迷走する日本の大学

人材育成:日本の大学の何が問題か

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博士号取得者の就職難(ポスドク問題)や法科大学院の“失敗”など、混乱が続く日本の高等教育政策。一方、グローバル化を意識した入試改革が打ち出されるなど、大学そのものが新たな対応を迫られている。改革の焦点と背景を、文部科学行政のエキスパートが解説する。

15歳学力向上も、新制度導入では混乱

まず日本の文部科学政策立案の特徴について指摘しておきたい。文部科学省・教育委員会・学校の内部コミュニティで完結できる分野では成功していることも少なくないが、外部を含めて開放型の新制度を導入する場合に混乱することが多い。新たな教育を、どれくらいの数の学生が受けて、どのくらいが所期の成果をあげるのかといった歩留まりや量的イメージ、実現のための具体的な計画策定が十分でないままに新制度がスタートし、混乱が起きることが多いのである。

文部コミュニティの自己完結型の成功例としては、15歳の学力向上がある。OECDが3年ごとに行っている学習到達度調査(PISA)で、2012年、34加盟国中で総合1位に返り咲いた。いずれもフィンランドを上回っている。小学生の朝の読書活動などが全国津々浦々の学校で徹底され、日本の小学生の不読者率(1カ月に1冊も本を読まない小学生の比率)は3.8%まで下がった。平均では、1人が月に11冊も本を読んでいる。驚異的な徹底ぶりである。

法科大学院、ポスドク問題はなぜ起きたか?

一方で、開放型の失敗例としては、法科大学院やポスドク問題などが挙げられる。法科大学院構想については、閣議決定された法曹人口の拡大が、弁護士会の反対で実現しなかったことと、各大学の無理な設置認可申請に対して、「競争して淘汰されればいい」という考えに流され、過剰認可を承知で認可したことで、後に混乱した。

大学院の拡充方針自体は、世界では博士号を持っていないと就けない職も増えているので、誤ったものではなかった。しかし、我が国では緊縮財政の下で、大学や研究所などの若手ポストが増えず、多くの日本企業は博士号取得者を使いこなせず、博士号取得者による起業も活発でなく、博士がその能力を活かした仕事につけないというポスドク問題が発生した。

制度発足当初は、新制度への期待から有意な人材が集まるが、教育を受けた若者がハッピーな出口に恵まれず、まず若者に失望感が広がる。その結果、有意な人材は入ってこなくなり、実社会が受け皿を用意したころには学生の質を確保できなくなり、今度は、実社会側に失望感が広がるという悪循環になる。

この背景には、予算単年度主義と目玉政策にこだわる政治やメディアも影響している。制度発足当初は目玉政策として予算が獲得できるが、次年度には別の目玉政策を打ち上げるため、既存予算は微減となる。従って、準備が不十分なままに見切り発車せざるをえない。予算を基金化して5年で使うようなことができれば望ましいが、財務省は嫌がる。

理工系重視の成果と今後の不安

戦後一貫して理工系教育を重視して投資を行ってきた結果、日本の国立大学の理工系ではST比(Student Teacher Ratio、教員と学生の比率)も世界的な水準を確保し、さらに研究室制度のもとで先輩が後輩を指導する「屋根瓦方式」の指導により、有意な理系人材の育成に成功してきた。

2000年以降、我が国はノーベル賞受賞ラッシュに沸き、しかも、地方公立大学出身者の受賞も相次いでいる。何十年か前の日本が理工系教育・研究体制に対して充実した投資を行った成果である。

今でも、理系研究論文引用数をみれば、東大の物理が世界で3位、京大の化学が4位、阪大の免疫学が4位、東北大学の材料が5位といった高レベルを維持している。しかし、この水準を維持できるかは、大いに疑問だ。将来を嘱望される優秀な人材が修士卒で産業界に入ってしまい、博士に9.9%しか進まない。また、他国が軒並み予算を増額しているなか、ここ15年間予算は増えていないため、大学や公的研究機関での若手ポストが増えていない。

これらの対策としては、博士号取得者を、民間企業や起業でも活躍できるよう、さらに国際的な博士人財市場(新興国の大学・研究機関、企業)に応募できるよう、博士人材教育の充実(本来の研究能力に加え、グローバル・コミュニケーション能力、プロジェクト・デザイン・マネジメント力、社会問題解決能力)を図っていく必要がある。この点は、すでに、リーディング大学院プログラムが実施されており、33大学の62プログラムで約3300人の学生が学んでおり、2017年度から、いよいよプログラムの修了生の多くが社会に輩出される。

長年放置されてきた貧弱な文系教育

こうした理系に比べ、多くの問題を抱えているのが大学の文系教育である。そもそも、我が国は高等教育に対する投資が欧米に比べて極めて貧弱である。米国においてはGDPの2.6%であるのに対して、日本は1.5%である。しかも、理系教育に投資を優先してきたあおりで、文系に対する投資は数十年にわたって貧弱な状態が続いている。

