経済安全保障をめぐる課題

岸田政権の「新しい資本主義」と「経済安全保障」:自由貿易体制の曲がり角に対応不可避

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岸田政権が目玉政策と位置付ける「新しい資本主義」の諸施策に、なぜ経済安全保障が含まれるのか。ウクライナ戦争が長期化の様相を見せる中、新時代の経済成長戦略と安全保障の関連を読み解く。

5月11日に参議院本会議を通過し、成立した経済安全保障推進法は、岸田政権の目玉政策の一つである。岸田政権において経済安全保障は、政権が進める「新しい資本主義」の一部をなすとされており、日本の経済構造、官民関係を変容していく原動力として位置づけられている。果たして、政権が掲げる「新しい資本主義」と「経済安全保障」はどのような関係にあるのか、またそれは実現可能なのだろうか。

「新しい資本主義」は新しいのか?

すでにさまざまなところで、岸田政権の「新しい資本主義」については議論が巻き起こっているが、多くの批判が集中するのは「この政策のどこが新しいのか」という点である。おそらく一般的な解釈としては、岸田政権の前任となる安倍政権、菅政権における新自由主義的な政策、すなわち金融政策と財政出動、規制緩和を通じた経済成長ではなく、分配に重点を置いた経済政策を行うということになろう。つまり、「新しい資本主義」とは、高度経済成長期の日本のように、政府がいわゆる行政指導を通じて産業を誘導し、それが経済成長につながり、その成長の果実を分配するという、「昭和な経済政策」にほど近いものになり、その点では新しさを感じない経済政策なのではないかと思われる。

しかし、「昭和な経済政策」と異なるのは、経済成長の原動力となる政策が4つの分野に示されており、それらはかつての大量生産による消費財の生産ということではなく、科学技術・イノベーションによる高付加価値産業の育成、「デジタル田園都市構想」による地方活性化、カーボン・ニュートラルの達成を目指したグリーンエコノミーへの投資、そして「経済安全保障」であるとされている。低成長時代における高付加価値産業、特にグリーンエコノミーによる成長は欧州においても推進されている政策であり、十分に理解できるが、「経済安全保障」による経済成長という主張は、必ずしも直感的に納得できるものではない。

岸田政権では、経済安全保障政策を通じて、「経済構造の自律性の向上、技術の優位性ひいては不可欠性の確保」を通じて、日本の経済活動や社会構造を守り、国民に安心・安全を提供するということが目指されている。そして、経済安全保障を確立することで、「この分野に民間投資を呼び込み、経済成長も実現」させるとしている。果たして、安心・安全を提供することが民間投資を呼び込むことを可能にするのだろうか?

圧力回避と経済合理性の狭間

岸田政権が進める「新しい資本主義」の成長戦略の中に含まれる「経済安全保障」だが、それが意味するところは「他国が経済的手段により、政治的圧迫や価値観を強制する行為に対し、それに対抗できる能力を持つこと」と言える。グローバル経済が進展する中で、経済的な相互依存関係は以前より強まっている。しかし、一方では「敵対的な国家」と経済関係を深く結ぶことは、政治的な緊張が高まった場合、政治的な目的で敵対的な国家が経済的に依存している品目やサービスを断絶することによって圧力をかけてくる可能性がある。

このような定義に基づけば、経済安全保障の推進は、すなわち他国からの強制を回避するため、敵対的な国家に依存している品目を備蓄する、調達先を多様化する、代替品を開発するといった措置をとることを意味する。しかし、一般的に考えれば、他国に依存しているというのは、それが経済的に合理的であり、敵対的国家であったとしても、その品目を特定の国家から調達するのは、それが「安くてよいもの」だからである。つまり、経済的合理性に基づけば、安全保障上懸念がある相手であっても取引を行うことになる。しかし、そうした経済合理性は、しばしば安全保障上の合理性と対立するものである。敵対的国家に依存することは安全保障上、望ましいことではなく、そのリスクを回避するために、経済的合理性に反してでも、より安全な調達先から輸入することが適切ということになる。このように経済安全保障の概念は、経済的合理性よりも安全保障上の合理性を優先する、というニュアンスが含まれる。
つまり経済安全保障とは、すなわち、経済成長よりも、安全保障上の利益を優先するということを意味する。岸田政権が目指す経済成長のためには、経済的合理性を追求し、自国の比較優位にある産業を強化し、比較劣位にある産業は他国への移転などを通じて合理化しなければならないが、経済安全保障を推進することはそれに反することになる。また、岸田政権が主張するように「民間投資を呼び込む」としても、経済安全保障の観点からすれば、敵対的国家の影響下にある資本による投資はスクリーニングして排除するという措置をとる。

実際、2019年に行われた外為法の改正では、外国資本による株式保有の報告義務が10%から1%に下げられ、より厳しく敵対的国家による投資をチェックするという制度となっている。果たして、これは経済成長に結びつくような政策となるのであろうか?

