G7首脳を迎えるヒロシマ

核兵器が使われたらどうなるか、広島で考える

政治・外交 社会

G7首脳はサミットに集った被爆地ヒロシマで、何をし、何を感じるべきなのか。世界の紛争地で取材し、現在は核問題を研究する筆者が指摘する。

この文章を目にしているあなたにとって、広島という土地はどこか縁遠いところかもしれない。1945年に人類史上初めての原子爆弾を米軍が投下した都市であるということは知っていても、実感は湧かないかもしれない。

日本有数の観光地でもある広島で、原爆ドームと並ぶもう一つの世界遺産「宮島」にある大鳥居のイメージを思い起こす人もいるだろう。いずれにせよ、1945年の原子爆弾の歴史というのはまさに、ガイドブックで紹介される過去の一コマに過ぎないように思えるかもしれない。縁遠い土地で昔起きた戦争の悲劇であり、心は痛むけれども、それだけの話としか受け止められないとしてもおかしくない。

だが、1945年8月6日に広島で、9日に長崎で起きたことは、あなたにとっても決して「他人事」ではないのだ。

広島では5月19日から、主要7カ国首脳会議(G7サミット)が開かれ、核兵器を持つ米国や英国、フランスも含めた「西側」の首脳が集まる。このタイミングでぜひ考えてほしい。核兵器が使われたら、どんなことが起きるのか。

私は、ずっと考え続けている。特に1年ほど前からは、ウクライナを侵略したロシアのプーチン大統領が、核兵器を使うこともためらわないという、あからさまな威嚇(いかく)姿勢をみせているので、なおさらだ。

「がん」と似ている戦争

私は記者、ジャーナリストとして33年間、新聞社で仕事をした後、今は広島市で平和学・国際関係論の研究者として博士論文を書いている。そのテーマは、核兵器だ。

記者としては、冷戦後に世界各地で起こった紛争現場、ホットスポットに、しばしば足を運んだ。パキスタン核実験、コソボ紛争でのNATO空爆、米軍がはまった泥沼のイラク……。最近では、2014年にウクライナからクリミアをロシアが併合し、ドンバス地方で「独立」を主張する親ロシア派勢力とウクライナ軍の戦闘が始まった際も、現地に赴いた。

人間社会にとっての戦争は、人体にとってのがんのようなものだと私は考えている。がんをなくしましょうと訴えるだけではがんはなくならない。がんの仕組みを知る必要がある。同様に、戦争のことを知り、そのメカニズムを理解することが戦争を遠ざけるための一歩であり、ジャーナリストや国際関係論の研究者が寄与すべき道はそこにある、と信じている。

「核を使うな」という被爆者の訴え

もう30年以上前、私は広島と並ぶ被爆都市の長崎で、駆け出しの記者として働いていた。そこで、原爆被爆者の取材に身を賭して携わった故・伊藤明彦さんというジャーナリストに出会った。ラジオ局記者として原爆被害の取材を始めた伊藤さんは、1970年に会社を辞めてからは全くの手弁当で、広島と長崎で原爆に遭った人たちをこつこつとインタビューし、1003人の声を集めた。

その伊藤さんが私に生前、語ってくれた。今も地球上に何万発もある核兵器が、長崎の次に使われてしまうようなことがあれば、被爆した人たちが叫び続けてきた「自分たちを最後にして、もうこんな兵器を使わないで」という訴えが無になってしまう。強い危機感がそこにはあった。

その危機感はいま再び、私にはリアルに思えてくる。

死んだのは市民と子供ら

現在の広島にいると、目に入ってくる情景は平和そのものだ。爆心から数分南に歩くと、「平和大通り」がある。街路樹の緑が濃い、落ち着いた風情で、そこではずっと前から、人々が当たり前のように平和な暮らしを享受していたかのように錯覚してしまう。

だが、この通りの存在そのものが戦争の産物なのだ。そして、原爆の非人道性が集約された象徴的な通りでもある。

1945年、日本を標的とした米軍の戦略爆撃(空襲)によって中小都市も含む日本の都市部が焦土化した中、広島は例外的に、ほとんど無傷であった。

しかし、いつかは標的になるだろうということは誰でも容易に予想できた。日本の軍当局は、広島市中心部の市街地の一部を取り壊して広大な防火帯となり、避難にも使える道路を作ることにした。それが今の平和大通りである。

