ニッポンの城

【日本100名城®】静岡県・山中城

歴史

山中城は小田原に本拠地を置いた後北条氏が築いた城の1つ。豊臣秀吉の小田原攻めに備えて地形を生かした天然の要害の山城を整備したが、豊臣方の大軍の前に半日で落城したと伝えられる。

静岡県・山中城

北条氏の特徴的な堀が残る石を使わない土だけの山城

山中城は、16世紀中ごろに、小田原に本城をおいた後北条氏によって番城(城主を置かない城)として築城された。2つの川に挟まれ、急な斜面に囲まれた自然の要害の地に造られた山城で、標高580メートル、城の範囲は東西500メートル、南北1000メートルに及ぶ。発掘調査で発見された「障子堀」や「畝堀」は、堀の中に土手状の畝を掘り残して区画し、上から見ると障子や田畑の畝のように見える、後北条氏の特徴的な堀。現在は、型崩れ防止のために芝生が張られているが、当時は赤土がそのまま露出して、滑りやすく、登りにくい造りになっていた。1590年に豊臣秀吉の小田原攻めの前に、山中城も堀や出丸などの改修が行われたが、6万7000人の豊臣方の総攻撃で、4000人の北条方は半日で落城したと伝えられる。

石を使わない土だけの山城で、築城当時の遺構が復元された城は全国的にも珍しい。城跡は1981年に三島市制40周年に合わせ史跡公園として一般に開放され、市民の憩い場になっている。天気が良い日には障子堀越しに富士山が見える。

静岡県の城

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バナー写真:山中城址公園(PIXTA)

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