80年前の惨劇の語り部「原爆ドーム」と「広島平和記念資料館」:死没者を悼み核兵器なき世界を祈る

教育 歴史

1945年8月6日午前8時15分に原爆が投下されたヒロシマは、被爆建物の遺構、犠牲者の遺品や記録を通じて、核の脅威を生々しく伝えてきた。世界各地で戦雲が立ち込める今、さらに存在感は増し、広島市の平和記念公園には国内外から訪問が絶えない。

負の歴史を物語る廃虚「原爆ドーム」

平和記念公園の北東にたたずむ原爆ドームは、世界で唯一、原子爆弾により破壊された状態を保つ建造物である。全国の修学旅行生が訪れる広島の名所であり、1996年にユネスコの世界遺産登録を機に、全人類の“負の遺産”を心に刻もうと訪日客の見学も絶えない。

元安川西岸からの眺め。隣接する「おりづるタワー」(写真中央右)は、12~13階が展望スペースになっている
元安川西岸からの眺め。隣接する「おりづるタワー」(写真中央右)は、12~13階が展望スペースになっている

れんがの壁は焼け崩れ、銅板ぶきだったドーム屋根は骨組みがあらわに
れんがの壁は焼け崩れ、銅板ぶきだったドーム屋根は骨組みがあらわに

元々は1915(大正4)年に建てられた「広島県産業奨励館」という物産の収集・陳列施設だった。チェコ人建築家の設計によるモダンな外観を誇ったが30年後、14万人以上の命を奪った人類未曽有の惨劇が起こる。爆心地からわずか160メートルに位置するこの建物も大破した。

雨の日も見学者は絶えない
雨の日も見学者は絶えない

戦後間もない頃は、悲惨な記憶を呼び起こすと、取り壊しを求める声もあったという。しかし1960年代に入り、核兵器の脅威を後世に伝える象徴として保存運動が本格化し、補修工事が始まった。

東に立つ慰霊碑に手を合わせる人も
東に立つ慰霊碑に手を合わせる人も

敷地の南はかつての洋風庭園。噴水の跡(写真中央)が往時をしのばせる
敷地の南はかつての洋風庭園。噴水の跡(写真中央)が往時をしのばせる

現在は建物内に立ち入ることはできないが、西側の川沿いからは、柵伝いに吹きさらしの内部の様子が垣間見える。敷地は生き生きとした芝生と緑樹に囲まれ、無機質な廃虚とのコントラストが、原爆の脅威、戦争の無慈悲さをより感じさせる。

夜間はライトアップされ、聖堂のような荘厳さ
夜間はライトアップされ、聖堂のような荘厳さ

崩れ落ちたままのがれきが生々しい
崩れ落ちたままのがれきが生々しい

被爆の実相を伝える平和祈念の殿堂「原爆資料館」

平和記念公園の南に位置し、原爆ドームと対をなす巡礼地が広島平和記念資料館(通称・原爆資料館)である。1955年の開館から70年にわたり、被爆者の遺品や写真を通じて「戦争と核の脅威」を訴え続けてきた。

写真中央の本館と左側の東館は連絡通路でつながっている。右手は広島国際会議場
写真中央の本館と左側の東館は連絡通路でつながっている。右手は広島国際会議場

本館の窓からは「原爆死没者慰霊碑」と原爆ドームが一直線に並んで見える
本館の窓からは「原爆死没者慰霊碑」と原爆ドームが一直線に並んで見える

2023年にはG7サミットで各国首脳が来館し、24年には「日本原水爆被害者団体協議会」がノーベル平和賞を受賞したことで、国際的な注目がさらに高まった。24年度の来館者数は226万人を超え、うち外国人が3割強の72万人と、共に過去最高となった。

焦土のパノラマ写真を背景に、被爆の瞬間をCGで再現した「導入展示」
焦土のパノラマ写真を背景に、被爆の瞬間をCGで再現した「導入展示」

外国人被爆者に焦点を当てたコーナーも加わった
外国人被爆者に焦点を当てたコーナーも加わった

2019年には大規模改修に伴い、展示内容がコンセプトから全面的に刷新された。本館は被爆者一人ひとりの物語に焦点を当て、国籍や文化に関わらず、テーマ「被爆の実相」が伝わる構成となっている。

