現代日本政治の動向

日本政治の現状と課題

政治・外交

1990年代以降混迷を繰り返す日本政治。2000年に入ってから、すでに8人目の総理大臣が誕生している。日本政治が機能不全に陥った要因はどこにあるのか。日本を代表する政治学者たちが現代日本政治を俯瞰するシリーズがスタート。

日本の政治を取り巻く閉塞感は強まる一方である。東日本大震災や東京電力福島第一原子力発電所事故などの重大事が生じているにもかかわらず、首相は冷静さを欠き、与党は内閣に協力的とは言い難く、野党は倒閣のために手段を選ばず首相と与党への攻撃を繰り返す。外交は動きをほとんど止めてしまっている。内閣はもちろん、二大政党の双方に対しても有権者の支持率は大きく低下している。野田佳彦内閣の発足が事態を好転させられるかどうかはなお未知数だが、その前途は容易ではないだろう。

こんなはずではなかった、というのが多くの有権者に共通する感覚ではないだろうか。2009年8月の総選挙で民主党が圧倒的な第一党となり政権交代を実現した時点では、鳩山由紀夫政権と民主党に対する期待感は極めて高い水準にあった。政権や民主党を支持しない人々も、政権交代の結果として相当の政策転換が行われることはやむを得ないと考えていたように思われる。しかし実際には、民主党は看板として掲げた多くの政策について行き詰まり、子ども手当など部分的にでも実現させた主要政策に関しても、菅直人内閣末期には撤回に近い状況にまで追い込まれた。政権交代の意味を深く考え込まざるを得ない。

しかし、問題の所在を民主党の準備不足や無能さ、あるいは鳩山や菅といった指導者の資質にのみ求めることは、適切ではないように思われる。日本政治の機能不全は政権交代前の自民党政権末期にも見られたのであり、民主党政権下で深刻化したかもしれないが、新たに生じたわけではない。注目すべきはむしろ、二大政党のどちらが政権を担当しても直面する、より構造的な課題ではないだろうか。

戦後日本政治の基本構造

今日の日本政治が直面する課題について考える出発点として、戦後政治において相対的な安定が確保されていた、自民党単独政権の時期の特徴についてあらためて確認しておこう。

この期間の日本政治には大きく分けて2つの特徴が存在した。1つは、衆議院の参議院に対する実質的な優越が確保されていたことである。憲法は衆議院と参議院にほぼ対等な権限を与え、かつ参議院と内閣の関係は不明瞭である。このため、戦後日本政治には参議院が大きな影響力を行使する可能性が常に潜在していた。しかし、自民党が両院で過半数の議席を確保しているために、議院間の対立は政党内部の対立に局限された。自民党が事前審査を済ませていた内閣提出法案について、国会での審議が参議院側の抵抗で遅れるという事態は例外的であった。ただしその代償として、池田勇人や佐藤栄作といった長期政権を実現した首相たちも、特に人事面では参議院自民党に強い自律性を与えていた。

もうひとつの特徴は、与党である自民党内の意思決定はボトムアップで進められたことである。族議員が活躍する政務調査会の部会を起点に、関係省庁との密接な連携の下、最終的にはいわゆる党人派が居並ぶ総務会での了承に至るまでの政策立案過程は高度に制度化されていた。そこでは、政策面に関心を持つ若手議員の出番が最初にあり、野党ともパイプを持ち政局の読みに優れたヴェテラン議員が党内の不満分子をなだめながら最後の調整を行うという分業が存在していた。

これら2つの特徴の背景に存在していたのは、衆議院の選挙制度が中選挙区制であったことと、首相リーダーシップへの制約が比較的大きい議院内閣制の組み合わせであった。中選挙区制で単独過半数を確保していた自民党は、ほとんどの選挙区から複数の当選者を出していた。それを裏返せば、各選挙区における競争は対野党のみならず、自民党が擁立する別の候補者との間にも存在するということであった。同じ選挙区の自民党候補者は相互に差異化を図らねばならない。この要請は、一方において自民党議員相互間の棲み分けを導き、他方においては党執行部の方針と無関係な自己アピールの継続につながった。分業とボトムアップによる意思決定や派閥の存在は、これらに極めて適合的であった。

首相リーダーシップへの制約も、1つには自民党内の意思決定方式の帰結であったが、それと同時に議院内閣制に関する制度設計から生じたものでもあった。すなわち、首相に直属する官邸スタッフは限られており、かつ各省庁の人事ローテーションに組み込まれていた。しかも、各大臣が所轄する省庁の監督責任を負うという分担管理原則の存在は、首相が閣僚を飛び越えて省庁官僚を使うことを困難にした。首相は、自民党の有力議員である閣僚の補佐を得てはじめて政策を展開できる立場にあり、その面では「同輩中の第一人者」に過ぎなかった戦前の首相の地位との連続性を色濃く残していた。

