『浅草川首尾の松御厩河岸』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第45回

歌川広重「名所江戸百景」では第54景となる『浅草川首尾の松御厩河岸(あさくさがわ しゅびのまつ おうまやがし)』。釣りの名所としても知られた、浅草御蔵(おくら)から隅田川にせり出した松の木越しに描いた一枚である。

艶っぽい江戸の舟遊びを見事に表現

江戸時代には浅草辺り、現在の台東区今戸の南(隅田公園・山谷堀広場付近)から蔵前までの隅田川を「浅草川」と呼んだようだ。古地図を眺めると、蔵前の川沿いは幕府の御米蔵「浅草御蔵」だったことが分かる。陸路での米の運搬には馬が必要なので、当初は北側に大きな厩(うまや)を設置していたそうで、一帯の川辺は「御厩河岸(おうまやがし、おんまやがし)」と名付けられた。現在の厩橋付近には「御厩河岸の渡し」と呼ばれる渡船場があり、対岸の本所石原町からの乗合船や隅田川下流からの船などが着く、水上交通における浅草の玄関口だった。

浅草御蔵には8本の堀があり、真ん中の四番堀と五番堀の間には、隅田川の上まで枝が大きく張り出した「首尾の松」があったという。名の由来には諸説あるが、船で吉原へ行き来する客が、この松の辺りで「今日の首尾は…」「昨夜の妓楼は…」などと情報交換をしたとか。とにかく、この松が吉原や浅草に向かう船頭や乗客にとって目印であったことは間違いない。

広重は夏の宵の口に、首尾の松越しに東岸上流の本所、東駒形(墨⽥区)方向を描いている。川面にはたくさんの渡し船が往来し、その奥に架かるのが浅草の吾妻橋だ。東の空には満天の星が輝くが、首尾の松の下にひっそりと浮かぶ小型の屋根舟(やねぶね)は簾(すだれ)を下している。よく見ると芸者らしき影がうっすらと見えるので、大店の主人が船上での密会でも楽しんでいるのであろうか。江戸風情が感じられる舟遊びの一幕を見事に切り取った一枚である。

現在、蔵前橋の西詰の欄干近くには、南側に「首尾の松跡碑」、北側に「浅草御蔵跡碑」が立っている。上流側に続く隅田川テラスには、首尾の松の下で釣りを楽しむ男女を葛飾北斎が描いた『首尾松の鉤舟(つりぶね) 椎木の夕蝉(ゆうぜみ)』をあしらったフェンスがあり、その近くには数本の松の木が植えられている。写真は夏の午後8時半頃に撮影したが、夜空には満天の星ならぬ、ライトアップされたスカイツリーが輝いていた。川面をたくさんの屋形船が行き交い、時折、にぎやかな笑い声や大音量のカラオケが響く。風流とは言い難いが、松の下から垣間見た当世の舟遊びも楽し気であった。

 

●関連情報

屋形船と屋根舟

鉄道や自動車のなかった江戸時代、川や堀は多くの人や物を運ぶ重要な交通インフラだった。今よりも船が生活に密着していたため、屋形船などを利用した舟遊びの文化が育まれたのだろう。

江戸時代初期には、大名や大店の主人などが豪華な屋形船を仕立て、涼を取りながら花見や月見、花火を楽しんだ。派手に飾られ、屋根の下が数部屋に区切られた台所付きの巨大な船もあったが、1682年に幕府が発令した「大船建造の禁」によって小型化。数も制限されたという。それ以降は、広重が描いたような小型の屋根舟が主流となり、町人を中心に納涼や遊びに用いられた。

両国花火』でも多くの屋根舟、屋形船も描かれているので、舟遊び自体は廃れることなく、江戸時代を通して楽しまれていたと推測できる。しかし、第2次世界大戦、戦後の河川汚染などもあって衰退。現代のような屋形船が復活したのは、昭和の終わり頃からである。

近年の屋形船は、定員50人前後が一般的だが、100人以上が乗れる大型船もある。15人以上の団体で貸し切りにする宴会利用が主であるが、乗合船もあるので少人数でも舟遊びを味わえる。船宿は隅田川流域、旧江戸川流域、品川、浜松町周辺に多く、浅草〜お台場あたりを巡るのが定番コース。料理や飲み物のメニューはそれぞれに個性があり、鉄板付きのテーブルで東京名物「もんじゃ焼き」を味わえる屋形船は訪日観光客に人気が高い。

1853(嘉永6)年の江戸切絵図に描かれた浅草御蔵。中央に「首尾ノ松」、北に「御厩カシ渡シ場」の記載が見られる 国会図書館蔵
1853(嘉永6)年の江戸切絵図に描かれた浅草御蔵。中央に「首尾ノ松」、北に「御厩カシ渡シ場」の記載が見られる 国会図書館蔵

隅田川テラスに設置された、北斎の「首尾松の鉤舟 椎木の夕蝉」。御厩河岸上流の浅草川は禁漁(殺生厳禁)とされていたので、御蔵前は釣りの名所でもあったようだ
隅田川テラスに設置された、北斎の「首尾松の鉤舟 椎木の夕蝉」。御厩河岸上流の浅草川は禁漁(殺生厳禁)とされていたので、御蔵前は釣りの名所でもあったようだ

浮世写真家 喜千也「名所江戸百景」——広重目線で眺めた東京の今
「名所江戸百景」は、ゴッホやモネなどに影響を与たことで知られる浮世絵師・歌川広重(うたがわ・ひろしげ)の傑作シリーズ。 安政3年(1856年)から5年にかけて、最晩年の広重が四季折々の江戸の風景を描いた。大胆な構図、高所からの見下ろしたような鳥瞰(ちょうかん)、鮮やかな色彩などを用いて生み出された独創的な絵は、世界的に高い評価を得ている。その名所の数々を、浮世絵と同じ場所、同じ季節、同じアングルで、現代の東京として切り取ろうと試みているのが、浮世写真家を名乗る喜千也氏。この連載では、彼のアート作品と古地図の知識、江戸雑学によって、東京と江戸の名所を巡って行く。

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