午年に参拝したい! 勝利と成功へ導く「馬の神社」5選
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神に願いを届けてくれる聖獣
馬が日本の歴史に登場するのは5世紀頃、大陸から朝鮮半島を経由し、九州に伝来したと考えられている。当初は軍事用であったが数は少なく、戦場に投入された可能性は低いという。古墳に馬具や馬形埴輪(はにわ)が副葬されたように、むしろ権力や富の象徴となり、やがて信仰にも組み込まれていく。
797年成立の『続日本紀(しょくにほんぎ)』には、神にささげる聖なる動物とされていたことが記されている。献馬の儀礼は平安時代、国家安泰や降雨・止雨を祈願する国家祭祀(さいし)へと発展した。
神社においても神の使いや乗り物として奉納された。その神馬(しんめ)が徐々に絵や木像で代用されるようになり、絵馬(えま)に願いを託す風習へと変化したのだ。現代でも神馬は少なからず残り、上賀茂神社(京都市)では祭礼に登場し、伊勢神宮(三重県)では皇室献上馬が神前に仕える。彫像の馬が立つ神社も多い。
馬に縁の深い神社も各地にある。馬は戦や武芸はもちろん、農耕や運搬にも欠かせなかったことから、勝ち運や出世運、財運に加え、交通安全や道開きなどでも信奉される。参拝の折には絵馬に願いをしたため、神様と良縁を結ぼう。

伊勢神宮 内宮(ないくう)正宮にお参りする神馬(神宮司庁提供)
勝ち馬の神様「藤森神社」(京都市)

江戸期に天皇から賜った本殿。右手は、神功(じんぐう)皇后が軍旗を立てて祭祀を執り行った「旗塚」
千本鳥居で有名な伏見稲荷大社から南に2キロほど行くと、さらに長い歴史を持つ藤森(ふじのもり)神社に至る。軍事遠征の伝承で知られる神功皇后が203年に創祀したとされ、平安京に遷都した桓武(かんむ)天皇が南方の守護神とするなど皇室との縁が深い。
5月5日の藤森祭で催行する武者行列は、「端午の節句」に飾る五月人形の由来とされる。この日、家々で邪気払いに使う菖蒲(しょうぶ)は「勝負」や「尚武(武道を尊ぶ)」に通じることから、同社は武運長久を祈られている。
権禰宜(ごんねぎ)の辻賢一さんは「勝負運の神様としての起源は奈良時代、早良親王(さわらしんのう=桓武天皇の弟君)の戦勝祈願を成就したこと。藤森祭では平安時代から『駈馬(かけうま)神事』を奉納し、当時の出陣式を再現しています」と由緒を語る。馬上で妙技を見せる神事から、馬芸向上の御神徳も加わった。

駈馬神事では馬上での逆立ちなどの妙技を披露(KYOTOdesign提供)
競馬界での知名度は絶大で、同じ伏見区内にある京都競馬場では社名を冠した「藤森ステークス」が1982年から開催されている。87年の同レースで優勝したタマモクロスの馬主がお礼参りすると、翌年のG1天皇賞を春秋制覇。そのエピソードが広がり“勝ち馬の神社”として有名になった。馬事関係者の祭典である11月の「しんしん祭(しん=馬へんに先)」では、参拝する馬や騎手を目当てに競馬ファンも詰めかける。

必勝祈願は競走馬、合格祈願には『日本書紀』編者・舎人(とねり)親王の絵馬が人気
奉納された絵馬は、愛馬の健康祈願から馬券的中、受験合格、各種当選まで“勝ち馬に乗りたい”という願望でいっぱいだ。境内には、全国の馬の郷土玩具を展示する宝物殿もあるので立ち寄ろう。
悠久の馬の聖地「賀茂神社」(滋賀県近江八幡市)
滋賀県中部にある賀茂神社は、天災や疫病が相次いだ736(天平8)年、聖武天皇の勅命を受けた吉備真備(きびの・まきび)が鬼門封じの社として創建したと伝わる。霊気の湧きあふれる「国の中心地」として選んだ社地は、7世紀に軍馬育成のため天智天皇が築いた日本最古の国営放牧場「御猟野(みかりの)」とされるため、馬の聖地、馬の守護神としても深い崇敬を集める。