2つの改革と小泉政権

自民党単独政権下での政治的安定は、次第に国際関係や社会経済の変動に十分応答できなくなっていった。すなわち、1989年の冷戦終結以降、日米同盟と国連中心主義という日本外交の2つの柱はときに整合性を欠くようになり、日本は外交に関して自律的な判断を求められる機会が多くなった。また、社会経済構造も高度経済成長期とは大きく異なるようになり、官僚と協調しながらそれまでの動きの連続線上に将来を想定し、事前規制によって対応するという手法ではうまくいかなくなったのである。ここに、政治構造についても大きな変革を行わねばならないという機運が高まり、1990年代は改革の時代となった。

とりわけ重要だったのが、細川護煕政権期に行われた選挙制度改革と、橋本龍太郎政権期に行われた行政改革による内閣機能強化であった。前者は衆議院の選挙制度を小選挙区比例代表並立制に変えることを柱としていた。重複立候補による復活当選制や小選挙区議席割合の大きさなどから、その効果は小選挙区制のみを導入した場合に近いものとなった。衆議院は二大政党間の競争が中心となり、政党の内部では執行部への集権化傾向が生じたのである。後者は、首相に実質的に直属するスタッフを内閣府や内閣官房に置けるようにし、かつ特命担当大臣を筆頭とする政治任用の余地を広げることで、首相が政策立案の主導権を握ることを可能にするものであった。省庁再編により分担管理原則を弱めたことや閣議の発議権を首相に認めたことと併せて、首相の政治的資源は増大した。首相の権力が大きい、ウェストミンスター型議院内閣制への傾斜を示すものであった。

これら2つの改革の成果を活用して長期政権となったのが、小泉純一郎政権であった。小泉は不利を予想された2001年の総裁選挙において「自民党をぶっつぶす」ことを掲げ、地方組織票を圧倒的に確保することで自民党総裁となり、首相となった。その選出過程は疑似公選的な要素を持っていた。就任後にも総裁としての権力を積極的に行使し、党内で彼に対抗しようとするライヴァルたちを「抵抗勢力」と呼んで排除の対象と位置づけた。2005年の総選挙において、郵政民営化法案に反対票を投じた自民党候補者から公認を剥奪し、いわゆる「刺客」候補を擁立したのはその典型であった。また、首相としての権力も活用した。内閣府特命担当大臣に登用した経済学者の竹中平蔵を中心に、経済財政諮問会議を舞台として経済政策の大胆な転換を図ったことは記憶に新しい。

例外としての参議院

小泉は1990年代の改革の成果として「強い首相」となったが、それ以外にも2つの無視できない要因が小泉政権期には存在したことも指摘すべきであろう。1つは、政権の全期間を通じて参議院で与党が過半数を占めていたことである。自民党は1989年選挙以降、参議院では単独で過半数の議席を確保したことがないが、公明党との連立によって2007年までは衆議院と参議院の双方で多数派となっていた。単独政権の時期と同じく、両院で過半数の議席を得ていれば、両院間の対立は与党内の調整問題となる。小泉は、衆議院からの閣僚人事や政策課題の決定においてはトップダウンの手法を徹底したが、青木幹雄ら参議院自民党幹部には人事面での自律性を認め、それによって調整問題を解決していた。

しかし、2007年選挙で民主党が参議院第一党となり、自民党と公明党を合わせても過半数に達しない、いわゆる「ねじれ国会」が生じたことは、両院間の対立と与野党間の対立の重合につながった。憲法の規定上、参議院には内閣との信任関係が存在せず、いわば議院内閣制の例外として位置づけられている。にもかかわらず参議院は、衆議院とほぼ対等の権限、「良識の府」を標榜する第二院としての道義的な権威、および公選議院としての民主主義的正統性という、総合的には相矛盾する要素を巧みに使い分けて、大きな影響力を得ることができる。このような特徴は、与党が両院で多数派となることにより長年封印されてきたが、「ねじれ国会」の下で表出してきたのであった。

日本国憲法は議院内閣制を明確に採用している。議院内閣制とは、下院である衆議院多数派の意思によって首相が選出され、内閣は下院に対して責任を負う制度である。その例外である参議院が、衆議院多数派や内閣の意思を完全に否定できるというのは、本来的には統治機構の欠陥であり、多用すれば日本政治は憲法的危機に陥る。しかし、参議院第一党となった民主党はそのような認識を持たず、政権と与党に対抗する手段として参議院を徹底活用した。安倍晋三、福田康夫両政権が短命に終わった大きな理由は、参議院での多数派形成にめどが立たないためであった。そして、2009年の政権交代後には民主党が与党として同じ問題に直面することになった。衆議院で300議席を超える圧倒的な多数を占めながら、参議院で過半数に達していないために小政党との連立を当初から選択せざるを得なかった民主党は、政策面でこれら小政党への譲歩を重ねた。さらに、2010年参議院選挙では与党の議席がさらに減少して再び「ねじれ国会」となり、未だに安定的な多数派形成ができていない。そのことが震災対応などに大きな影響を与えていることも否定できない。

