日印関係のこれから

日印戦略的パートナーシップと「中国要因」:まだ定まらない「地域主義」と「同盟ネットワーク」の両立

政治・外交

日本・インドの戦略的パートナーシップには、「アジア圏としての経済連携強化」と、米国を中心とする「同盟システムへのインドの統合」という2つの異なる要素が存在する。筆者は、近年に要素が両立し得たのは「偶然の産物であった」と指摘。日印関係そのものが、中国、米国との関係に大きく影響されながら進んでいると分析する。

日印関係の構図:接近は「米国の衰退」への保険?

米印戦略的パートナーシップは、国際システムにおけるインドの地位と責任をめぐるディールである。中国を「競争相手」と位置付けたブッシュ政権の下で米国は、「民主主義の価値を共有する」インドに「戦略的パートナー」の資格を与えた〔QDR 2006〕。2008年に成立した米印原子力協定は、インドに「事実上の核保有ステータス」を承認し、兵器、先端技術供与を解禁した。一方インド側は米国の戦略を支持することが求められた(原子力協定はインドの対イラン政策の変更を前提としている)。インドが米国の主導する秩序において責任を果たす見返りに、米国は既存秩序におけるインドの地位の上昇(=台頭)を承認し、また責任を果たすための能力強化を支援するというディールが、米印戦略的パートナーシップの構図であった。

それでは日印戦略的パートナーシップは、どのように位置付けられるのか。新進気鋭のインドの政治学者、ジョシとパントは、これをパワー・トランジションに対応する両国の戦略と見る。相対的パワーの衰退する米国が、アジアにおけるパワー・バランスの維持に失敗する可能性をヘッジ(保険をかける)するために、防衛、経済、多国間制度の3つの分野にわたる日印協力が成立していると分析する(※1)。「3重のヘッジ」は、興味深い説明ではあるが、対中懸念の共有がなぜ、どのような日印協力につながるのかの論理が不明確であり、また時期による協力の変化を説明できない。

「同盟ネットワーク」に懐疑的だったインド

日本の視点からみれば、日印戦略的パートナーシップには、「東アジア成長圏へのインドの連結」と、アジアにおける「同盟システムへのインドの統合」という2つの異なる要素が存在する。ここでは仮に前者を「アジア地域主義」志向、後者を「同盟ネットワーク」志向と呼ぶ。

前者は主として経済的動機に導かれており、東アジアのグローバル・バリュー・チェーンにインドを参画させることによって地域と日本の持続的成長を目指すものである。東アジア首脳会議における日印協力、インドに対する交通インフラ輸出などがその例である。

後者は、アジア太平洋地域の安定を支えてきた米国の同盟システムの外延に、インドを取り込むことを目指すものである。日米豪印4カ国協力(QUAD)などがその例である。2008年の日印安全保障協力共同宣言も、日本では同盟ネットワーク化として期待された。

 「アジア地域主義」が、その不可分の構成員たる中国を排除しては成立しないのに対して、「同盟ネットワーク」では、中国は敵対者とまではいかなくても他者と位置付けられる。米印の戦略的関係が深化する状況下においては、「地域主義」と「同盟ネットワーク」が日本の対インド政策の中で両立した。インドを東アジア共同体の構成員と捉えるにせよ(鳩山政権)、民主主義の同盟の一角と捉えるにせよ(安倍政権)、対インド政策での違いは生じなかった。しかしインドは、「同盟ネットワーク」に対して常に懐疑的であった。

05年の東アジア首脳会議発足にあたって、中国の影響力突出を懸念した日本がインドの参加を後押ししたことはよく知られているが、インド側は東南アジア諸国連合(ASEAN)との連結性への関心から東アジア経済圏への参入を求めたのであり、中国の影響力に対する懸念を共有していたとは思われない。筆者が08年に聞き取りを行ったインド外務省担当者らは、「印中関係は日中関係よりも成熟している」と述べ、中印国境問題での強い対応とは裏腹に日印協力における中国要因をミニマムに見せようとする意図が見受けられた。

彼らの言う「成熟」は、日中間のバランスをとる行動に表れている。07年4月、初めての日米印3カ国共同訓練が房総南沖で行われた際に、インド海軍艦艇は青島にも寄港して中国と共同訓練を行った。12年6月、日印2国間で初めての共同訓練が相模湾で行われた際も、上海に寄港しており、インドはこれらの訓練が日米同盟への接近というメッセージとならないように気を使っていた。

中国の攻勢に「航行の自由」支持へ

こうしたインドの同盟ネットワークへの警戒は、2010年から15年までの間に段階的に変化していく。第1段階は、日米印協議(11年)への参加に表れているが、この前年にセカンド・トラックの「日米印戦略対話」(共同議長:アーミテージ元国務副長官、葛西JR東海名誉会長、ダス元CII首席顧問)の参加者たちは、中国の攻勢的外交・軍事姿勢に「全ての参加者」が懸念を抱いていた点で「従来との違い」を感じていた〔「米日印戦略対話」ステートメント〕。

この背景にあるのは、国境問題に加えて、2010年ごろから登場する「近隣諸国における中国の軍事的影響力の拡大」というインド国防当局の新たな脅威認識である〔国防省『年次報告』)。また、10年6月に、菅首相が民生原子力分野での協力是認に転換したことも、インドの態度変化に影響を与えたであろう。