直線400メートルの馬場で競う「足伏走馬」(びわこビジターズビューロー提供)
馬にまつわる祭祀や神事が多く、年間を通じて馬事関係者らが祈願に訪れる。5月6日の賀茂大祭では、7頭の馬が速さを競う「足伏走馬(あしふせそうめ)」が奉納される。1350余年の伝統があり、上賀茂神社の賀茂競馬(くらべうま)と同じく宮中行事に由来する古式競馬だ。

左:馬に関する願い事が多い 右:二つの幹がつながった霊木「連理眞榊(れんりのまさかき)」
境内には縄文時代の祭祀場跡や、生命の和合をもたらすという霊木もあり、パワースポットとしても人気。樹齢千年の御神木と日本最大級の神馬像もあったが、台風で倒壊しており復興が待たれる。近隣の「日本の馬 御猟野乃杜牧場」では、希少な在来種の木曽馬(きそうま)とふれあい、体験乗馬で参拝もできて、馬好きにはたまらない場所だ。
平安時代から馬を見守る「勝馬神社」(茨城県稲敷市)
茨城の勝馬神社は平安時代、現在の美浦村にあった朝廷の牧場で馬を守護した馬櫪(ばれき=馬小屋)社を前身とし、後に近隣の大杉神社境内へと遷座した。元の社地に1978年、競走馬の調教施設「美浦トレーニング・センター」が開設した奇縁もあって、競馬関係者による馬体安全と必勝の祈願が絶えない。
社殿の脇には枝が馬の頭に見える御神木が立ち、馬蹄(ばてい)が付いた絵馬もある。厄よけや願望成就で名高い大杉の神様にも、お参りを欠かさずに。

左:神馬を引く神猿「安馬(あんば)さま」 右:馬頭が出現した御神木(PIXTA)
騎馬伝説に由来する「駒繋神社」(東京都世田谷区)
世田谷区下馬(しもうま)にある駒繋(こまつなぎ)神社は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の故事が社名の由来。1189年に奥州征伐の道中で立ち寄り、境内の松に愛馬をつないで戦勝祈願したところ見事成就したという。
さらに、下馬という地名の元になったのも頼朝の言い伝え。神社前の沢を騎馬で渡る際、深みに落ちて馬が死んでしまう。以来、沢を渡る者は馬を降りて引いたため、一帯は「下馬引沢村」と呼ばれた。
境内には「3代目駒つなぎの松」など名木が立ち並び、馬をあしらったお守りもあるので、伝説に思いをはせながらお参りしたい。

左:神橋が架かる沢は今では暗渠(あんきょ)に 右:馬の形のお守りもある(渋谷申博撮影)
馬の里の守り神「荒川駒形神社」(岩手県遠野市)
馬に関する民間信仰が根強い東北地方では、家内安全を祈って馬頭の御神体をまつる「オシラサマ」が特に有名。馬を愛した娘の伝承が由来とされ、柳田国男の『遠野物語』に収められている。
遠野の荒川高原は古くから放牧で知られ、馬産の守護神・荒川駒形神社が鎮座する。5月の例大祭では畜産関係者が参列し、神馬渡御(とぎょ)が執り行われる。伝説によれば、白馬に乗った山の神を見た僧侶がその姿を描き、御神体にしたという。木々に囲まれた境内には古びた鳥居が立ち並び、民話の世界の入り込んだような神秘的な雰囲気だ。
監修・撮影=渋谷申博
文・撮影(クレジットのない写真)=ニッポンドットコム編集部
バナー写真:藤森神社の神馬像と御朱印









