防衛基本方針の改定に向けて

日本が抱える安全保障・防衛政策の課題―三文書の改正をめぐって

政治・外交

ウクライナ戦争、そして「台湾有事」も取りざたされる米中対立の激化など、日本の安全保障環境は切迫さを増している。筆者は、「安全保障三文書」にエネルギーを割くよりも、政府は自国の抱える防衛上の欠陥を直視し、その是正を次々と進めるべきだと指摘する。

今でも通用する現行の国家安全保障戦略

安全保障三文書の改定と防衛費の大幅増加が日程に上っている。

まず、安全保障三文書とは何なのか。それを確認するところから始めたい。

三文書の最上位にあるのは、国家安全保障戦略(2013年12月)である。これが制定されるまで、驚くべきことに、戦後日本に包括的な安全保障戦略は存在しなかった。

存在したのは、ただ一つ、1957年5月20日、岸内閣が閣議決定した「国防の基本方針」である。それゆえ、国家安全保障戦略は、国防の基本方針を改定したものということになる。

国防の基本方針は、極めて短いものである。最初に、国防の目的について、「国防の目的は、直接及び間接の侵略を未然に防止し、万一侵略が行われるときはこれを排除し、もって民主主義を基調とするわが国の独立と平和を守ることにある」と述べている。極めて真っ当なものである。

そして、この目的を達成するための基本方針として、「(1)国際連合の活動を支持し、国際間の協調をはかり、世界平和の実現を期する、(2)民生を安定し、愛国心を高揚し、国家の安全を保障するに必要な基盤を確立する、(3)国力国情に応じ自衛のため必要な限度において、効率的な防衛力を漸進的に整備する」という三点を挙げている。これまた真っ当なものである。

そして、最後に、「(4)外部からの侵略に対しては、将来国際連合が有効にこれを阻止する機能を果し得るに至るまでは、米国との安全保障体制を基調としてこれに対処する」とある。これが、実際のところ、日本の防衛政策の基調となったのである。

この文書の欠点の一つは、国連の役割に対する過大な評価である。当時、創立から12年しかたっていない国連に対する期待は高く、特に、56年に加盟したばかりの日本の期待は高かった。また、1950年に勃発した朝鮮戦争では国連軍が組織されており、国連による安全保障ということも、まったく考えられないことではなかった。しかし、その後、一度も国連軍は組織されていないし、かつてのような国連に対する高い期待は日本にも世界にもない。

もう一つ、この国防の基本方針の問題点は、簡単すぎて、具体性に欠けることである。

それゆえ、2013年の国家安全保障戦略の制定は画期的であった。

そこには、国際協調に基づく積極的平和主義という方針が打ち出され、日本自身の防衛努力、同盟国との協力の強化、世界の安定のための努力が主張されている。これらは、今でも十分通用するものである。

この中には、中国の脅威については、十分強調されてはいないし、ロシアの脅威についての言及もない。また16年以後安倍内閣が打ち出した「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)という概念には触れられていないし、QUAD(クアッド、日米豪印の協力枠組み)についての言及も当然ない。

しかし、この文書を改定して、中国の脅威をさらに強調し、ロシアの脅威を強調したら、日本はより安全になるだろうか。答えは否である。この文書の範囲で必要な政策を進めればよい。また、FOIPやQUADも、大枠は打ち出されているから、淡々と必要な政策を進めればよいのである。つまり、国家安全保障政策は、必ずしも改定する必要はないのである。

防衛計画の大綱と中期防衛力整備計画

国家安全保障戦略の下には、防衛計画の大綱という文書があって、近年は5年に一度ほど改定されている。そこでは、日本の防衛のあり方が述べられており、その下に、中期防衛力整備計画があって、具体的に必要な防衛力の整備方針が述べられている(以下、大綱および中期防と略記)。現在のものは、2018年12月に定められたもので、「2019年以降の大綱」「2019年以降の中期防」と呼ばれている。

大綱は、冷戦の終焉(しゅうえん)後、1995年、2004年、10年、13年、18年に改定され、それぞれ「1996年以降の大綱」「2004年以降の大綱」などと呼ばれている。中期防についても「1996年以降の中期防」「2004年以降の中期防」と呼ばれている。

