ビットバレーから20年:日本のベンチャー村とは

経済・ビジネス

1999年3月にネットエイジ代表の西川潔氏が「ビットバレー構想」を宣言してから、間もなく20年。ネット関連のベンチャー企業がコミュニティを作る先駆けで、ここから日本のネット企業の多くが世に出ていった。ベンチャー企業家と投資家を取り結ぶシステムの変遷と現状について、ヤフーの川邊健太郎副社長、YJキャピタルの堀新一郎社長に聞いた。

川邊 健太郎 KAWABE Kentarō

Zホールディングス株式会社 代表取締役社長・最高経営責任者(CEO)。1974年生まれ。東京都出身。青山学院大学法学部卒。大学在学中の95年、ネットベンチャーの電脳隊を設立。99年、PIMを設立。2000年にヤフーとPIMの合併に伴いヤフー(現・Zホールディングス)入社。「Yahoo!ニュース」などの責任者を経て、12年に副社長、18年にCEOにそれぞれ就任。19年10月から現職。

堀 新一郎 HORI Shin’ichirō

YJキャピタル社長。1977年生まれ。慶應義塾大学卒業後、フューチャーアーキテクトでのシステムエンジニアを経て、ドリームインキュベータで経営コンサルティングおよび日本やアジアでの投資活動に従事。2013年にヤフー入社。YJキャピタル最高執行責任者(COO)などを経て16年から現職。

当初20社ほどが、20年で100倍の規模に

増澤 「ビットバレー」から間もなく20年。ITベンチャーの数はかなり多くなり、そこに従事する人の数も増えた。彼らは渋谷を中心としてコミュニティを作り、いわゆる「ベンチャー村」と呼ばれるようになってきている。日本のベンチャー村がどのようにして始まり、発展していったかを、まず振り返っていただきたい。

川邊 なぜベンチャー村が発生するのか。そこが重要だと思うのだが、実際に参加していた私の経験で言うと、3つぐらいの磁場があると思う。まず、情報交換や仕事のやり取りのために、同じ地域にいるベンチャー企業同士が場をつくり出すケース。2つ目はベンチャーキャピタル(VC)が投資先と出会うために場をつくり出すというもの。これは現在でも多く続いている。3つ目は大学の周辺ではないか。

ビットバレーは①と②の中間のようなものだったと思っている。西川氏のネットエイジもベンチャーだし、われわれも渋谷にいてベンチャー同士でつながった。そこにネットエイジ自体が投資をするようになってきたり、ジャフコなどの投資家が集まってきた。

VC主導の典型はNILS(New Industry Leaders Summit)やIVS(インフィニティ・ベンチャーズ・サミット)。それから派生してICC(Industry Co-Creation)になったり、ビー・ダッシュ(B Dash Ventures)になっている。

大学周辺というのは、古くは工科系大学の周辺に製造業が立地する例もあったのだろうが、ネット関連ではやはりSFC(慶応義塾大学湘南藤沢キャンパス)が出来て、藤沢周辺にそのようなコミュニティが生まれた。その後東大、京大の周辺にもできてきている。

川邊健太郎氏

増澤 現在日本の「ベンチャー村」に参画している人々は、どのくらいの規模か。

 IVSとかビー・ダッシュのイベントには1回で600人から800人が参加する。ただこれらは起業家と大企業関係者、投資家を合わせた数。それらの組織で働いている人たち含めて考えると、数万人の単位でいると思う。

川邊 ビットバレーの最初は20社、30社ほどだった。それが2000社、3000社という規模になっている。

新規事業を生み出すエコシステムに発展

増澤 20年経って、起業家が投資家に転じて新たなベンチャーを育てるという、「エコシステム」とも呼べる循環が出てきたと思うが。

川邊 今は実際に事業をやってEXIT(※1)した人がエンジェル投資家になったり、VCを始めてまたそこに投資したり。あるいは山田進太郎氏(メルカリ会長)が典型的だが、一回起業家でEXITした人がもう一度起業したり、自分のアイデアを公開の場で述べて資金を調達したりと、ベンチャー・コミュニティーは新規事業のインキュベーターになっている。人材調達の場でも役に立っており、「エコシステム」としての形にはなってきたのではないか。