過渡期にある政党組織

小泉長期政権を支えた、そしてその後確保されなくなったもう1つの要因は、与党執行部からの徹底した首相への忠誠である。現在の選挙制度では、公認や政治資金配分の権限を一手に握る幹事長ポストの重みが圧倒的である。その幹事長ポストには、小泉政権期には首相が個人的に親しい議員か相対的に若手の議員が就いて、首相を忠実に支えるという傾向を強めた。安倍政権以降の自民党は、政治家としては比較的キャリアの短い総裁が多く、幹事長は総裁と対等に近づいているように思われる。総裁と幹事長の対等化という構図は派閥政治全盛期のあり方に近いが、決定的な違いは、かつては例えば総務会長などに就いていた、首相就任を目指していない調整型の政治家が見当たらないことである。

民主党政権下では、首相の意向を尊重して徹底的に支えるというタイプの人材はほとんど執行部にはいない。幹事長について見れば、鳩山政権においては小沢一郎、菅政権においては枝野幸男と岡田克也が務めたが、小沢と岡田は自らも代表経験者であり、枝野も近い将来に首相候補になる可能性が高い政治家である。総務会長は廃止されて久しく、政調会長も鳩山政権期には廃止されていた。執行部を構成するポスト自体が安定せず、しかも執行部入りする政治家は揃って首相のライヴァルであることが、民主党の大きな特徴である。この点は野田政権でも基本的に変わっていない。

二大政党の執行部と首相の関係から窺えるのは、「強い首相」を登場させた小選挙区中心の選挙制度と内閣機能強化に対して、政党組織が十分に対応できていないことである。選挙に直接関係する有権者との関係では、政党組織は比較的短時間のうちに合理化された。すなわち、派閥や後援会が中心となり、候補者個人の魅力や主張を有権者に訴えかける選挙から、マニフェストや党首のイメージを中心に据えた選挙へと変化し、それに伴って二大政党の公認というラベルの効果も大きくなった。これらは、一般議員と執行部の関係を集権的なものにした。しかし、執行部を構成するような有力議員相互の関係については、党首を含む執行部の制度的な権力がなお貫徹していない。その大きな理由は、現在のところ二大政党の有力議員には、中選挙区制時代に地盤を確立したか、親から地盤を継承した政治家が多いため、執行部に従う誘因が十分に作用していないことによるであろう。

今後の展望

結局のところ、今日の日本政治が直面する問題は、参議院が内閣や衆議院に対して強い権力を持ちすぎていることと、二大政党の内部組織において執行部権力が確立できていないことに起因すると考えられよう。二世議員の増加などに伴い政治家の資質が十分に吟味されていないことや、有権者が政治家に対して短期的な成果や見栄えの良さを求めすぎることも否定できないが、それ以上に問題は構造的ないしは制度的であり、特定の人物をスケープゴートにしたり、あるいは有権者とメディアの「愚かさ」を指摘しても解決するわけではないという認識を共有することが、すべての出発点になるように思われる。

そのうえで、制度的問題点に対する具体的な改革が必要になる。まず参議院については、政治過程において過剰な影響力を行使しないよう、より端的には与党の構成や内閣の命運が参議院の動向によって左右されることのないようにする必要がある。最善なのは憲法改正によって参議院の権限を明示的に縮小することだが、実際には極めて難しい。だとすれば、いずれも「ねじれ国会」が原因となった短命政権によって打撃を受けた二大政党が、参議院の影響力を限定する合意を形成することが望ましい。もちろん両党の参議院議員は強く反撥するであろうが、合意を基礎に重要法案について衆議院再議決を繰り返し行い、衆議院の優越を前例や慣行として拡大していくよりほかはないであろう。ただ幸いにも、いわゆる「一票の格差」問題により参議院には選挙制度改革の機運がある。それを参議院任せにするのではなく、有権者、そして内閣や衆議院とどのような関係を築くのが望ましいのかについて広く議論を行い、選挙制度改革とあわせて参議院の性格づけを明瞭にできれば、より良い形で改革できるかもしれない。

政党の内部組織に関する改革は、多くの部分が各党の内部ルールに任せられており、より難しい面がある。しかし、首相候補となる党首の選出には地方組織や一般党員の関与した公選を導入すること、また党首選挙に際しては首相になる場合の官房長官候補と幹事長候補もあらかじめ明示することは、二大政党に義務づける余地がある。いずれも、党首に強い正統性を与えるとともに、政党を所属国会議員の一部が私物化する事態を回避する効果が期待できる。政党交付金という形で国費を投入している以上、政治資金規正法の遵守以外にも組織運営に説明責任を持たせるのは当然のことであろう。

少子高齢化や財政悪化など、日本の社会と経済にはそれほどの時間的余裕がない。中国の台頭の一方で、アメリカやEUの経済力にかげりが見られるなど、国際政治経済秩序も大きな転換期を迎えている可能性もある。それだけに、日本の2006年以降の短命政権の連続は深刻な政治的空白であると言わざるを得ない。しかし、そのことを嘆いているだけでは事態は何も変化しない。高いコストを伴った政治的空白が、少なくとも無駄ではなかったと後で言えるようにすることは、日本社会を生きる現役世代にとっての責務なのである。

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