたときに、日本も世界の潮流に合わせないと不都合が生じることが懸念されたためでもあった。

世界の潮流に日本が追いついていないのは、二重国籍問題だけではない。例えば、欧米では同性婚を認めるのが普通になってしまったし、アジアでもすでに台湾が同性婚を認めるようになっている。同性婚を認めず、同性同士の国際結婚に配偶者ビザが適用されない日本で2人が生活を築こうとすれば、さまざまな不都合が生じる。人の移動が双方向に向かい、絶えず誰かが移動してくる社会を念頭に置くなら、どこかで世界の動きと合わせる必要が生まれる。この必要性を無視するならば、残念ながら日本社会の担い手の一員になろうと他国から移ってくる人はいなくなり、少子高齢化の進む社会から活力は失われるだろう。

(2018年4月17日 記)

バナー写真:上野を歩く人たち(2017年4月10日・東京都台東区/時事)

国際結婚 外国人 国籍 戸籍