第4回ベンチャー大賞表彰式で安倍晋三首相と記念撮影するメルカリの山田進太郎会長兼CEO(左)=2018年2月26日、首相官邸(時事)

昔は事業をやりたい人は親から金を出してもらうか、銀行から借りるしか手段がなかった。今はリスクマネーでできるようになった。その点は全然違う。

増澤 一方で、日本のベンチャー村は米国と比べるとまだまだ規模が小さい。一桁違う感じだ。

 そこは圧倒的に違う。理由は、未上場と上場企業の差だと思う。東京証券取引所やマザーズに上場しているネット関連企業の時価総額は、それほど大きくない。先輩(先行した企業)がそんなに大きくないので、後輩も大きくならないという構造だ。

川邊 つまりチャレンジャーの数がまだ少ない、チャレンジして成功した会社の時価総額が少ない。結果として投資金額もまだ少ないということ。

 日本と米国企業がターゲットにしている人口の差もある。また、米国はサービスをグローバルに展開できるが、日本発のサービスはほとんどが国内向けに閉じていて、結果として業績も限られてしまう。米国の投資家などは現在、日本を通り越して中国とインド、東南アジアに投資している。

(※1) ^ 新規株式公開(IPO)や合併・買収(M&A)による投資回収

ネットでつながり、リアルも

増澤 IVSにしろICCにしろ、日本におけるVC主導の起業家を対象とするイベント(カンファレンス)は基本的に招待制で、クローズドな、顔見知りの中で回しているような印象も受ける。自分もコミュニティの中に入りたいという起業家たちはどのようにすればいいのか。

堀 ベンチャー村の定義にもよるが、必ずしもクローズドなコミュニティだけではない。今は毎日のように大手町でも六本木でも渋谷でも、スタートアップ関連のイベントが開催されている。ビットコインなり人工知能(AI)なり、モノのインターネット(IoT)、マーケットプレイス、さまざまなものがある。そういう場に足しげく通うことによって、簡単にそのようなコミュニティに入れるのではないか。

ただ、そうはいってもVCが投資を決める際には起業家への信頼、信用、過去のトラックレコード(※2)が重要になる。その際には、知っている人、業界でよく知られている方から紹介された人の方が、ハードルが少し下がるというのはある。

堀新一郎氏

川邊 ネットの上ではいくらでも知り合うことができるのだから、基本は完全オープン。ツイッターを通じてだけで「共同経営者になりませんか」という話が決まることだってある。その中で「リアルに足を運ぶ」という段階や、リアルでクローズな付き合いも出てくる。だから、全体で閉鎖的というのは全くないのではないか。若い人たちは、そのようなコンファレンスに行かなくても、VCにはネットでアクセスできると話す人もいる。

増澤 ということは、日本語という問題がクリアできれば、海外の人も十分日本のベンチャー・コミュニティーに参加できると考えていいか。

川邊 それは問題ないと思う。ただ、東京という極端に大きい都市という特性はあるかもしれない。連日連夜いろんなことが起きているから。それらに足を運べる東京に住んでいて、日本語がある程度できるのならばオープンに参加可能な状態ではないか。

何度でもチャレンジできる環境を

増澤 「顔見知りになるとやりやすい」という点が長所としてあるとすると、日本のベンチャー・コミュニティーがどのようになっていくことを望むか。米国ではPaypalマフィアのような存在があるが、日本でもヤフーをはじめ、今後のベンチャー人材を多く輩出する企業が出てくるのではないかと思うが。

川邊 やはりトラックレコードが蓄積されていくことは重要ではないか。アーリー(起業の初期)であればあるほど、その事業がうまくいくかいかないかは「時の運」である可能性が高いので、事業プランや収支計画は必要だけれども、結局は(投資を決める際に)「人に張る」という要素が強くなる。エコシステムがあるからこそ何度でもチャレンジが出来て、トラックレコードがたまっていって、企業家にしてもVCにしてもエンジェルにしても、それを参考に事業を進めるかどうかの判断ができるようになる。成功の再現性も高くなるのではと思う。

