『飛鳥山北の眺望』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第83回

歴史

歌川広重『名所江戸百景』では第17景となる「飛鳥山北の眺望」。江戸屈指のにぎわいを見せた花見名所から、筑波山の方角を眺めた1枚である

花見風景を浮き立たせる秀逸な構図

現在も桜の名所として有名な北区王子の飛鳥山から、北北東方向にある筑波山(茨城県つくば市)を望んだ華やかな絵だ。江戸の中心部から北へ6キロ以上も離れた王子だが、広重の時代には飛鳥山に加え、王子権現(現・王子神社)と王子稲荷音無川七滝の水辺と名所が多く、日帰りできる行楽地として人気が高かった。『名所江戸百景』には6枚も登場しており、この連載では今回の作品で全てを紹介することになる。

飛鳥山に桜を植えたのは、徳川8代将軍・吉宗(1684-1751)であることはよく知られている。紀州徳川家出身だったため、熊野三山から「若一(にゃくいち)王子」を勧請(かんじょう)した王子権現があり、自然豊かな故郷と似た風景が眺められる王子の地を好んだそうだ。吉宗が幕府の土地だった飛鳥山に、1000本以上の桜を植え始めたのは1721(享保6)年。山全体に芝生を張り、紅葉する木々も移植したという。

尾張屋版『江戸切絵図』(国会図書館蔵、1854年刊)の「染井王子巣鴨辺絵図」から、王子周辺を切り抜いた。飛鳥山の上部には「此処ヨリ筑波山見ユ」と記される。右端の中央より少し下に、「此辺 染井村 植木屋多シ」と書かれた付近で、全国に広まる桜の品種「ソメイヨシノ」が生み出された
尾張屋版『江戸切絵図』(国会図書館蔵、1854年刊)の「染井王子巣鴨辺絵図」から、王子周辺を切り抜いた。飛鳥山の上部には「此処ヨリ筑波山見ユ」と記される。右端の中央より少し下に、「此辺 染井村 植木屋多シ」と書かれた付近で、全国に広まる桜の品種「ソメイヨシノ」が生み出された

それまで花見の名所といえば、上野山が最も有名であったが、将軍家の菩提(ぼだい)寺・寛永寺の境内でもあり、吉宗が将軍になった頃は、酒宴や夜桜鑑賞などが禁止されるなど庶民には敷居が高かったようだ。吉宗は、もっと気軽に訪れられるようにと、王子権現を管理する別当・金輪寺に飛鳥山を寄進し、1737(元文2)年に一般開放した。酒宴や歌、踊りに加え、花見の際に流行していた仮装も許可したため、多くの江戸っ子が訪れ、上野をしのぐにぎわいとなったそうだ。この絵の中でも春の日差しの下、緋毛氈(ひもうせん)やゴザを敷いて、飲んで食べたり、踊ったりしながら、満開の花見を楽しんでいる。

東京にビルが林立するまで、飛鳥山からは筑波山以外にも、西側に富士山、西北に秩父連峰などが眺められたという。その中でもやはり富士は別格で、飛鳥山を題材にした浮世絵などには西方を望むものが多い。広重も、今回の絵よりも前に描いた『絵本江戸土産』では、遠方に富士山を配置した。

広重作『絵本江戸土産』の4編にある「飛鳥山花見 其二」(国会図書館所蔵)。飛鳥山の南西を描き、冠雪をいただく富士が見える。「富士や諸々の山々が、さながら手に取るようだ」とし、花見だけでなく夏、秋、冬の景色もそれぞれに趣があることを解説している
広重作『絵本江戸土産』の4編にある「飛鳥山花見 其二」(国会図書館所蔵)。飛鳥山の南西を描き、冠雪をいただく富士が見える。「富士や諸々の山々が、さながら手に取るようだ」とし、花見だけでなく夏、秋、冬の景色もそれぞれに趣があることを解説している