第2段階は、南シナ海問題に対するベトナムやフィリピンの立場への共感と支持に表れている。インドはベトナムとの間で沖合油田の共同開発を進めてきたが、11年に中国がこれを非難し、南シナ海においてインド艦艇の通航を妨害する事案が発生した。インドはこれを契機に「航行の自由」への支持を発信するようになり、12年のASEAN地域フォーラム(ARF)閣僚会議では南シナ海問題の文脈で明言している。

「航行の自由」は、10年に米印間および日印間で首脳間の共同声明に初めて登場し、14年に米印間で、15年には日印間でも「南シナ海」が言及されている。インドは東アジア成長圏が同盟ネットワークによって支えられているというASEAN諸国の認識を共有したのであり、南シナ海における自らの権益(資源開発と対越関係)、ASEANを中心とする地域秩序維持におけるリーダーシップ、日米との共通の立場という、3つの目的を具現するシンボルとして「航行の自由」を採用した。そして15年、米印共同訓練マラバールへの日本の「定期的」参加をインドは容認した。

インド洋で「主要国」海軍と協力

「航行の自由」を含む普遍的価値の援用は、2017年5月の一帯一路への不参加表明、18年6月のシャングリラ会議におけるモディ首相のインド太平洋地域への関与表明でも明確になっている。この背景には、中国海軍のインド洋での展開に対するインドの懸念がある。インドは、中国海軍による海賊対処への原子力潜水艦の派遣(14年)、ジブチ補給基地建設(15年)を注視しており、とりわけ中国潜水艦によるコロンボ港寄港(14年)に大きな懸念を抱いた。また、同年中国海軍が南シナ海からスンダ海峡経由でインド洋に進入して訓練を行ったことについて、インド人研究者は中国のマラッカ・ディレンマ克服のサインと受け取った。

インド海軍が主要利益圏と定義するインド洋における中国の影響力拡大が現実となったことで、「主要国」海軍との協力(≒米日豪仏など)が、インドにとって有益と認識されたのである。15年に発表されたインド海軍の『海洋安全保障戦略』では、「すべてのアクターが国際的規範と法を順守」し、「海軍力に裏打ちされた強い協力」を行うという表現があり、潜在的なかく乱主体としての中国を示唆している。また同戦略では、「安全保障提供者」としての役割を自ら引き受けている。

中国・米国にかかる要因から踏み出す必要も

日印の戦略的パートナーシップは、現時点で見ると確かにパワー・トランジションに対する日印両国のヘッジ戦略と見える。しかしそれは、パワー・バランスを計算した合目的的戦略というよりは、2005年から18年の間、日印双方にとって「地域主義」と「同盟ネットワーク」とが両立するに至ったという偶然の産物である。

本稿で見た通り、この両立を可能としたのは、2つのインド側における「中国要因」である。第1に、インドの東アジア経済圏との連結を求める「ルック・イースト」政策が、中国の南シナ海、インド洋進出によって、安全保障政策の意味合いを帯びた「アクト・イースト」政策に転換したことである。第2に、海洋安全保障の分野で米国やその同盟国・友好国と協力して責任を果たすことが、中国と対等な大国になるための手段の一つと認識されたことである。

注意を要するのは、いずれの「中国要因」の背後にも「米国要因」があることである。すなわち、成長の東アジア「地域主義」を裏打ちする米国のコミットメントへの信頼、そしてインドを大国として処遇する米国のディールの2つが、インドの「同盟ネットワーク」への接近を可能としてきた。しかし2019年トランプ政権は、米印貿易不均衡やロシアからの兵器購入に関して、厳しい目をインドに向けるようになり、インドでは米国から特別扱いされる時代は終わったという認識が出ている。

過去15年にわたって日印間ではARF、東アジア首脳会議、G20などの枠組みにおける協力を通して、アジア「地域主義」の秩序概念の共有が進んだ。それは中国の単独主義、あるいは力による秩序であってはならないという了解である。しかし、この了解はいまだ観念的なものであり、具体的な政策に反映されていない。

またインドを「同盟ネットワーク」につなげる試みは、よく知られるインドの「戦略的自律」のみならず、米印間のディールの変更により制約される。今後の日印パートナーシップは、中国要因からも米国要因からも少し踏み出すことが必要であろう。日本としては、「地域主義」に向けて、たとえば多国間交渉のサイドラインで大胆なディールを行う(例:東アジア地域包括的経済連携=RCEP=交渉)、あるいは「同盟ネットワーク」に向けて、逆説的ではあるが海洋安全保障分野における同盟ネットワーク・マイナス米国(例:日印とASEAN島しょ地域、日印とインド洋沿岸国)の協力を推進することなどが考えられよう。

バナー写真:インドを訪問した習近平・中国国家主席(右)とモディ首相=2019年10月21日、インド南部マハーバリプラム(提供:India News Bureau/Best Image/アフロ)

(※1) ^ Yogesh Joshi & Harsh V. Pant  “Indo-Japanese Strategic Partnership and Power Transition in Asia,” India Review, 14:3. 2015.

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