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シリーズ 返還50年、小笠原諸島の今昔物語
小笠原諸島年表「無人島」から自然遺産へ
[2018.06.25]

19世紀初頭まで「無人島」だった小笠原諸島。欧米人や太平洋諸島系などからなる移民団が入植した同世紀半ばから現在までを年表にまとめた。

東京都心から1000キロ南方の太平洋上にある30余りの島々から成る小笠原諸島(小笠原村)。一般住民が居住するのは父島、母島のみで、父島に現在約2000人、母島には500人弱が暮らす。小笠原を訪れるには東京港竹芝桟橋から「おがさわら丸」で村役場のある父島二見港に向かう。所要時間は24時間で、ピークシーズンをのぞくとほぼ1週間に1便だ。

19世紀以降、領有を巡り日本と米国の間で翻弄(ほんろう)され、第2次世界大戦中は日本本土防衛の前線となった「遠い」東京=小笠原の歴史を年表にまとめた。

1670年 阿波国の蜜柑 (みかん) 船が母島に漂着する。
75年 漂着者からの報告に基づいて、幕府が島谷市左衛門を小笠原諸島に派遣し、現地調査を実施。
1830年 捕鯨船が寄港する適地として父島が注目される。ハワイからナサニエル・セーボレーを含む欧米出身の5人とハワイ先住民などの計20数名の一行が入植する。
53年 ペリー提督が浦賀来航に先立って父島に寄港、米国による領有化をもくろみ、セーボレーを「行政長官」に任命。
62年 幕府が「咸臨丸(かんりんまる)」を父島に派遣、小笠原の領有を宣言。中浜万次郎(ジョン万次郎)が先住者との通訳を担当する。八丈島から開拓団が入る。
63年 幕府の命令で開拓団撤退。島から日本人はいなくなる。
75年 明治政府が「明治丸」を派遣。先住者に日本領を宣言。
76年 小笠原諸島が正式に日本の領土となる。
77年 日本本土からの移住が始まる。
82年 欧米系・太平洋諸島系など先住者の日本籍編入が完了。
1890年代 サトウキビ栽培と製糖が小笠原諸島の主産業として定着し、本土や伊豆諸島からの移住者が殺到する。
91年 明治政府が硫黄列島(火山列島)の領有を宣言。
1910年代 硫黄列島でも、サトウキビ栽培と製糖が主産業として定着し、人口が急増する。
30年代 糖業に代わって野菜の冬季栽培などが盛んに。本土への移出により、小笠原諸島は空前の経済的繁栄を迎える。
41年 太平洋戦争勃発。
44年 小笠原諸島民約7700人のうち約6900人が本土へ強制疎開させられる。残りの島民は軍属として徴用される。
 45年 2月に米海兵隊が硫黄島上陸。日米で約2万9000人の戦没者を出す。小笠原諸島は米軍の直接占領下に置かれる。
 46年 米国は、先住者の子孫である欧米系島民家族にのみ、父島への帰島を許可する。日系の旧島民は本土に留め置かれる。
 52年 サンフランシスコ講和条約発効。小笠原諸島は沖縄・奄美とともに引き続き米国施政権下に。
68年 6月26日、小笠原諸島返還。父島から米海軍が撤退。硫黄島には自衛隊が駐屯。
1970年代 旧島民の父島・母島への帰島が本格化する。
72年 東京・父島間に定期船就航。
84年 国土庁(現・国土交通省)の諮問機関が、「火山活動」「不発弾の残留」などを理由に、硫黄島民の帰島は困難と答申。
2011年 6月、小笠原諸島が世界自然遺産登録。

(年表監修:石原俊・明治学院大学教授)

1939年(昭和14年)の父島の町

1941年(昭和16年)、島民たち

米軍統治時代にあった社交場の建物

米軍統治時代の授業風景

1968年6月 小笠原返還で父島から引き上げる米兵たち

(本文中写真提供:小笠原ビジターセンター)

バナー写真:家族らの見送りの中、東海汽船「黒潮丸」に乗って24年ぶりに父島に帰郷する漁民=東京・港区の竹芝桟橋(時事)

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