【Photos】宗像大社:日本人の祈りの原点を現代に伝える聖域
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2016年の年明け早々、一本の電話が入った。九州でイベント会社を経営している知人からで、宗像大社(福岡県宗像市)を撮影してほしい、というのだ。しかし僕はその春に写真展を2つ控えていてほとんど余裕がなかったし、2006年から2014年まで出雲大社と伊勢神宮の遷宮を撮影していたので、しばらくは神社の撮影から離れようと思っていた。
無碍(むげ)に断るのも失礼だと思ったので、まずは宗像大社のことを少し調べてみることにした。関連書籍やネットで宗像大社の歴史を知るうちに、何よりもまず沖ノ島が僕を引きつけた。文明社会に侵されていないその島は、今も古代の祈りの形がそのまま遺(のこ)されているという。海の向こうで未知の世界が僕を待っている。そう思うと矢も盾もたまらず、福岡便に飛び乗った。
観光客を拒絶する世界遺産の島
2月19日、小型ボートをチャーターして沖ノ島に渡った。禊(みそぎ)のために素っ裸で海に入る。真冬の玄界灘は身を斬られるような冷たさだ。いよいよ沖ノ島での撮影が始まるのだ。古来いくつもの禁忌に守られた“神宿る島”。一般の立ち入りが厳しく禁じられているこの島で極寒の海に漬かりながら、どんな神の気配を感じることができるのかと期待に胸が高鳴る。
島の中腹にある沖津宮(おきつみや)に向かう。鬱蒼(うっそう)と茂る原生林の中にある急峻(きゅうしゅん)な石段を登り、ようやくたどり着いた沖津宮は巨大な岩と岩の間にひっそりと佇(たたず)んでいた。沖津宮の社務所には神職がただ一人、日々の奉仕を行うため10日交代で滞在しているという。

12名の神職が10日交代で365 日お仕えし、毎朝、玄界灘に漬って禊を行ってから沖津宮へ向かう。海が荒れた場合、前任者が奉仕日数を延長して島に残る

鬱蒼とした木々に囲まれた沖津宮への参道
沖津宮の奥はさらに神秘的な領域で、4世紀後半から9世紀の祭祀遺跡がそのままの状態で遺っていた。岩の上、岩陰、土の上などが、社殿を持たない祭場だという。そこには祭祀に使われた勾玉(まがたま)や鏡、陶磁器などの破片が散らばっている。中には原形をとどめているものもある。沖ノ島には、一木一草一石たりとも持ち出してはならぬ、という厳しいおきてがあり真摯(しんし)に守り継がれているため、遺物が当時のままに残されているのだ。
こうした光景を目の当たりにして、この純粋で素朴な祈りの場、これこそが自然崇拝に根ざす日本人の信仰のルーツなのだと直感した。古代の人々は、万物に宿る神(霊性)の存在をもっと身近に感じながら生きていたのだろう。写真を通して、大切に守られてきた祈りの形をゆがめることなく伝えなければならない、と肝に銘じた。

沖津宮の社殿内から見えるのは、巨岩と原生林

巨石に囲まれている沖津宮の本殿

古代祭祀に使われた奉献品などが、祭場やその周辺の至る所に散らばっている

祭祀場跡から出土した金銅製の龍頭(りゅうとう)。沖ノ島の出土品は約8万点に上り、全てが国宝に指定されている。沖ノ島が「海の正倉院」と称されるゆえんだ

沖ノ島の全景。遮るもののない海と空の間に神域が鎮座する
日本人の祈りの原点を現代に伝える宗像大社
ちょうど15年前の2001年2月、僕はミケランジェロの彫刻を撮影するため、ローマの教会でキリスト像にレンズを向けていた。2000年に立ち上げたミケランジェロの全作品を撮影するというプロジェクトはさまざまな事情により頓挫しかかっていた。進退窮まっていた時、突然、天井の破れた薔薇(ばら)窓から光が差し、キリスト像を輝かせた。その光が “目には見えないもの”の存在(気配)を示唆してくれた。その時の啓示が僕を伊勢神宮、出雲大社へと導き、こうして沖ノ島の古代遺跡に向き合わせてくれたのだ。
7世紀後半には、沖ノ島と共通する祭祀が、49キロ離れた大島の中津宮(なかつみや)や、60キロ離れた九州本土の辺津宮(へつみや)でも行われるようになり、この広大な空間に展開する三宮からなる宗像大社が成立した。こうした「 宗像・沖ノ島と関連遺跡群」は、2017年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録された。千年以上もの間、手付かずで残された光景を将来世代に伝えていくことは写真家に与えられた使命だろう。日本人の信仰の起源、祈りの原点が確かにここにある。

沖ノ島から49キロ離れた大島の北側に立つ遥拝(ようはい)所。渡島が許されない沖ノ島・沖津宮をここから拝むための施設だ

大島にある沖津宮遥拝所の社殿内。天気の良い日は玄界灘のはるか彼方に沖ノ島が見える

本土にある辺津宮の境内。本殿と拝殿の周りには、75の末社に祭られた108神が集合分祀(ぶんし)されている

辺津宮本殿の脇に植えられた楢(ナラ)の木は樹齢およそ550年のご神木。太い幹が歳月の重みを感じさせる

辺津宮で行われる春季大祭に奉納される主基(すき)地方風俗舞

辺津宮の神門を潜ると拝殿があり、その奥には辺津宮の祭神・市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)を祭る本殿がある。門には宗像大社のご神紋である菊の御紋があしらわれている

満開の桜と心字(しんじ)池にかかる辺津宮の太鼓橋。鳥居手前の灯籠は出光興産の創業者・出光佐三が寄進したもの

辺津宮の広大な境内の奥にある高宮祭場(たかみやさいじょう)。社殿のない古代祭祀の形を今に遺している。市杵島姫神の降臨地とされている
写真と文=増浦 行仁
バナー写真=周囲約4キロの島全体がご神体とされ、古代よりあがめられてきた沖ノ島
