経済安全保障をめぐる課題

岸田政権の経済安全保障戦略:まずは「守り」のツール整備か

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岸田首相が制定を目指す経済安保推進法の概要が、次第に明らかになってきた。サプライチェーンの強靭(きょうじん)化など、法整備における主要な論点を解説し、その背景にある政府の戦略を探る。

2022年の岸田内閣における重要課題の一つは、経済安全保障推進法案の提出であろう。政権が発足してから3カ月余りが過ぎたが、その中でいくつか見えてきたものもある。ここでは、断片的に表れてくる論点をつなげながら、岸田政権がどのような経済安全保障戦略を展開しようとしているのか、検討してみたい。

キャッチアップ戦略

岸田政権は、目下のところ経済安全保障推進法案を最優先課題として取り組んでおり、小林鷹之経済安保担当相を中心に、法案作りに集中している。この法案の詳細は明らかにされていないが、すでに報じられているところを総合すると、新たな法案では四つの分野での法整備がなされることになりそうである。その四つの分野とは、サプライチェーンの強靭化、科学技術基盤の強化、非公開特許制度、基幹インフラの防護・維持である。中でも、他の分野に先駆けて進めなければならないと考えられているのが非公開特許制度である。

特許は一般に公開されるものである。公開された技術情報を基に、特許権を持たない者がその特許を侵害しないよう、同じ技術を使わないようにすることが前提となっており、もしその技術を用いるのであれば特許料を支払うという制度である。そのため、特許は公開が原則となってきたが、それは同時に、安全保障に関連する機微な技術の情報も公開することを意味する。特に、人工知能(AI)やロボティクスなど、これまで民生技術として開発されてきたものが、軍事目的に転用される事例が多くみられており、中国は「軍民融合(civil-military fusion)」を推し進め、技術の軍民の区別がつきにくくなっている。

日本には、こうした軍民両用性の高い新興技術に関する特許も少なからずあるが、それらが無防備に公開されることへの懸念が高まってきたことが、非公開特許制度の導入を優先課題とする理由である。しかし、そうした懸念以上に、自民党や経産省が非公開特許制度を優先するのは、OECD諸国において、この制度がないのは日本とメキシコだけであり、日本が特許を全て公開しているため、日本から技術が流出し、中国やロシア、北朝鮮などの潜在的な戦略的競争相手に使われた場合、西側諸国から批判されることを懸念している。

つまり、岸田政権の経済安全保障の戦略には、まずは日本の制度的な不備を改善し、日本が国際社会において責任のある国として認められること、諸外国(西側諸国)で導入されている制度にキャッチアップすることが重視されているといえよう。

サプライチェーン見直しが急務

次に重視されているのはサプライチェーンの強靭化である。これは日本だけの問題ではなく、米国においても2020年2月には大統領令が発出され、サプライチェーンの見直しが行われており、EUでも欧州議会でサプライチェーンのレジリエンスが議論されている。自由貿易が浸透し、グローバル市場が一層統合され、サプライチェーンに戦略的競争相手である中国が深く組み込まれている。イデオロギー・政治体制・人権概念・軍事のあらゆる分野で対立的な関係にある米中関係も、経済では深く相互依存関係にあり、国家間対立が激化すれば、中国は経済制裁や輸出制限と言った措置をとって、日本や米国に対して経済的な強制力を行使する可能性が高い。実際、台湾に圧力をかけるためにパイナップルなどの輸入を制限し、世界保健機関(WHO)に武漢の研究所を調査するよう求めたオーストラリアに対しては、農産物や石炭、鉄鉱石の輸入を止めるなど、中国は対立する相手に対して経済的圧力をかけるのが常とう手段となっている。

こうした圧力に対して、戦略的競争相手である中国への依存を減らし、部品や素材、原料などの輸入元を多様化し、重要な戦略的物資に関しては備蓄を増やすなどの対応が考えられる。法案の中にどのような形で書き込まれるかは不明だが、少なくとも、まずやらなければならないのは、サプライチェーンの再検討であり、どの程度中国に依存しているのかを知ることである。

