日本の刑事司法を問う

「人質司法」「冤罪」「再審」「死刑制度」を考える

社会

今回で最後となる村井敏邦・一橋大学名誉教授と村岡啓一・白鴎大学教授との対談では、刑事司法に関わる4つのキーワードについて話を聞いた。“冤罪の温床”と批判されてきた「人質司法」、国家の犯罪と言われる「冤罪(えんざい)」、“開かずの扉”と揶揄される「再審」、国際社会から強く廃止を求められる一方で、国内では約8割が容認する「死刑制度」がそれだ。

身体不拘束が原則で、身体拘束は刑の先取り

——人質司法と言われる現状をどのように見ていますか。

村岡  「人質司法」というのは、勾留されている身柄が「質」となっていて、何をすれば解けるのかというと、それは「自白」になるわけです。つまり「自由になりたければ自白せよ」ということです。

最近、身柄の拘束に対して争う弁護士が増えてきて、裁判所が勾留の決定を差し控える例も少しずつ出てきた。それで人質司法に改善の兆しがあるのではないかとも言われますが、勾留の却下率は毎年ほんのコンマ数%増えているだけです。2016年のデータでも総体として見れば、96%以上は勾留が認められている。本質的には何も変わっていないというのが私の評価です。

拘留請求却下人員数と却下率の推移

拘留請求人員数(人) 却下人員数(人) 却下率(%)
1990年 72,597 126 0.2
1995年 87,156 98 0.1
2000年 115,625 234 0.2
2005年 142,272 497 0.3
2010年 115,804 1,237 1.1
2015年 109,845 2,866 2.6
2016年 105,669 3,580 3.4

(「弁護士白書2017年版」内の資料を基にnippon.com 編集部が作成)

村井  本来は裁判で罪が確定していないのですから、身体不拘束が原則です。疑いがあれば逮捕勾留していますが、まだ疑いの段階で身体拘束をすることは、いわば刑の先取りになってしまう。逮捕勾留が原則化しているということ自体、本当は問題なのです。

また、警察、検察は逮捕勾留の際に、疑いのある人に対して「罪証隠滅のおそれがある」などという理由を挙げて裁判所の許可を得ています。ですが、法律には「おそれ」などとは書かれていない。刑事訴訟法の規定は、「罪証隠滅を疑うに足りる相当の理由」となっています。「おそれ」などという可能性どころか疑わしい程度のことで逮捕勾留するのは、実は法律違反なのです。

勾留却下率はわずか3%強

村岡  少し考えてみてください。刑事裁判というのは無罪推定を前提にして、検察官が有罪の立証をして初めて刑罰が科されるのです。まだ有罪かどうか決まっていない段階で、「あなたには罪証隠滅のおそれがありますから身柄を拘束します」ということ自体が、最初から「あなたは有罪です」と言外に言っているのと同じことです。原理的に矛盾しています。

村井  無罪推定の原則を一般の人たちになかなか理解してもらえないのはやむを得ないところですが、あろうことか裁判官などが「起訴状を見れば有罪だと分かる」などと言ってしまう。無罪推定ではなく、有罪推定の原則があるところに問題があると思いますね。

村岡  でもまあ、99.9%の有罪率を誇っている国ですから、有罪推定は当たり前ということなのでしょうね(笑)。ただ、人間を拘束するということには厳格な要件を課しているはずなのに、勾留却下率は3%強しかない。裁判所が検察官の請求をこれだけ容認していること自体が問題視されるべきではないかと思います。

村井  やはりそれはマスコミも含め、検察官は間違いを犯さないという「検察官無謬論」があるのでしょう。

村岡  他の国には無令状逮捕というのがあるのに対し、日本は裁判所の令状によって逮捕勾留する運用ですから、率から言うと被疑者のうち3割程度しか逮捕勾留されていません。この点は非常に優れている。しかし、いったんこの3割の中に入ってしまうと、「捕まえたらもう出しませんよ」となってしまう。これが行き過ぎなのです。

弱いから虚偽自白するのではない

——保釈についても、自白しない限りなかなか認められないという実態があります。

村井  拘束された場合、身柄を解放してくれる人は弁護人なので、弁護人と被疑者・被告人が、自由にコミュニケーションを取れるということが必要です。一応、弁護人と被疑者・被告人の間では、自由接見、秘密接見が保証されていますが、手紙のやり取りなどについては弁護人ですら非常に厳しく制限されています。法的にもおかしなことで、弁護人とのコミュニケーションさえ不自由にされてしまうと、もう防御のしようがなくなってしまいます。

