「人権外交」と日本の対応

なぜ人権外交が重要視されるようになったのか:戦後日本外交の歴史から回顧する

政治・外交

経済と日米安保を最重視する「吉田路線」から、安倍政権が導入した「価値外交」を経て、日本外交は「人権外交」重視の潮流にどう向き合うべきなのか。

いま、人権外交が注目されている。もちろん人権の重要性への認識は今に始まったわけではなく、1948年12月に採択された世界人権宣言や、日本が79年に批准した国際人権規約などに見られるように、それは戦後のリベラルな国際秩序の基盤として冷戦期から冷戦後の世界に至るまで、国際社会で重要視されてきた規範である。

とはいえ、日本外交を考える上でこの問題がその中核に位置するようになってきたのは、比較的最近のことである。それにはどのような理由と背景があるのか、そしてなぜ現在の国際社会においてこの問題が従来以上に重視されるようになったのか。ここでは、現代国際社会における人権という規範の位置づけの変遷と、日本外交におけるその位置づけを概観することにしたい。

日本外交における「失われた側面」

戦後の日本外交は、リベラルな国際秩序の基盤として人権という規範が埋め込まれているということ、さらには1970年代以降に人権外交の潮流が国際社会で高まりを見せたということを、必ずしも十分に認識してこなかった。そもそも、戦後日本外交の基本路線ともいえる、吉田茂首相が確立したいわゆる「吉田路線」は、五百旗頭真元防衛大学校長によれば、「軽装備、安全保障の対米依存、経済と通商の重視」をその特徴としており、人権や民主主義といった価値を擁護することにあまり大きな重要性が置かれていなかった。(※1)それゆえ、依然として日本の外務省の中では、日本が擁護すべき重要な価値や規範について真剣な検討がなされるという機会は見られない。

いわば戦後日本外交の一つの特徴は、日米同盟という安全保障枠組みを強化することや、高度経済成長を促進することのような、軍事力や経済力に目を向ける物質主義(マテリアリズム)であった。それゆえ、国際的な規範や価値を擁護し、促進することについては、独特なシニシズムが見られるのだ。例えば、アパルトヘイトによる人種差別が国際的な批判を浴び、制裁を受けていた南アフリカとの間でも日本は支障なく貿易を拡大していき、1980年代には最大の貿易相手国となっていた。

それは、1919年のパリ講和会議で、人種差別撤廃条項の挿入を強く要望して、世界から人種差別をなくそうとした日本外交にとっては、あまり整合性のとれない立場ではないか。また同時に、89年の天安門事件の直後に日本はG7サミット参加国のなかで唯一、対中制裁に反対し、欧米諸国と足並みを揃えることはなかった。当時は中国にとって日本との経済関係は重要な位置を占めていたため、日本はこの問題をめぐって国際社会と共同歩調を示すことにより、影響力を行使することができたはずだ。しかしその機会を活かすことはなく、国際社会に背を向けて、そのような中国における人権弾圧の現実から目を背ける結果となった。

戦後日本外交において人権外交がいわば「失われた側面」であったことは、それに対応する外務省内の組織が不十分であったことや、『外交青書』の中で必ずしも人権に関する記述が十分に割かれていなかったことにも示されている。あくまでも条約局(国際法局)のような法解釈と、特殊言語を活かした地域局での活躍を経て、多くの者が外務省の幹部になっていった。また、『外交青書』においても、人権に関する記述が一定以上の紙幅を割くことは稀であった。

例えば天安門事件後の、国際社会が中国に対する制裁や批判を強めていた時期に、日本の外務省は『外交青書』の中でほとんどそれについては触れていない。1990年度版の「中国」に関するセクションに、中国政府の民主化の弾圧や人権侵害について批判する表現は見られない。むしろ「『6.4事件』は、中国の国際社会におけるイメージを大きく損なったが、90年1月には北京市の戒厳令を解除し、90年5月には89年3月以来施行されていたラサ市の戒厳令も解除した」と記述することで、事態改善へ向けた中国共産党政権の通り組みを肯定的に評価するような論調が見られる。(※2)それは明らかに、人権外交が新しい潮流として重要な位置を占めるようになった欧米諸国の多くとは異なる対外姿勢であった。

「価値外交」の台頭

「価値外交」を日本外交の中核に位置づけたのは、2006年9月に成立した第一次安倍晋三政権であった。安倍政権の外交戦略を構想することになるのが、谷内正太郎外務事務次官、そして安倍首相や谷内次官と近い関係にあった兼原信克外務省総合外交政策局総務課長であった。

2006年11月30日に、麻生太郎外相が東京のホテル・オークラで、「『自由と繁栄の弧』をつくる」と題する政策演説を行った。これは、日経BP主任編集委員出身の外務副報道官谷口智彦氏がスピーチライターとして起草するという意味でも、従来の外相の演説とは一線を画するような、明確な主張やメッセージが含まれる内容であった。(※3)

その演説の冒頭で麻生外相は、次のように述べる。「さて皆さん、本日は『価値の外交』という言葉と、『自由と繁栄の弧』という言葉。どちらも新機軸、新造語でありますが、この二つをどうか、覚えてお帰りになってください」。

ここで「価値外交」が「新機軸」であるということは、戦後の日本外交が吉田路線で示される通り、物質主義的に経済利益を追求することや、日米安保関係を強化することを中核に位置づけたものであったことからも、理解できるだろう。だが、そのような「新機軸」であり、新しい外交路線である「価値外交」は、外務省の内外からの抵抗や批判に直面することになった。