こうした貧弱な文系教育が許されてきたのは、1990年代半ばまで、日本の大企業が20代の若者に対する教育(OJT含む)一手に引き受けてきたからであった。しかし、バブルがはじけ、企業もリストラの嵐を経て、若手人材育成の余力がなくなった。同時に、労働者派遣の規制緩和とも相まって非正規社員が増大したが、企業は非正規社員には投資しない。

企業の若手人材への投資が激減したことから、日本の若者の能力が一挙に低下し、突然、大学文系教育への期待と要請・要求が高まった。しかし、企業にとって代わるべき国家は、財政難と政治的リーダーシップの欠如、納税者の理解不足から、若者人材投資を十分に行えていない。

手探りの文系大学教育改革

また、産業界の側も何を大学に要請し、何を企業で行うかについて意見統一がされていない。大学をGlobal型、Local型に分けて、Local型には実務能力をといった提案もあれば、経団連が2015年9月に出した「国立大学改革に関する考え方」では、「産業界の求める人材とは、即戦力ではなく、基礎的な体力、公徳心に加え、幅広い教養、課題発見・解決力、外国語によるコミュニケーション能力、自らの考えや意見を論理的に発信する力を、初中等教育段階で身につけた上で、大学・大学院では、学生がそれぞれ志す専門分野の知識を修得するとともに、留学をはじめとする様々な体験活動を通じて、文化や社会の多様性を理解することが重要」と指摘している。

文部科学省は、高大接続改革の議論を精力的に行っており、2015年8月に、課題発見・解決力養成を目指したアクティブ・ラーニング導入と高校教員の質と数の改善が必須との方向を示した。また、知識・技能偏重、マルチプル・チョイス形式偏重の大学入試を改め、思考・判断・表現力を評価する記述式重視などの方針を打ち出した。同時に、国立大学協会においても、高校時代の活動歴をより評価するため、AO・推薦入試枠を入学定員の3割まで広げることが同年9月に合意された。

さらに、大学段階でも、実社会での問題解決に資する能力を養成するPBL(Project Based learning, Problem Based Learning)の導入などが必要で、そのためのカリキュラム・ポリシー改革などが打ち出されている。

人材確保、教員増こそ急務

しかし、一番肝心なのは、それらの改革を具体化するための人材を確保すること、まさに、長年放置されてきた文系教育でのST比の改善こそが重要である。そのためには、文系教育への予算投入増、民間寄付増、授業料増などが必要となるが、大学=レジャーランドという何十年も前のステレオタイプが世の中には根強く残っており、日本の文系大学教育に対する投資拡大・負担増について関係者の理解を得られていない。

一方で、企業も寄付先として日本の文系大学をパッシングし、一部の優秀な高校生も文系大学をパッシングし、優秀な日本人教員・研究者も文系大学をパッシングし、米国の大学に行ってしまう動きが加速している。

しかし、米国の有名私立大学の授業料は、日本の国立文系大学の授業料の10倍を越える。英国や米国の公立大学、オーストラリアなどにおいても、日本人に対する授業料は高く設定され、奨学金も自国民が優先する中、国際的に高度な文系教育にアクセスできる日本人はごく一部の富裕層か抜群に優秀な高校生に限定されてしまう。だからこそ万民に開かれた、一定の質を確保している日本の大学教育を守る必要がある。こうした懸念をメディアも告知すべきである。

戦略的な大学経営の必要性

関係者の理解と支援を勝ち得ていくには、大学と文部科学省が成功事例を作り上げていくしか道はない。そうしたなかで、戦略的な大学経営が強く求められている。文部科学省からも、SGU(Super Global University)構想や、特定研究大学構想、学長権限の強化(学校教育法の改正)などが打ち出され、特色ある大学づくりが期待されている。

しかし、大学が企業のように「選択と集中戦略」を採れるのか?はたして適切なのか?改革の負担をだれが、どのように担っていくべきなのか?社会の様々な関係者が真剣に熟議していくことが望まれる。その際、大学人は、政府がそうした議論の場を設けるのを、待つのではなく、自ら論点を洗い出し、世論を啓発し、熟議を起こしていく必要がある。

仮に、とるべき戦略が決まったとして、実現・実行できる専門スタッフを、現在の大学だけで発掘、育成、活用、評価、処遇することは難しい。さらに、大学経営が、企業経営や政府の運営と何が同じで何が違うのか、理論的整理も至急行う必要がある。

1980年代の米国の大学も、国防やエネルギーの政府予算が大幅に削減され、大学経営モデルの抜本的変更を迫られた。同時に、大学経営のプロフェッショナル育成と登用・活用が始まった。米国を参考にできる点と参考にできない点を見極めながら、経路依存性も考慮し、新たな日本の大学経営モデルを考案し具現化することが喫緊の課題となっている。生みの苦しみはしばらく続くであろう。

バナー写真:2015年3月の東京大学卒業式。3160人が卒業した。=東京都文京区の東大・本郷キャンパス(時事通信フォト)