これらは、「安全保障と防衛力に関する懇談会」等の名称の首相の私的諮問機関が設置され(自衛隊、防衛省、外務省OB、学者、財界人等などからなる)、その議論を踏まえて関係省庁が取りまとめることが通例である。

この会議には、その時々の課題が反映されている。

例えば、1995年のものは、元来ソ連の脅威を対象としていた日米安全保障条約が、冷戦終焉後になお必要なのか、なぜ必要なのかを考えるところから出発している。

2004年には、01年の同時多発テロとその後のアフガニスタン戦争、イラク戦争が背景にあった。また09年の懇談会(自民党政権崩壊のため、大綱には至らなかった)は、北朝鮮のミサイルと核が念頭にあった。10年には、尖閣問題の緊張が意識され、またそれまでの北方重視の転換が図られた。13年には陸海空の3自衛隊の統合が重視されるようになり、18年にはサイバー、宇宙、電磁波などのマルチ・ドメインの重視が図られた。

このような懇談会方式は、悪くはないが、どうしても現状維持的で変化が遅くなるという欠点がある。日本の意思決定はコンセンサスによることが多い。また、防衛省・自衛隊のOBが参加して、陸海空の妥協で決めていくため、変化は遅く、少しずつしか進まない。

例えば、かつての基盤的防衛力は、1970年代の半ばから2010年まで維持された。また北方重視は、2010年まで変わらなかった。18年には、後述のように、専守防衛は維持された。

成果上げた安倍改革

これと著しい対象をなすのは、第二次安倍内閣における一連の改革である。

2013年12月には特定秘密保護法が制定された。日本では情報の漏洩(ろうえい)が甚だしかった。それでは同盟国との情報共有が困難であるため、安倍内閣は、これを取り締まるための法律を、世論の批判を押し切り、内閣支持率が下がるのは覚悟の上で成立させた。

同年同月、国家安全保障会議(NSC)と、これを支える国家安全保障局(NSS)が設立された。これも長年の課題であり、日本の安全保障の司令塔が、ようやくできたのである。これと合わせて、国家安全保障戦略と14年以降の大綱、中期防も成立した。

14年には、防衛装備品移転三原則が定められた。それまでは、武器輸出が事実上禁止されており、その結果、国際共同生産もできなかった。歴代の安防懇でも、柔軟化が求められていたが、ようやく、ここで実現した。

また、14年には安保法制懇の提言を受けて、集団的自衛権の行使の部分的解禁が閣議決定された。そしてこの解釈変更を踏まえて、15年、安倍内閣は新しい平和安保法制を、野党の強い反対を押し切って成立させた。

同じ15年、安倍晋三首相は戦後70周年談話を発表し、日本が侵略したことを認め、改めて謝罪するとともに、今後の世界平和への貢献の決意を述べ、世界の大部分の国々の理解を得た。これも日本の安全に大きく寄与する行動であった。

その後、16年には、ケニアのナイロビで、自由で開かれたインド太平洋(FOIP)という構想を打ち出し、米国やG7から賛同を得ているのも、以上の実績に立脚するものである。いずれも、安倍首相のリーダーシップが決定的に重要であって、懇談会を設置した場合でも、首相の問題意識を明確に示し、適切な人選を行なって、議論の大枠をリードした。

防衛予算の考え方

私は、三文書改定にエネルギーを割くよりも、現実の事態の切迫に鑑みて、首相のリーダーシップによって、目の前にある欠陥の是正を、次々と進めるべきだと考えている。とくに重要なのは、武器の調達と訓練であり、その鍵は予算である。

日本の防衛予算には二つの大きな特色がある。一つは、同盟国の歓心を買うため、米国から最新の武器を買うこと、もう一つは国民に対して予算はGDPの1%以下であると、その小ささを強調することである。

その結果、中間部分が欠落している。つまり、先端的な武器はあるが、弾薬や人員が著しく不足しており、武器や基地を守る体制も脆弱である。これを補い、継戦能力を高め、抗堪性の高い、すなわち縦深性のあるものとすることが必要である。

現在、防衛費を従来の1%弱から2%に上げることが議論されている。しかし、実際には諸外国は軍人年金や海上保安の費用は軍事費に計上するので、日本もそうすれば、1.3%近くになる。さらに上記の欠陥の是正を進めれば、それほど急激な軍拡になるわけではない。

