【Photos】メタボリズム:高度経済成長期に日本の建築家たちが描いた未来のかたち

建築

1960年代から70年代にかけて、日本の新しい都市像を描いた建築運動「メタボリズム」。その代表格として有名な黒川紀章設計の「中銀カプセルタワービル」がついに2022年に取り壊されることが決まった。戦後の復興から高度経済成長期に入った日本において、若い建築家たちの画期的なアイディアから生まれたユニークな建造物の数々は、およそ半世紀を経て、老朽化と人口減少に直面し、消滅の危機に瀕している。それらが周囲の環境の中で「生きた」証しをフランス人の写真家ジェレミ・ステラが記録した。

第二次世界大戦で広い範囲にわたり破壊された日本。10年をかけて焦土からの復興を果たすと、1950年代の後半から高度経済成長期へと突入し、好景気は73年の石油ショックまで続いた。その間、都市開発を担う新世代の建築家たちが登場し、ユートピア的で未来を先取りした数々のプロジェクトを実現していく。

丹下健三(1913-2005)に率いられた若い建築家のグループは、ビルディングや巨大建造物の設計に、生物学における新陳代謝の原理を取り入れたメタボリズム運動を興した。グループはのちに建築界の重鎮となる人物を輩出している。槇文彦(1928-)と磯崎新(1931-)は、それぞれ1993年と2019年に「建築界のノーベル賞」と称されるプリツカー賞に輝いた。

この実験的な運動から生まれたいくつかのプロジェクトを紹介しよう。象徴的な存在として知られるのが、東京・銀座にある「中銀カプセルタワービル」だ。観光地に近く、メディアに取り上げられやすい環境にあるため、何とか生き延びてきたが、もはや老朽化による建て替えの圧力に抗し切れなくなった。

2021年時点で現存する数少ないメタボリズム建築の1つ「中銀カプセルタワービル」(黒川紀章設計、1972年竣工)の模型。関根隆幸さんが所有する同ビルの一室にて。2016年7月23日撮影 © Jérémie Souteyrat
2021年時点で現存する数少ないメタボリズム建築の1つ「中銀カプセルタワービル」(黒川紀章設計、1972年竣工)の模型。関根隆幸さんが所有する同ビルの一室にて。2016年7月23日撮影 © Jérémie Souteyrat

同時期に建てられた他のビルのほとんどが、すでに取り壊されている。老朽化が進み、メンテナンスに莫大なコストがかかるためだ。また公共の建造物にとっては、人口減少の深刻な影響もある。私がメタボリズム建築の企画に着手したのは2016年だが、撮影した建物のいくつかはその後取り壊された。その他もやがて解体されることになるものがほとんどだ。

メタボリズム運動は、その未来志向にもかかわらず、結局のところは、古来より続く神道の伝統と同じく、取り壊しては新たに建てる、再生サイクルに基づいているのである。

ここに紹介する写真は、日本各地に生き残ったメタボリズム建築が、その周囲の環境の中で存在する「最後の姿」を捉えている。フランスのレザール・ノワール社より2020年11月に出版された写真集『L’architecture du futur au Japon : Utopie et Métabolisme』(日本の未来建築:ユートピアとメタボリズム)の企画の一環で撮影した写真の中からセレクトした。

メタボリズムとは?

1960年に東京で開催された「世界デザイン会議」において、若い建築家・デザイナーのグループ(黒川紀章、菊竹清訓、槇文彦、大高正人、デザイナーの栄久庵憲司、粟津潔、評論家の川添登ら)が発表したマニフェスト『METABOLISM/1960 - 都市への提案』に由来する建築理念。生物学における細胞の「新陳代謝」(メタボリズム)をモデルに、社会の発展や人口の増加に応じて有機的に成長していく都市および建築のあり方を提唱した。非西洋圏が発した建築運動として世界的に知られる。

中銀カプセルタワービル

設計:黒川紀章(1934-2007)
所在地:東京中央区銀座
竣工:1972年

広さ10平方メートルのカプセルは全部で140。当時は「ビジネスマンの隠れ家」をキャッチフレーズに、デパートで売り出されたという。そのうち1つのオーナーがこの関根隆幸さんだ。2005年に妻と400万円で購入し、現在までビルの保存・再生プロジェクトに参加している。