 エコシステムとして米国に比べて遅れている点として、日本では一回起業してEXITして、もう一度起業するというモデルがまだ少ない。今回、山田進太郎氏が間もなく(メルカリを)上場するが、一つのロールモデルになるのではと思う。「STORES.jp」をやっていた光本勇介氏も「バンク」を始めたり新しいことにチャレンジしたりしている。こういう若い方たちが起業したりチャレンジしたりというのが増えると、よりいいコミュニティになっていくのではと思う。

また、片桐孝憲氏の例などは面白い。彼はもともとピクシブというスタートアップの社長をやっていた。このサービスは日本のみならず海外からもとても人気のあるサイトだ。その彼が、突然、DMMという大きな会社にスカウトされ、そこの社長をやることになった。ピクシブも素晴らしいスタートアップだがDMMはネット業界随一の収益規模を誇るといわれる大企業だ。そういったダイナミックな人事、経営をしていく企業が日本ではまだまだ少ない。これらの動きが活発化していけば、産業自体が強くなっていくのではないか。

(※2) ^ IPOやM&AによるEXITがこれまでどのくらいあるかという実績

大きかったVCの存在

増澤 日本のベンチャー・コミュニティで、キーマン的な人物を挙げるとすると。

川邊 最初はやはり西川潔氏。初期の頃は常に、ネットエイジとデジタルガレージがあり、ちょっと違うところにソフトバンクがいて、この3つがインターネット産業の母体だった。西川氏は常に目立った存在だったが、実はデジタルガレージの林郁氏や伊藤穰一氏とかはコミュニティ形成のキーマンだったと思う。さらに、全く自らは関与していないが、コミュニティにすさまじい貢献をしたのが孫正義氏。

途中からはVCが出てきて、NILSは堀義人氏(グロービス・キャピタル・パートナーズ代表パートナー)とかグロービス・キャピタルだし、ここから出た小林雅氏(ICCパートナーズ 代表取締役)とか小野裕史氏(インフィニティ・ベンチャーズLLP共同代表パートナー)とか、B Dashだと渡辺洋行氏(B Dash Ventures代表取締役)。また、その間に若者を信じて一貫して投資を続けてきている松山太河氏(East Venturesパートナー)とか、こういう人たちがコミュニティをつくってきた。松山氏は孫氏がNASDAQジャパンをつくる時にかなり関与しており、ベンチャーがEXITする際の環境整備にも尽力したと思う。

ネットエイジ創業者の西川潔氏(左、2006年撮影)とソフトバンクグループの孫正義社長(時事)

増澤 こう見ると、投資家の存在がかなり大きいようだ。

川邊 成長資金を供給する役割。これは時代もマッチしていた。2000年代に大企業が投資意欲を落としていった中でベンチャーは意欲旺盛だし、ベンチャーはそこそこの資金で事業を回せるので、VCもリーズナブルな投資の対象だったと思う。

 ずっとこの間に投資を続けてきた松山太河氏、JAFCO、グロービス・キャピタル・パートナーズはスタートアップ企業の育成に大きな役割を果たしたのではないか。ネットエイジも含めてだが。

優秀な若い起業家たち

増澤 VCの人たちの後押しで日本のベンチャー村は発展し、そこから出てきた企業家たちが投資家に回って循環が生まれ、雪だるま式に成長するという図式が見て取れるが。

 最近の新しい流れとしては、大学生がインターンとしてスタートアップ企業で働き、卒業を待たずに自分で起業するという例が増えている。

川邊 手法はインターンシップの間に学んでしまっているわけだ。「日本で一番優秀な学生は官僚になり、次は大企業に行く。米国のように優秀層が起業家になるなんてことはない」と昔は言われたが、状況は全く変わってきている。若い起業家は年々優秀になっている。そういう人たちを見ていると、日本のベンチャー村の先行きにはなかなか期待できると思っている。

(インタビューは2018年5月9日、東京・紀尾井町のヤフー本社で行った)

インタビュー写真撮影:川本 聖哉

バナー写真:(左から)聞き手の増澤貞昌氏、川邊健太郎氏、堀新一郎氏。その右側の大きな絵は、Yahoo! JAPAN公開20年を記念して制作された「インターネットの歴史」の絵巻物

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