【動画】阿波十郎兵衛屋敷、今も変わらぬ母子の別れ

文化

『ととさまの名は十郎兵衛と申します』という台詞で有名な人形浄瑠璃の「傾城阿波の鳴門(けいせいあわのなると)」を上演し続けているのが、徳島県川内市にある県立「阿波十郎兵衛屋敷」だ。

年間集客、やっと3万人

人形浄瑠璃は、映画、漫才などの娯楽が増えた、昭和初期から衰退の一途をたどった。だが、阿波(徳島)の人形師、太夫、三味線、それに人形座は終戦直後の1946年に結集して伝統ある『阿波の人形浄瑠璃』を復活させようと、専用劇場を設えた博物館「阿波十郎兵衛屋敷」を興した。しかし、かつては庶民の中に根付いていた人形浄瑠璃だが、今や残念ながら年間の観客は「やっと3万人」(佐藤憲治・地域文化コーディネーター)という。

場所は、300年前の実在の人物、板東十郎兵衛の屋敷跡にある。十郎兵衛はコメの搬入の監視役を務めていた。その頃の江戸幕府は、兵器、食糧を集めることを禁止していたため、他国のコメの搬入は事実上の密輸入で犯罪。運の悪いことに、輸入米をめぐり部下の不正が判明し、十郎兵衛は検査役として、藩と江戸幕府の板ばさみとなり、罪状あいまいなまま悲運にも処刑された。その後、妻の「お弓」と娘の「おつる」も病死した。

おつるとお弓の涙の別れ

処刑から70年後、この悲運を題材に作られたが、人形浄瑠璃「傾城阿波の鳴門」。動画で上演されているのは、八段目「順礼歌の段」だ。

物語は、主君の名刀「国次」が盗まれたことから、その探索を命じられた十郎兵衛が妻「お弓」とともに盗賊の仲間入りをし、役人に追われながら刀を探すというストーリー。

ある日、十郎兵衛の大阪の隠れ家に、両親を探す娘の「おつる」が西国順礼をしながら訪ねてくる。母親・お弓は、親子であることを名乗ると盗賊の罪が娘に及ぶと恐れ、我が子であるとは告げずに送り返す。気落ちしながら帰る娘のおつる、涙を押さえながらそれを見送る母親、有名な母と子の別れのシーンだ。

建物内には、阿波木偶(でこ=人形の首)の展示や、十郎兵衛の遺品の数々が展示してある。

タイトル写真=中野 晴生 文=原野 城治 取材協力=徳島県立阿波十郎兵衛屋敷

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