それでは、日本が擁護すべき価値とは何か。谷内氏は次のように述べる。「ちなみに普遍的価値は何かと言われれば、自由、人権、民主主義、法の支配、市場経済を含むものだと考えている。価値観外交とは何かという議論があるが、安倍政権のときの『価値の外交』というのは、外交においてもそうした普遍的価値観を重視し、尊重するということだ」(※4)

このように、第一次安倍政権で「価値の外交」を構想し、立案していった中心人物である谷内次官、兼原課長、谷口副報道官は、2012年12月に成立した第二次安倍政権ではその後、それぞれ、国家安全保障局長、国家安全保障局次長、そして内閣審議官として、そのような「価値外交」をよりいっそう力強く促進していった。そして、第二次安倍政権において、「価値外交」は花開いていくのである。

このようにして、戦後の日本外交は第一次および第二次安倍政権を通じて、従来の「吉田路線」を越えて「価値の外交」を促進する「新機軸」を加えることになった。第二次政権においては、そのような「価値の外交」への抵抗はより限定的となる。また、2016年8月以降は「自由で開かれたインド太平洋」構想として、日本の外交路線が米国、英国、欧州連合(EU)、オーストラリア、インド、東南アジア諸国連合(ASEAN)などからの幅広い支持を得られるようになる。

価値外交から人権外交へ

とはいえ、このような価値外交は民主主義や法の支配といった普遍的価値の擁護を目指すものであって、必ずしも人権外交と同義ではない。人権弾圧が見られた場合、日本外交がそれに対してどのような姿勢を示すのかという問題は、依然として難しい問題となっている。

例えば、中国新疆におけるウイグル族弾圧という人権侵害への批判や、ミャンマーにおける軍事クーデターと軍事独裁政権による市民への武力行使への批判に対して、それら両国と緊密な経済関係にある日本の立場が曖昧であることが、国際世論からの批判を受けている。

日本は依然として、ジェノサイド条約(集団殺害罪の防止および処罰に関する条約)に調印していない。新疆ウイグル自治区の人権弾圧に対応する上で、そのような日本の立場が現在批判にさらされている。また、主要先進国が制定している人権侵害をした個人や組織を対象に資産凍結やビザ発給制限などを可能とする、いわゆるマグニツキー法が日本では制定されていないこともまた、しばしば批判を受ける源泉となっている。それらの法的基盤がないために、日本政府はどうしても人権弾圧に対して実効的に対応するためのツールが不足して、主要な自由民主主義諸国と足並みを揃えることができないのだ。

そのことからも、人権外交を推進するための議員のイニシアティブによる新しい動きが出ている。例えば自民党人権外交プロジェクトチーム(PT)は今年の5月27日に、「わが国の人権外交のあり方検討第一次提言」をとりまとめている。

その提言では、「2000年代半ば以降、自由、民主主義、基本的人権、法の支配等の普遍的価値の実現を目指す『価値の外交』を推進し、これまで『自由で開かれたインド太平洋(FOIP)』といった外交コンセプトのもとで、日本が自由主義的な国際秩序の維持・強化に一層主体的に関わってきたことは、人権擁護をより強く求める国際的な潮流とも合致する動きであった」と、これまでの価値外交の推進を高く評価している。その上で、「わが国がさらに一歩先に進むには何が必要か。『対話』と『協力』により人権問題の解決を図る日本外交の基本姿勢を重視しつつも、人権外交をさらに推進するための『仕掛け』が必要である。その具体化は、日本の国益にも直結するものである」と提言している。(※5)

このような動きの背景として、世界的に人権外交が強化されている潮流がある。すなわち、米国政府はトランプ共和党前政権、バイデン民主党政権ともに、中国国内における人権侵害にきわめて厳しい姿勢を示している。欧州でも、経済的な利益を重視して対中批判に抑制的であった従来の姿勢を転換しつつある。そのような潮流の中で、日本だけが取り残されることは好ましいことではないだろう。

日本外交がこれまで同様に経済利益の追求を重視して、また「対話」と「協力」を通じた人権状況の改善を促しながらも、同時に国際的な潮流と調和する形で人権規範が尊重されるための独自の努力を行うことは可能であろう。

単純な経済利益の追求という冷笑的なリアリズムに堕することなく、また欧米における規範を唯一絶対の正義として非欧米世界に押しつけることなく、日本独自のアプローチで普遍的価値を擁護し、浸透させていくための外交努力は可能なはずだ。それこそが、日本が推進すべき価値外交であり、人権外交であろう。

バナー写真:主要国首脳会議(G7伊勢志摩サミット)のワーキングセッションに臨む安倍晋三首相(手前左)=2016年5月27日。同会議では「自由,民主主義,基本的人権の尊重,法の支配といった普遍的価値に立脚したG7」が強調された。(時事)

(※1) ^ 五百旗頭真編『第3版補訂版・戦後日本外交史』(有斐閣、2014年)15頁。

(※2) ^ 外務省『平成2年版外交青書』(外務省、1990年)https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1990/h02-3-1.htm#c3

(※3) ^ 鈴木美勝『日本の戦略外交』(ちくま新書、2017年)74頁。

(※4) ^ 同上。

(※5) ^ 自民党政務調査会「外交部会 わが国の人権外交のあり方検討プロジェクトチーム第一次提言」2021年5月27日。https://jimin.jp-east-2.storage.api.nifcloud.com/pdf/news/policy/201677_1.pdf

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