こうしたサプライチェーンの強靭化ですでに実施されているのが、半導体分野に関するものである。半導体はあらゆる電化製品に使われるものであり、極めて戦略性の高い部品であるが、先端的なロジック半導体はほとんどが輸入に頼っている。また、新型コロナの世界的蔓延によってゲーム機やスマートフォンに使われる半導体需要が高まり、他方で寒波や工場の火事などで供給が停滞したことで、世界的な半導体不足が起こっている。

そうした中で、安定した半導体のサプライを確保するためにも、日本国内での半導体生産を増強する必要性が認識されている。そのため、政府はロジック半導体の世界最大メーカーである台湾のTSMCの工場を、その建設費用の半分を補助金で賄うことを約束して誘致した。半導体のような戦略物資に関しては、政府は多額の補助金を供してでもサプライを安定させることが政治的に優先度の高い政策となっている。

基幹インフラ維持の重要性

岸田政権における、もう一つの政策的優先課題は「デジタル田園都市構想」と呼ばれる、国内のデジタルインフラの整備とデジタルトランスフォーメーション(DX)という行政システムのデジタル化である。新型コロナの対応において、日本は感染情報の伝達にファクシミリを使い、国民に向けて給付金を支給する際も書類のやり取りで行い、さらにはワクチン接種記録もデジタル化されていなかったため、接種状況の集計などに大きな事務労力を割く結果となった。こうした状況を改革すべく、政府が先頭に立ってデジタル化を進め、民間企業の活動や地方自治体の業務にも波及することが期待されている。

そうした中で重要になってくるのは、DXを支えるインフラの整備である。すでに政府は市町村レベルでの光ファイバーの設置などに積極的に予算をつける形で政策を進めているが、今後問題になってくるのはデータセンターの問題である。日本ではクラウドサービスなどの需要が高い首都圏や関西圏にデータセンターが集中し、一極集中によるリスクが高まっている。こうした状況を踏まえ、データセンターの分散化とそれを支えるインフラの整備、そしてそれらのインフラをサイバー攻撃や物理的な攻撃から防護するための措置、さらにはこれらのインフラにどの程度戦略的競争相手である中国製品が使われているかを明らかにすることが必要となる。

岸田政権はこうした問題について、まだ十分な対応をしているわけではないが、政府内では議論が始まっており、今後の戦略に反映されていくものと思われる。

高度・新興技術への対応も

科学技術は国際競争が激しい分野であり、特に新興技術(emerging technologies)は誰がその技術で優越的な地位を獲得するかによって、他国への依存が高まるかどうかが決まってくる。そのため、科学技術への更なる投資が必要とされるが、これは積年の課題であり、一朝一夕に解決する問題ではないだろう。

しかし、日本が開発する高度な新興技術が他国に移転され、軍事転用されることは避けなければならない。そのため、政府は軍事転用可能な新興技術分野を定め、中国人留学生がそれらの分野で日本の技術を学ぶことを制限する、また、それらの技術を含んだ製品が外国に輸出されることを制限する必要が出てくるであろう。日本が優位性を持つ技術を特定し、外国による軍事転用を避けることが最終的に日本の安全保障に資することになる、というのが岸田政権の考え方だと思われる。

「守り」の姿勢超えた次の戦略構築を

岸田政権の経済安全保障戦略は、現時点では、上述した四つの分野における法的、政策的ツールを備えることを最優先課題としている。しかし、それはあくまでもツールを揃えることに目的があり、全体の戦略を描いた上でツールを揃えているとは言えない状況である。

しかし、おぼろげながらに見えてきたのは、岸田政権の経済安全保障は「守り」に徹するという姿勢である。非公開特許制度やサプライチェーンの強靭化、重要インフラの整備・防護といったことは、他国への技術流出や依存状況を改善し、戦略的自律性を高めることを目指しており、他国による介入や圧力を回避することが目指されている。科学技術基盤の強化も、日本が優位性を持つ分野で、その立場を維持し、外国への流出を避けるという「守り」の姿勢が明らかである。

こうした中で、日本は世界第三位の経済大国としての市場のパワーや、新興技術における優位性などをいかにして地経学(geo-economics)的パワーに転換していくのか、そしてそのパワーを使って国際秩序を形成していく役割を果たせるのか、ということが次なる戦略的課題となるであろう。

バナー写真:「経済安全保障法制準備室」の看板を掲げる岸田文雄首相(右)と小林鷹之経済安全保障担当相(左)=2021年11月19日、東京都港区(時事)

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