『名所江戸百景』では、桜の風景を20枚も描いている。安政江戸地震(1855)からの復興をテーマとするシリーズにはふさわしかったのだろう。特に華やかな酒宴が繰り広げられる飛鳥山では、ひと時の悪夢から解放され、楽しげにはしゃぐ江戸っ子の姿を強調したかったと考えられる。飛鳥山の北側は急斜面なので、崖下の田園地帯を見下ろすアングルとなる。そこに霞(かすみ)をかけることで、近景の花見のにぎわいを強調しつつ、筑波山までの遠景を違和感なくつないだ。縦構図の特徴を生かしつつ、奥行き感を出した秀逸な構図である。

現在の飛鳥山の北側はJR王子駅方向で、ビルが林立している。2016年春の平日に撮影に出掛けてみたが、飛鳥山から筑波山を拝める場所はなかった。広場になった北向きの場所を見つけ、カメラを構えてみても、花見客が場所取りするために広げたビニールシートだらけで、全く絵にならない。翌日早朝に出直すと、石張りの広場の周りに、桜が浮き上がるように咲いていたのでシャッターを切った。コロナ禍を経験した今となっては、当時邪魔だったブルーシートも懐かしい。1日も早く、膝がぶつかるほど密になって、酒を酌み交わしながら、桜を見上げられる日が来ることを願う。

●関連情報

飛鳥山公園、渋沢栄一、渋沢史料館

飛鳥山の名は、鎌倉時代末期に地元の有力者・豊島氏が、山の上に「飛鳥の祠(ほこら)」を設け、紀州・熊野の若一王子を勧請したことに由来する。その祠は、現在の王子神社の場所へ遷座したが、飛鳥山の名前は残った。吉宗が整備するまでは長年放置され、キジやウサギが飛び出してくるような荒地だったそうだ。

吉宗は享保の改革で、増税や倹約によって幕府の財政再建に取り組む一方、目安箱の設置、町火消しの整備、小石川療養所の開設といった庶民に向けた都市政策にも力を入れた。飛鳥山と同時期に、隅田川沿いの墨堤にも大量の桜を植えて、江戸っ子たちに新たな花見の名所を提供している。

明治を迎えると新政府は、1873(明治6)年から公園を設置する。飛鳥山は、上野や浅草、芝、深川と共に、日本で最初の公園に指定された。79(明治12)年には飛鳥山公園の南東の敷地に、実業家で数多くの慈善事業にも関わった渋沢栄一(1840-1931)が別荘を構えた。1901(明治34)年からは本邸として、亡くなるまでの30年間を過ごす。東京大空襲(1945)で主屋などは焼失したが、「晩香廬(ばんこうろ)」と「青淵文庫」という2つの名建築が残り、貴重な資料や写真を展示する「渋沢史料館」とともに彼の功績を今に伝えている。

現在の飛鳥山公園にはソメイヨシノを中心に650本の桜が咲き、相変わらず花見の名所として人々に愛されている。渋沢栄一は2021年NHK大河ドラマ『青天を衝(つ)け』の主人公で、24年度からは新1万円札の顔となる。渋沢史料館に隣接する「北区飛鳥山博物館」の一角には、21年末まで「大河ドラマ館」がオープン。ドラマの衣装や小道具を展示し、撮影現場の裏側なども映像で紹介していく。

王子駅北口近くにある複合文化施設「北とぴあ(ほくとぴあ)」の展望ロビーから撮影した筑波山。広重の絵と同じく、シルエットが美しい
王子駅北口近くにある複合文化施設「北とぴあ(ほくとぴあ)」の展望ロビーから撮影した筑波山。広重の絵と同じく、独特のシルエットが美しい

浮世写真家 喜千也「名所江戸百景」——広重目線で眺めた東京の今
「名所江戸百景」は、ゴッホやモネなどに影響を与たことで知られる浮世絵師・歌川広重(うたがわ・ひろしげ)の傑作シリーズ。 安政3年(1856年)から5年にかけて、最晩年の広重が四季折々の江戸の風景を描いた。大胆な構図、高所からの見下ろしたような鳥瞰(ちょうかん)、鮮やかな色彩などを用いて生み出された独創的な絵は、世界的に高い評価を得ている。その名所の数々を、浮世絵と同じ場所、同じ季節、同じアングルで、現代の東京として切り取ろうと試みているのが、浮世写真家を名乗る喜千也氏。この連載では、彼のアート作品と古地図の知識、江戸雑学によって、東京と江戸の名所を巡って行く。

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