広島平和記念公園周辺

戦争は終盤にさしかかり、兵役年齢の多くの成人男性は徴兵ですでに戦場へ駆り立てられていた。そこで、多数の旧制中学や女学校の生徒たちが動員されて、壊した家屋の整理などに携わった。1945年8月6日の朝も、彼らはそこに集合して、作業を始めかけていた。

だから、原爆が上空で炸裂した時、爆心直近の地域には、本来の人口比から見ても不均衡なほどのティーンエイジャーたちがいた。少なくとも6000人の生徒達が亡くなった。平和大通りには今も、彼らが作業していた場所近くなどに、学校ごとの慰霊碑が建っている。

とんでもない数の子供たちや、軍とは何の関わりもない人々が亡くなった。それこそが、広島、長崎での最初の核兵器使用の本質だったのだ。

恐るべき核兵器の非人道性

広島、長崎ではいったい何人が原爆の犠牲になったのか、という基本データすら、実は分からないまま今に至っている。記録が消失してしまったのだ。言い換えれば、名前のある人間として生命を終える尊厳すら認められずに亡くなった人々がいた。核兵器が本質的に持つ無差別性の一つの断面だ。

核兵器の非人道性のもう一つの特性は、時間軸すら超えて被害をもたらすという面にある。原爆投下直後には元気な様子をみせ、周りを安堵させたのに、何年もたってから放射線の影響で死の淵に引きずり込まれた、多くの人々がいる。

核兵器は、「ずっと前に使われた大きな爆弾」などではない。今も現実に配備されている兵器で、使用されれば確実に、市民を巻き添えとして長期間にわたって非人道的な被害をもたらす。世界にはなお、1万2000発以上の核兵器が存在する。全部を爆発させれば、人類を滅亡させて余りある。

だから、核兵器の問題はあなたにとっても、実は「自分ごと」になる可能性を秘めている。核兵器が使われたらどうなるのか、という問いは、人類全員に直接関係しているのだ。

考えるべきは「保険」でなく実際の「被害」

核兵器を保有する国々の政府は、「われわれは核兵器抑止のために持っているのであって、使われない限り使うつもりはない」と説明するかもしれない。「プーチンのように、何をするか分からない者たちが国際社会には存在するので、万が一に備えた『保険』なのだ」という主張は、一定の正当性があるかのように響く。

だが、あなたは、身の回りのリスクに対する保険に入ろうと考えて、「これで万が一の時も安心です」と言われた後、契約書に細かい活字で、「コストとして、数万人から数十万人、場合によってはそれ以上の人間が犠牲になることがあります」と書かれていても、それでも契約のサインをできるだろうか。

普通の人々の暮らしに照らして肌感覚で考えるべきなのは、核兵器が使われた場合の「被害」の面ではないだろうか。そんな使用を許容してはならないという主張の最大の根拠となってきたのが、広島と長崎で1945年8月に原爆被害に遭った人々の証言である。

G7の首脳たちは広島に集い、サミットの会議場で、ロシアの核威嚇を非難することだろう。原爆資料館の見学が検討されている、という報道もある。結構なことだが、これが核兵器を使った場合の非人道的な結末の本質なのだということに向き合ってほしい。

「核保有国は大国」という神話

核兵器が78年間、戦争で1度も使われてこなかったという現実は重い。だが、兵器としてみれば極めて特殊な、そうした性格ゆえに、まるでその兵器を持っていること自体が大国としてのステータスの象徴であるかのような神話ができてしまった。

だから、最低線としてG7首脳に訴えたい。核兵器が使われたら、どうなるのか。広島に来たら、自分の肌身で確かめてほしい。核兵器のことを論じ、政策を決める際には、そのことを肝に銘じた上で考えてほしい。核兵器をどう扱うべきか、答えはおのずと明らかになる。

バナー写真:広島県商工経済会の屋上から見た広島県産業奨励館(原爆ドーム)=1945年11月、米軍撮影 広島平和記念資料館提供

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