村岡  無実の人が虚偽自白をするというのは、その人が弱いからではないのです。身柄を拘束されるだけでなく、密室で長時間かつ長期間の取り調べを受ける。その圧力に、普通の人は屈します。捜査官が一旦クロの心証を持ってしまうと、どんな弁明をしても聞いてもらえない。そこに虚偽自白が生まれる原因があるのです。

虚偽自白を誘発する日本の取り調べについては国際社会から大きな批判を受けていますが、やはり根本にある問題は安易な身体拘束。そして裁判所がいったん身柄拘束を認めれば最大23日間自由の身になれないということなのです。

「代用監獄」支えた責任は弁護士にもある

——虚偽自白の温床という点では、代用監獄制度も長く問題視されていますが、その実態についても考えを聞かせてください。

村井  代用監獄は国際社会から厳しく批判されています。実は、代用監獄と言われる警察の留置場は最近きれいになっているし、警察官は弁護士の接見などで時間的な融通を利かせてくれる。本来勾留されるべき拘置所は規則を非常に厳密に運用するため、弁護士が時間外に行くと被疑者に会わせてくれません。だから、代用監獄があってもいいじゃないか、という声はあります。しかしそれは拘置所の規則の運用の問題で、そもそも被疑者の身柄を警察、捜査官の手元に置いているということが決定的な問題なのです。

村岡  確かにこの制度を支えてきた責任の一端は弁護士にもあります。捜査機関にも、留置場で手厚くケアしているのだから、むしろいいじゃないかという発想があります。しかし、国際社会からの根本的な批判は、どうして敵の陣地の中での身柄確保を認めているのか、フェアじゃない。その結果、冤罪の温床にもなっているでしょう、ということです。

冤罪が生まれる原因と再審をめぐる問題

——日本で起きる冤罪の場合、司法制度に起因する問題はあるのでしょうか。

村井  刑事弁護専門という弁護士は、ほとんどいません。日本では刑事弁護の比重が低いところに問題があると思います。刑事弁護は報酬にならない。私も冤罪事件を扱ったことがありますが、手弁当で報酬はもらえません。だから冤罪事件に一生懸命になる弁護士がほんの一握りになってしまう。財政的な基盤がない若い弁護士は刑事弁護をやりたくてもできないのです。

村岡  日本で起きる冤罪の原因にはいろいろありますが、死刑台から生還してきた4件の冤罪事件に共通する原因は虚偽自白でした。また最近、再審が開始された事件で問題になったのは鑑定の誤りです。

日本の4大死刑再審事件

免田事件 1948年、熊本県人吉市で夫婦が殺害され、娘2人が重傷を負った事件。免田栄さん(逮捕当時23)が6次に及ぶ再審請求の結果、83年に無罪を勝ち取った。在監期間は約35年。裁判所は虚偽の自白を信じ、アリバイ証拠を無視した。
財田川事件 1950年、香川県財田村で一人暮らしの男が強殺された事件。谷口重義さん(逮捕当時23)が再審を求め、84年に無罪判決が出た。在監期間は約34年。別件逮捕、長期の拘束後に谷口さんが「自白」した内容は、犯行状況と矛盾していた。
松山事件 1955年、宮城県松山町で一家4人が殺害され、放火された事件。斎藤幸夫さん(逮捕当時24)は約29年後に無罪を勝ち取った。別件逮捕、自白の強要、同房者の自白勧誘があり、再審では警察の証拠隠しも認定された。
島田事件 1954年、静岡県島田市内で6歳女児が性的暴行を受け殺害された事件。赤堀政夫さん(逮捕当時25)が約35年後に再審決定を勝ち取り釈放された。死刑判決は問題のある法医学判定に従った結果で、再審では自白調書の信用性が否定された。

(nippon.com編集部が作成)

現在、日本で再審をめぐって問題視されているのが、検察官の不服申立のあり方です。再審開始の決定が出ても検察官は不服の申し立てをすることができる。これを即時抗告といいますが、せっかく再審請求審で開始決定が出ても、検察官の不服申立により確定まで時間が延びるわけです。それ自体が一つの不利益です。場合によっては不服申立の結果、いったん開いたはずの開始決定が取り消されることもあるのです。