焼け焦げた学生服、8時15分で止まった時計などの遺品には、持ち主の顔写真やエピソードが添えられる。即死は免れたものの、放射能の影響で数年後に病死した被爆女性に迫る展示も胸に響く。核兵器の残酷非道さ、命の重みとはかなさが鮮烈に伝わってくる。

遺品の数々には写真や氏名、物語が添えられ、現代の少年少女も共感できるはず。多くの所蔵品は同館の平和データベースで閲覧可能
遺品の数々には遺影と物語が添えられ、現代の少年少女も共感できるはず。多くの所蔵品は同館の平和データベースで閲覧可能

英語をはじめ多言語に対応し、手話解説付きの映像展示もある
英語をはじめ多言語に対応し、手話解説付きの映像展示もある

一足早く2017年にリニューアルした東館は、広島市街のジオラマに原爆投下時のCG映像を投影する「導入展示」、原爆の開発と投下の経緯を解説する「核兵器の危険性」、戦時下から現在の核廃絶運動までを追う「広島の歩み」の3ゾーンで構成。タッチパネル式の記録写真や映像資料など、直感的に理解しやすいビジュアル展示を中心にアクセシビリティも重視している。

時系列の展示を追えば、焦土から短期間で復興しながらも、「戦争を繰り返してはいけない」と発信し続ける“平和祈念の象徴”ヒロシマに誰もが共感できるだろう。

順路は「導入展示」から本館「被爆の実相」、「核兵器の危険性」(上)、「広島の歩み」(下)へと進む
順路は「導入展示」から本館「被爆の実相」、「核兵器の危険性」(上)、「広島の歩み」(下)へと進む

目が不自由な人向けに触れる模型も用意
目が不自由な人向けに触れる模型も用意

犠牲者を悼み反戦を誓う「平和記念公園」

資料館前の広場には、犠牲者の名簿が納められたアーチ型の「原爆死没者慰霊碑」が立つ。「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれた碑文に、多くの人が手を合わせる。

設計は資料館と同じく丹下健三。石室は家型埴輪(はにわ)、灯の台座は手のひらを空に広げた形を模している
設計は資料館と同じく丹下健三。石室は家型埴輪(はにわ)を模している

石碑の前には「平和の灯(ともしび)」が揺らめき、その奥には原爆ドームがそびえる。この灯は1964年8月1日の点火以来、核兵器廃絶まで消えることはないという“反核悲願の象徴”だ。

近くには伝承施設「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」や、身元不明の7万もの遺骨を納めた「原爆供養塔」もあり、園内すべてが祈りの空間となっている。

平和祈念館では被爆者の証言映像や体験記を目にできる
平和祈念館では被爆者の証言映像や体験記を目にできる

原爆供養塔にはたくさんの千羽鶴が手向けられている
原爆供養塔にはたくさんの千羽鶴が手向けられている

12万2100平方メートルの緑豊かな平和記念公園は、かつて4400人が暮らす繁華街だった。園内外には他にも被爆建物の遺構や慰霊のモニュメントが点在。散策すればヒロシマの物言わぬ犠牲者たちが、平和の大切さを語り掛けてくる。

左:午前8時15分にチャイムが鳴る「平和の時計塔」 中:被爆による白血病で亡くなった少女を慰霊する「原爆の子の像」 右:労働力として全国から集められ、原爆の犠牲になった生徒6295人を悼む「動員学徒慰霊塔」
左:午前8時15分にチャイムが鳴る「平和の時計塔」 中:被爆による白血病で亡くなった少女を慰霊する「原爆の子の像」 右:労働力として全国から集められ、原爆の犠牲になった生徒6295人を悼む「動員学徒慰霊塔」

被爆建物を活用した「平和記念公園レストハウス」。焼失を免れた地下室や周辺地域の歴史の展示室、喫茶や土産物のコーナーを備える
被爆建物を活用した「平和記念公園レストハウス」。焼失を免れた地下室や周辺地域の歴史の展示室、喫茶や土産物のコーナーを備える

取材・文・撮影=ニッポンドットコム編集部

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