07年には区分所有者の投票により建て替えが決議されたが、その後、事業主の投資会社が倒産。以来、一部の所有者がカプセルの購入を進め、保存・再生の活動が続けられてきたが、21年春に建て替えを計画する不動産業者への売却が決まり、22年3月以降に解体される予定だ。

【左】東京高速道路の高架越しに望む中銀カプセルタワービル。2016年10月6日撮影【右】カプセルのオーナー、関根隆幸さん。2016年7月23日撮影 © Jérémie Souteyrat
【左】東京高速道路の高架越しに望む中銀カプセルタワービル。2016年10月6日撮影【右】カプセルのオーナー、関根隆幸さん。2016年7月23日撮影 © Jérémie Souteyrat

国立京都国際会館

設計:大谷幸夫(1924-2013)
所在地:京都市左京区
竣工:1966年

日本で初めて建てられた国立の会議施設。97年にはここで京都議定書が採択された。敷地面積は15万6000平方メートル。宝が池公園に隣接している。日本古来の合掌造りと現代の建築様式を融合させたところに特徴がある。66年に完成した本館のほか、イベントホールが85年に、アネックスホールが98年に増設された。いずれも大谷幸夫および大谷研究室の設計である。

© Jérémie Souteyrat

2016年6月14日撮影 © Jérémie Souteyrat

2016年6月14日撮影 © Jérémie Souteyrat
2016年6月14日撮影 © Jérémie Souteyrat

山梨文化会館

設計:丹下健三
所在地:山梨県甲府市
竣工:1966年

山梨日日新聞社や山梨放送など、山日YBSグループの企業が社屋として使用している。屋上には、かつてアナログ放送電波を送出していた巨大アンテナがそびえる。円柱と梁(はり)で支えられた構造を持ち、壁でフロアを仕切る必要がなく、間取りを自由にできる。これまでにフロアが増改築されて、延床面積は竣工時の1万8000平方メートルから現在は2万1900平方メートルにまで拡張、メタボリズム思想の真価を発揮している。

2016年7月7日撮影 © Jérémie Souteyrat
2016年7月7日撮影 © Jérémie Souteyrat

東光園

設計:菊竹清訓(1928-2011)
所在地:鳥取県米子市
竣工:1964年

日本海に面し、「山陰の熱海」と呼ばれる皆生(かいけ)温泉。その老舗旅館が新館として建てたのがホテル「東光園」だ。6本の巨大な主柱が上階の客室フロアを支え、神殿を思わせる。各主柱は添え柱と水平の貫(ぬき)で支えられ、伝統的な木造建築の構造が鉄筋コンクリートで再現されている。設計者の菊竹清訓(きくたけ・きよのり)は、メタボリズム運動の創始メンバーの1人。

2016年9月9日撮影 © Jérémie Souteyrat

2016年9月9日撮影 © Jérémie Souteyrat
2016年9月9日撮影 © Jérémie Souteyrat

出雲大社庁の舎

設計:菊竹清訓
所在地:島根県出雲市(現存せず)
竣工:1963年

出雲大社境内の社務所「庁の舎(ちょうのや)」。1953年に焼失した木造の社務所を再建した。出雲地方の稲掛けをモチーフに、2本の巨大な柱に、40メートルの長大な梁を架け渡した豪壮な造り。耐火性を重視して鉄筋コンクリートによる現代の工法を用いながら、境内の神聖な古代の雰囲気に調和させた。2016年11月、惜しまれながら解体された。

2016年9月9日撮影 © Jérémie Souteyrat

2016年9月9日撮影 © Jérémie Souteyrat
2016年9月9日撮影 © Jérémie Souteyrat

ノアビル

設計:白井晟一(1905-1983)
所在地:東京都港区麻布台
竣工:1963年

東京タワーに近い飯倉交差点に面して立つ、黒い円筒形の外観が特徴的なオフィスビル。企業のオフィスや駐日フィジー大使館などが入居する。設計者の白井晟一(せいいち)は、戦前にベルリン大学に留学し、哲学とゴシック建築を学んだ建築家。建築設計に、闇と光をめぐる哲学的な思考を投影した。写真はノアビルのエントランスロビーで見上げた天井。