裁判所が一度冤罪の「疑いあり」と言ったのであれば、その一つの判断だけでも、再審を開く理由になり得るのではないかと思います。再審事由を認めることは、有罪確定判決に異を唱えることですから、裁判所にとっても、無罪判決を書く以上に大変なことなのです。その判断を尊重すべきです。再審開始決定は入り口で、次の再審公判が予定されているのですから、検察官はそこで争えばいいのです。

狭められる再審開始の背景に99.9%の有罪率

——過去の過ちを正すことは当然のことだと思いますが、再審に対して裁判所はあまりにも慎重すぎるように見えます。

村井  残念ながら、そう見ている国民はほとんどいないのではないですか。再審無罪の決定が出ると、多くの国民は「何でいったん有罪にしたものをひっくり返すのか」という思いではないですか。法律を学んだ私の知人でさえ、同じようなことを言います。過去の間違った裁判の方を批判しないのです。再審の意味を全然分かっていない。

村岡  裁判所側に、自分たちは誤らない、という無謬性の神話のようなものがあるのでしょうね。再審開始の理由になっている、新証拠の明白性について、裁判所は50対50ではダメで旧証拠の価値を大きく超えなければ「合理的疑い」は生じないとします。そのため、入り口がどうしても狭められている。この背景にはやはり99.9%の有罪率という有罪心証が大きく影を落としていると思います。

これまで冤罪が確定した人たちに対して、事件を担当した警察官、検察官、裁判官が一度として謝った例がないというのも驚くべきことです。「自分たちは間違っていない」という、信仰にも似たような認識が消えないのでしょうね。

死刑制度は取り返しのつかないシステム

——日本の死刑制度の現状をどのように見られていますか。

村井  日本国民の8割が死刑に賛成しているのは事実です。しかし、本当に死刑について知った上で意見を表明しているのか、というと必ずしもそうではない。

飯塚事件という冤罪が疑われている事件があります。1992年に福岡県飯塚市で女児2人を殺害した容疑で逮捕、起訴された被告人は一貫して無罪を主張したが、死刑判決が言い渡され、2008年に執行されました。執行前から再審請求の準備をし、執行後に妻が再審請求しました。福岡地裁、福岡高裁で棄却され、現在は最高裁に特別抗告中です。

これが冤罪ということになれば、国家の犯罪です。再審を開いて無罪になっても、死刑が執行されてしまっているから取り返しがつかない。やはり取り返しのつかないシステムは残すべきではない。間違いだと分かってもそれを正すことはできないわけですから。

また、死刑を求めて罪を犯す人もいる。国がその人に死刑を執行する。それでは罪を犯した人を国が手助けしているようなもので、死刑制度がなければこういう人は出て来ないのです。もちろん、被害者も被害者家族も生まれないのです。

村井敏邦・一橋大学名誉教授(左)と村岡啓一・白鴎大学教授

安易に運用されている日本の死刑制度

村岡  国際社会は、先進国の日本でなぜ死刑があるのかと疑問に思っています。オリンピックのある2020年に死刑廃止を求める世界のNGO団体が日本に集結します。日本が変われば、ほかの死刑存置国も変わると思っているからです。

ただ、日本では死刑の現状が国民にほとんど知られていない。だから、日本弁護士連合会などはまず国民に広く死刑の実態を知ってもらい、本当にこれが必要な制度なのか議論してもらおうと考えています。

村井  米国では死刑判決を出す場合、検察側は多くの証拠を膨大な時間と費用をかけて集め、極めて慎重に進めていきます。要するに、通常の事件以上に死刑を言い渡さなければならない事情があると立証しなければならない。同時に、それに対する反論も保障しなければならない。だから、弁護側に人的にも財政的にも十分にバックアップする仕組みになっています。

一方で、日本の死刑制度の運用は安易すぎます。死刑制度が廃止されないうちは、命を奪うシステムについて、もっと手厚く慎重な手続きを保障するプロセスがないといけないのに、それすらない。また、死刑事件の弁護のほとんどは、心ある弁護士たちの手弁当の活動に頼るしかない。とても残念な状況になっているのです。

文:POWER NEWS、高橋 ユキ
写真:伊ケ崎 忍

バナー写真:東京電力女性殺害事件で再審開始決定を受け釈放され、ネパールに帰国し自宅のバルコニーから手を振るゴビンダ・プラサド・マイナリさん。ゴビンダさんは1997年に逮捕され、裁判は一審無罪、控訴審での逆転有罪、上告棄却、再審決定と、紆余曲折の経過をたどった。=2012年6月16日、ネパール・カトマンズ(時事)

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