【Photos】マグロの値打ちを決める豊洲市場の熱い戦い
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豊洲市場(東京都中央卸売市場)、午前5時半。けたたましい鐘の音を合図に、200本ほどのマグロが並ぶ競り場は騒然となる。「卸会社(大卸)」の競り人がマグロの前に立ち、抑揚のあるダミ声を張り上げる。日本全国の魚介が集まる豊洲市場だが、各漁協から直接マグロを仕入れる大卸は5社しかない。そこに所属し、日々の競りを取り仕切るのが彼らの役割だ。

晩秋から正月にかけて豊洲市場の競り場には、黒いダイヤと呼ばれる国産本マグロがずらりと並ぶ
一方、すし店や日本料理店、スーパーなどから注文を受けて調達するのが「仲卸」だ。いざ競りが始まると、「仲買人」は目を付けた魚の前に立ち、指で数字を表す「手遣り(てやり)」という独特のサインを駆使して希望価格を提示し、競り人がてきぱきと落札額を決めていく。

競りは、仲買人たちの真剣勝負の場だ
1匹のマグロが3億円以上に
マグロの競りは「上げ競り」と呼ばれ、最初はキロ単価5000円前後から値をつり上げていく。落札の平均キロ単価は8000円から1万円前後。これが1年で最もマグロが高騰する年末から正月にかけては2万円、3万円と跳ね上がり、時に10万円を超えることも珍しくない。
例えば200キロのマグロがキロ2万円の価格で落札されたとしよう。漁師には卸値400万円のうち、およそ320万円が支払われる。漁協、卸会社の手数料に加えて輸送費、氷や箱代など合計2割強の経費が差し引かれるからだ。
2019年の初競りでは、最高級ブランドとして知られる青森県大間産の278キロの本マグロが、史上最高値の3億3360万円で落札され世間を驚かせた。豊洲開場後、最初の初競りというダブルのご祝儀相場とはいえ、1キロなんと120万円! 年明け早々に約2億6000万円が転がり込むのだから、漁師が「マグロ釣りはばくちだ」と意気込むのも分からないではない。

豊洲市場。毎朝、これだけの量のマグロが取引される市場は世界中を見渡してもない
漁師の命運を決める競りは、市場が「魚河岸」と呼ばれて日本橋にあった江戸時代から今日まで、連綿と繰り広げられてきた。そんな長い歴史を持つ水産大国・日本ぐらいでしか、1匹の魚に億単位の値がつく光景はお目に掛かれないであろう。
初競りとまではいかないが、日常の競りでもマグロが1本数百万円の高値で取引される場合がある。厄介なのは、大きさやブランドで値が決まるわけでないこと。季節や天候はもちろん、何よりもマグロそのものの品質でも大きく相場が変動する。それを見極めるのが仲買人の目利き力で、日々荒海で格闘する漁師の生活も彼らの眼力にかかっている。
瞬時に品質を見抜く直感力
競りの場で、緋(ひ)色のヤッケを着た精悍(せいかん)な顔つきの男がひときわ目立っていた。マグロ専門の仲卸「石司(いしじ)」社長の篠田貴之だ。
豊洲市場には約460軒の水産仲卸があり、その3分の1がマグロを取り扱う。ただし、最高峰である生の国産本マグロを専門に扱うのは数軒しかなく、同業者からは「上物師(じょうものし)」と呼ばれ、一目も二目も置かれる存在だ。特に80年の歴史を誇る石司の看板は、江戸前ずしの名だたる店を筆頭に全国各地の高級料理店から圧倒的な支持を受けている。

石司三代目・篠田の立ち居振る舞いは美しく、色気さえ感じさせる
仲買人の多くは競りが始まる1時間前、午前4時半頃から動き出す。切り落とされたマグロの尾の断面に懐中電灯をかざしたり、尾の身を手にとって脂の乗り具合を確かめたりする「下付け」に余念がない。魚の価値を決める判断材料を得ようとみな必死だ。しかし篠田が競り場に入るのは競り開始のおよそ15分前。下付けもそこそこに本番に臨む。
「高品質な国産の生の本マグロはごく一部で、そう何本もありません。私はマグロの風体、表面の張り、腹の脂の乗り具合などを参考にして直感で品質を見定めます。どんな基準で選ぶかと聞かれると困るのですが、これは言葉にするのは難しく、“勘”としか言いようがありません」