また、日本の人員不足は、日本全体の少子化のせいでもあって、容易に克服できない課題である。これに対応するためには、第1に無人化、第2に給与や手当ての引き上げ(とくに不足が深刻な海上自衛隊)、第3に女性等も活躍できる環境・制度の整備が必要である。また、傭兵もあり得るだろう。人類史では傭兵が長い歴史を持っており、現在はロシアですら傭兵を持っている。また日本の在外公館やJICAの在外事務所の多くは、外国の警備会社に依存しており、これも一種の傭兵である。

反撃力の整備を

今回、大きな課題は反撃力の整備である。

日本は長年、専守防衛政策を取ってきており、歴代の防衛白書や大綱などにも明記されている。しかし、厳密にいうと、専守防衛という戦略はあり得ない。戦争になれば、領土を取ったり取られたりすることがあり、奪還作戦は当然攻勢となるのであって、純然たる専守防衛はあり得ない。しかるに歴代政府は、日本は守り、米国が攻撃を担うという役割分担論によって、日本の政策はもっぱら防衛であると主張してきた。

歴代の内閣で、唯一、攻撃の可能性について述べたのは、鳩山一郎内閣のときの敵基地攻撃能力についての発言で、これは、敵のミサイルがまさに発射されようとしているときには、座して死を待つべきではなく、この基地を叩くことはあり得る、という形で述べられた。

しかし、それは現在の軍事技術では不可能である。相手の基地は地下を含め多数存在し、これを事前に叩くことは、ほとんど不可能である。他方で、もし攻撃されたら反撃するのは正当な防衛の一部であって、その場合、攻撃対象はその基地に限らず、広く相手の軍事システム全体を対象としてよい。その意味で、私はこれを反撃力と名づけ、その保有が必要だと2007年ころから論じてきた(※1)

18年の安防懇では、北朝鮮よりも中国の方が重大な脅威であるという認識があり、ミサイル防衛はもはや有効ではないという見方があったのに、大きな変更はなされなかった。近年、ようやく専守防衛を厳格に守るのではなく、また敵基地攻撃ではなく、反撃力を整備することによって、全体として相手の攻撃を思い止まらせる、つまり抑止するという議論が多数を占めつつあるようであるが、ずいぶん長い時間がかかったものである。

いずれにせよ、これは必ず実現する必要がある。大綱でも中期防でも明記されることが望ましいが、専守防衛は精神であって政策でないと考えれば、専守防衛という概念を変えなくても、反撃力は持てる。

目の前にある課題を実行可能に

以上、要するに、安全保障政策の骨格はかなり出来上がっているので、これを実行可能なものにすることが急務だと私は考える。

その他にも課題は多い。

たとえば台湾有事になると、日本の基地から米軍が出撃する可能性が高いが、その時は事前協議が行われるはずだが、その用意はあるのだろうか。

台湾有事があったとき、日本は中国在住の10万人を超える日本人、台湾在住の2万人を超える日本人を避難させられるだろうか。

水陸両用部隊の建設が進んでいるが、仮に尖閣が奪取され、これを奪還する場合、猛烈な空爆や艦砲射撃の後でしか、上陸作戦はできない。その準備がなされているのだろうか。

沖縄の普天間基地の移転が進められているが、巨額の費用と長い年月が必要である。それで近い将来の有事に間に合うのだろうか。

最後に、文書の改定に取り組むのなら、根本的には憲法改正であろう。私は憲法改正なしに、さらに解釈を柔軟化することで対応可能だと考えるが、政府は憲法改正が必要だという意見らしい。それなら、憲法改正に前向きな政党が、発議に必要な3分の2を占めている現在、ただちに自民、公明、維新、国民などの党派で共通の改正案を取りまとめ、国会に提出すべきではないだろうか。コンセンサスの成立を待っている時間はないはずである。

バナー写真:陸上自衛隊部隊の装備を視察する岸田文雄首相(手前)=2021年11月27日、陸上自衛隊朝霞駐屯地(時事)

(※1) ^ どのような反撃力が必要かについては、私は森聡教授と共著で、論文を発表しているので、そちらを参照されたい。「ミサイル防衛から反撃力へ―日本の戦略の見直しを」『中央公論』2021年4月号所収

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