諸外国でも「暗中模索」続く

経済安全保障が求められるのは、何も日本に限ったものではない。世界中のあらゆる国がグローバルな経済に統合されつつ、安全保障上、対立的関係にある国家はいくらでもある。その典型例が、ロシアに対して経済制裁を科そうとする欧州諸国であろう。ロシアにとってチョークポイントとなる天然ガスの制裁に関しては、欧州諸国があまりにもロシアに依存しているため、容易に制裁を科すことができない。逆にロシアは日本を含むG7諸国やEU諸国に対して、天然ガスの供給停止やサハリン2の国有企業への譲渡を求めるなど、西側諸国のロシアへの依存を逆手にとって、経済的な強制を実施し、制裁を解除するよう圧力をかけてきている。

こうした中で、欧州各国も経済安全保障、すなわち、ロシアからの経済的手段による圧力を回避すべく、ロシア産の天然ガスへの依存を減らそうと液化天然ガスの受け入れ施設の増設や、代替エネルギーへの転換を進めようとしている。しかし、こうした措置はロシアとの対立が決定的になる前に備えておくべきものであり、実際にロシアが圧力をかけてから対応しても遅すぎるという問題は残る。

こうした観点で注目されるのが、米中対立における米国の経済安全保障の考え方である。米国はトランプ政権時代に環太平洋連携協定(TPP)の離脱などを含む自由貿易からの後退を進め、戦略的競争相手である中国との「デカップリング」を進めようと、対中関税を一方的にかけていく政策を採った。こうした政策はバイデン政権になってからも原則として継続され、自由貿易による相互依存のリスクが意識されている。

また、バイデン政権は就任直後からサプライチェーンの見直しの大統領令を発出し、半導体や大規模蓄電池などのサプライチェーンを安定させることを目指している。ただ、日本の経済安全保障と異なるのは、米国におけるサプライチェーンの見直しは、敵対的な国家に対する依存だけでなく、外国に対する依存一般を警戒し、サプライチェーンを国内に戻す「Reshoring」が強調され、自国に戻せない場合は同盟国や友好国からの調達を強化する「Friend-shoring」を進める、という方向性が示されている、という点である。

この点で、米国の経済安全保障は、より保護主義的な色彩が強く、バイデン政権に入ってからも「バイアメリカン法」の強化などを進め、外国への依存を減らし、自国産業を優先する政策を採っている。外国資本による投資もCFIUS(対米外国投資委員会)によるスクリーニングが行われ、日本の資本による投資も審査の対象となる。こうした点から見ると、各国の経済安全保障政策はさまざまなバリエーションを伴うが、いずれも経済的合理性と安全保障上の合理性との間でどのように折り合いをつけるか、暗中模索を続けている。

経済安全保障の時代へ

岸田政権が進める「新しい資本主義」と「経済安全保障」は必ずしも相性が良いというわけではなく、経済がグローバル化する中で、敵対的国家に対する依存が政治的なリスクになるため、経済成長を進める前に、まずはそうしたリスクを回避するための措置をとっておくべき、という前提条件として位置づけられていると考えるべきであろう。他国の経済安全保障政策を見ても、この時代において、敵対的国家に依存することのリスクはどんどん大きくなり、そのリスクを回避しなければ、経済成長も分配も期待出来ない、という認識が高まっているように思える。

言い換えれば、岸田政権における「新しい資本主義」の新しさとは、戦後一貫して続けられてきた自由貿易体制が曲がり角にさしかかり、経済的合理性だけを追求して経済成長を目指すことは安全保障上のリスクが大きすぎるため、経済安全保障を確立した上で経済政策を進めなければならない、という点になるのかもしれない。経済的合理性と安全保障上の合理性のバランスを取りながら、経済成長を追求することこそ、21世紀における新しい資本主義のあり方なのだろう。

バナー写真:総合科学技術・イノベーション会議で、模型を前に量子コンピューターの説明を受ける岸田文雄首相(左端)=2022年6月2日、首相官邸(時事)

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