マグロの腹をめくり脂の乗り具合を確かめる「下付け」作業

同じ産地でも味、香り、食感は個体によって異なる
マグロには産地と総重量、実際に釣り上げた漁船名、そして漁法が書かれた札が添えられているのだが、情報はこれだけ。品質を見極める際、特に厄介なのが「焼け」が入った魚。釣り上げた時に必要以上に暴れられると、マグロの体温が急激に上がり、その部分の身が焼けたように劣化するのだ。焼けた部分は鮮やかな赤身が白っ茶けて、とても売りものにはならない。一見すると何の変哲もない赤身でも、身の奥に大量の焼けが潜んでいることがあり、それを見逃せば多額な損失となる。切り身にして初めてあらわになるその傷みを、限られた情報で瞬時に見抜く。それこそ、上物師の妙技と言えるのではないか。
「おいしい魚であることは当然ですが、すし職人によって好みが分かれます。柔らかい身を好む人、脂の濃い魚が好きな人。中には色が良くなければ絶対に嫌だという人もいるので、そうした好みを頭に入れておいて競り落とすのです。時には、その魚を握る職人の顔を思い描きながら、注文が入っていなくても、先回りして買うこともあります。だから腹をさばく時が一番緊張します。お客さまの望む魚だったかどうか、答え合わせをするようなものですから」
巧みな包丁さばきによる解体作業
この日、篠田が競り落としたのは大間産の184キロと、同じく津軽海峡の日本海側にあたる青森・三厩(みんまや)産の204キロの2本だった。
そのマグロを「ネコ」と呼ばれる荷車に乗せ、競り場に併設された石司の店舗へ運ぶと、早速解体が始まる。ここで登場するのが日本刀をほうふつとさせるマグロ専用の迫力ある包丁だ。

競り落としたマグロは、荷車に乗せて急いで店舗へと運ぶ。旬を迎え、丸々と肥えたマグロは運ぶのも大変だ

マグロ包丁という独特の刃物を使って、数人がかりで解体する

腹を割って初めてその魚の価値が分かる。緊張が走る瞬間だ

半身にしても、2人がかりでないとさばけない

部位によってさまざまな包丁を使い分ける

マグロの聖地「大間」の札をつけたマグロを求めて、早朝から客がやってくる
目利きへの信頼
マグロは上体を支えている中骨から上を「背」、下を「腹」と呼ぶ。またエラから背びれまでを「カミ」、真ん中を「ナカ」、尾っぽに近い部分を「シモ」と称する。私たちが「トロ」と呼ぶ腹の部分の中でも、脂の乗りが良い頭側は「腹カミ」となり、最も高値が付く。晩秋から真冬にかけ、寒さにあらがうように脂肪を蓄えた本マグロの腹カミは、息をのむほど美しい。
「専用の包丁で解体するのですが、頭と背骨の部分を除くと使える部分は7割程度と意外と歩留まりが悪い。1匹のマグロから取れる腹カミの量は限られていますから、誰もが手に入れられるわけではないのです」

最も希少な腹カミ。「サシ」と呼ばれる白い筋の脂肪が入り、見ているだけで食欲をそそられる
石司の店舗には早朝から、代わる代わる有名すし店の職人がやって来る。不思議なことに、彼らは決して値切るようなまねはしない。
マグロ漁の最盛期を迎える真冬の津軽海峡は風速30メートル、波の高さが7メートルを超える大しけも珍しくない。しばらく漁に出られない日が続くと、豊洲にも上物が届かないことになる。それでも仲卸のプライドから、天候を理由に客に「魚がない」とは言えない。だから天気図とにらめっこをしながら、先回りしてマグロを競り落としておく。そんなマグロにまつわる厳しさを熟知し、何より篠田を信じているからこそ、一流の職人は言い値で魚を持ち帰るのだ。
「時には桁外れの高値になるマグロですが、必ずしも高いものが良いものとは限りません。結局、その価格はマグロを食べるお客さまの懐に跳ね返ってきますから、誰もが納得できる値段で長きにわたっておいしいマグロを提供できればと思っています。私はもっともっとマグロについて知りたいし、勉強したい。一生をかけて追いかけたくなるような奥深い魅力をマグロは秘めているのです」
写真=鵜澤 昭彦
文=中原 一歩
取材協力:豊洲市場鮪仲卸「石司」
バナー写真:石司三代目の篠田。マグロをさばくその表情は鋭く、真剣そのものだ。