『亀戸梅屋舗』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第30回

歌川広重「名所江戸百景」では第30景となる『亀戸梅屋舗(かめいどうめやしき)』。海外でも人気の一枚であるが、今では梅屋敷は残っておらず、小さな神社に咲く数本の梅が往時をしのばせる。

臥龍梅に似た枝ぶりを小さな神社で発見

名所江戸百景といえば、この絵を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。ゴッホが模写したことでも知られる一枚である。しかし、舞台となった亀戸梅屋敷の詳細を知る人は少ないと思われる。

地元で広く知られる説では、伊勢屋彦右衛門という商人の別宅が亀戸にあり、庭に多くの梅の木が植えられていたそうだ。本来は「清香庵(せいきょうあん)」と名付けられたが、見事な梅の花を咲かすことで評判となり、次第に「梅屋敷」と呼ばれるようになったという。特に龍が地を這(は)うような姿をした「臥龍梅(がりゅうばい)」という一株が有名だったようで、その名付け親は水戸光圀(徳川光圀、水戸藩主)だと伝わっている。

さまざまな説があるので真偽は不明で、いつ頃から名所になったのかなども分からない。ただ、広重の時代の切絵図(古地図)には「梅やしき」としっかりと記され、毎年花の咲く頃には多くの人が見物に訪れていたようだ。残念ながら、1910(明治43)年の大雨による水害で、全ての梅の木が枯れ、廃園になったという。

現在、亀戸3丁目の北十間川沿いに、「梅屋敷跡」の碑が残っている。かつて梅屋敷の敷地であったと推測できる一帯で、細い路地に入ると「梅屋敷伏見稲荷神社」という小さな神社を見つけた。そこには数本の梅の木が植わっていて、地元の人の話では臥龍梅と同じ種類だという。花の咲いた頃に足を運び、梅を見上げるように撮影した。広重のアングルとは違うが、似たような枝ぶりを見つけることができたので、往時の光景に思いをはせた。

『亀戸梅屋舗』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第30回

●関連情報

梅の花見「観梅」と亀戸梅屋敷

まだ寒さが残る凛とした空気の中、甘い香りに包まれながらの「観梅」は春の訪れを感じることができる。広重が描いた亀戸梅屋敷は失われてしまったが、その跡地から程近い「亀戸天神社」も都内で観梅を楽しめる名所の一つだ。梅鉢の神紋(しんもん、神社の紋章)を冠するだけに、境内にはさまざま種類の梅が計300本も植栽され、毎年見事な花を咲かせる。

名所江戸百景では他に「蒲田の梅園」でも観梅の光景が描かれている。こちらの梅園は「聖蹟蒲田梅屋敷公園」として今も残っており、広重の絵を思い浮かべながらの観梅が楽しめる。

現在、「亀戸梅屋敷」という名前は、亀戸の文化や歴史を伝える複合商業施設に使用されている。梅屋敷跡から500メートル程歩いた亀戸4丁目の交差点に位置し、観光案内所や物産店、寄席、江戸切子ギャラリーなどが入る。世界的に知られる絵の名を冠することで、日本のみならず海外に向けても、江戸の下町文化を発信している。

亀戸梅屋敷跡近くにある梅屋敷伏見稲荷神社
亀戸梅屋敷跡近くにある梅屋敷伏見稲荷神社

浮世写真家 喜千也「名所江戸百景」——広重目線で眺めた東京の今
「名所江戸百景」は、ゴッホやモネなどに影響を与たことで知られる浮世絵師・歌川広重(うたがわ・ひろしげ)の傑作シリーズ。 安政3年(1856年)から5年にかけて、最晩年の広重が四季折々の江戸の風景を描いた。大胆な構図、高所からの見下ろしたような鳥瞰(ちょうかん)、鮮やかな色彩などを用いて生み出された独創的な絵は、世界的に高い評価を得ている。その名所の数々を、浮世絵と同じ場所、同じ季節、同じアングルで、現代の東京として切り取ろうと試みているのが、浮世写真家を名乗る喜千也氏。この連載では、彼のアート作品と古地図の知識、江戸雑学によって、東京と江戸の名所を巡って行く。

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