2016年10月13日撮影 © Jérémie Souteyrat
2016年10月13日撮影 © Jérémie Souteyrat

広島平和記念公園

設計:丹下健三ら
所在地:広島県広島市中区
竣工:1954年

原爆で破壊された爆心地の約10ヘクタールを平和記念公園とすることが1949年の国会で決定。同年にコンペが行われ、約140件の応募案の中から、丹下健三と東京大学研究室の3名(浅田孝、大谷幸夫、木村徳國)による案が選ばれた。丹下は、広島市を東西に貫く平和大通りと直交する形で、原爆ドームと向き合う位置に、記念館、慰霊碑を一直線上に配する広場を生み出した。「メタボリズムの父」である丹下が、その運動に数年先立って手掛けた最初の大型プロジェクトの1つ。

関連記事:反核・平和のシンボル、広島平和記念公園

2016年9月10日撮影 © Jérémie Souteyrat
2016年9月10日撮影 © Jérémie Souteyrat

駐日クウェート大使館

設計:丹下健三
所在地:東京都港区三田
竣工:1970年

広島平和記念公園の完成から16年、丹下健三の国際的な認知を象徴する建築がこのクウェート大使館。これをきっかけに、丹下はその後、湾岸諸国で数々のプロジェクトを手掛けることになる。2017年に改築の計画が発表され、20年4月に新しい建物が完成する予定だったが、現在まで取り壊しは着手されておらず、計画は白紙に戻された模様。

2017年7月7日撮影 © Jérémie Souteyrat
2017年7月7日撮影 © Jérémie Souteyrat

都城市民会館

設計:菊竹清訓
所在地:宮崎県都城市(現存せず)
竣工:1966年

県内第2の都市である都城市の文化イベントの拠点として、40年にわたり市民に利用されてきたが、老朽化による維持費がかさみ、2007年に閉館。菊竹清訓設計の独特の形態は、メタボリズム建築の代表作の1つとされ、保存を求める声もあったが、19年7月に解体工事が開始され、翌年3月に完了した。

2017年5月8日撮影 © Jérémie Souteyrat
2017年5月8日撮影 © Jérémie Souteyrat

スカイハウス

設計:菊竹清訓
所在地:東京都文京区大塚
竣工:1958年

菊竹清訓が設計した自宅(写真の中央下、乗用車が駐車してあるところ)。4本の鉄筋コンクリートの壁柱によって正方形の居住空間を空中に支える構造で、建てられた当時は周辺に高い建物はなかった。周囲の環境や家族構成の変化に応じて増改築を重ねるなど、メタボリズム理論が住空間にも応用されている。

2017年7月6日撮影 © Jérémie Souteyrat
2017年7月6日撮影 © Jérémie Souteyrat

カプセルハウスK

設計:黒川紀章
所在地:長野県北佐久郡
竣工:1973年

黒川紀章が自身と家族のために軽井沢の近くに建てた別荘。中央にある鉄筋コンクリートの「コアシャフト」は、玄関を入って階段を上がり、リビングに至る。その周囲に「中銀カプセルタワー」と同型のカプセルを4つ取り付け、2つの寝室、キッチン、茶室とした。2021年秋より、宿泊施設として貸し出されることが決まっている。

2017年4月4日撮影 © Jérémie Souteyrat
2017年4月4日撮影 © Jérémie Souteyrat

静岡新聞・静岡放送東京支社ビル

設計:丹下健三
所在地:東京都中央区銀座
竣工:1967年

JR新橋駅に近い、外堀通りと西銀座通りが交わる角に立つ高さ57メートル、地上12階の社屋。メタボリズム思想から生まれ、円筒形のコアから箱型のオフィスが張り出す特異な形状をとる。2枚目の写真では手前左に見える。これを回り込むように走るのが東京高速道路。汐留方面に向かう右手には中銀カプセルタワービルが立つ(赤茶の屋根がかすかに見える)。2棟とも建てられた当時は周辺で最も高いビルだった。

2017年7月7日撮影 © Jérémie Souteyrat

2017年7月7日撮影 © Jérémie Souteyrat
2017年7月7日撮影 © Jérémie Souteyrat

(写真・文:ジェレミ・ステラ バナー写真:2022年3月以降の取り壊しが決まった中銀カプセルタワービル=東京都中央区、2016年7月23日撮影)

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