中心市街地のにぎわいを取り戻す:復活を遂げた高松丸亀町商店街

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地方都市で増加する「シャッター街」。中心市街地の商店街は全国的に衰退する一方だが、高松丸亀町商店街は思い切ったリニューアルを行って再生に成功した。

止まらない中心市街地の衰退

日本各地の中心市街地にあるアーケードを架けた商店街は、かつて買い物客でにぎわっていた。しかし現在は、かなりの商店が店を閉めている。日本では、こうした商店街を「シャッター街」と呼ぶ。全国の地方都市でシャッター街が目立つようになったのは1980年代後半である。中小企業庁の「商店街実態調査」によれば、70年には「繁栄している」と答えた商店街が40%であったが、90年に10%を切り、2000年には2%となった。

地方都市では、営業していない店が多数を占める「シャッター街」が増加している(筆者撮影)
地方都市では、営業していない店が多数を占める「シャッター街」が増加している(筆者撮影)

90年までは、「地元商店vs大型店」という構図だった。73年に大店法(大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律)が制定され、大型店の出店規制が行われるようになった。しかし、その効果はいつまでも続かなかった。70年代まで増加の一途だった商店数は、82年の172万店をピークに減少に転じ、91年には159万店となった。

商店街の衰退に追い打ちをかけたのは、91年の貿易をめぐる日米構造協議をきっかけとした大店法の運用緩和である。米国が大型店の出店規制を非関税障壁の一つとしてやり玉に挙げたのである。規制が緩和されると、大規模店舗の立地が可能な郊外にショッピングセンターの進出が相次いだ。その結果、中心市街地での買い物客が減り、地域の小規模商店街だけでなく、百貨店などが立地する地方都市の商店街も衰退していくことになった。そして中心市街地にある大型店の店舗売り上げも失速していったのである。

都市の顔ともいうべき中心市街地の衰退を目の当たりにし、その活性化が政府の中心テーマとなった。98年には大店法を廃止し、都市計画などで大型店の郊外への立地規制を強化し、意欲ある商店街を支援する中心市街地活性化法が制定された。しかし効果が乏しく、2006年に改めて制度の強化が図られた。

それでも多くの商店街の衰退に歯止めがかからなかった。政府も戸惑いを隠せない。世耕弘成経済産業相は、17年4月の参院決算委員会で、中心市街地活性化策について「もう一度よく棚卸しして、何かもう少し分かりやすい一元的なやり方がないのかどうか、あるいはもっと効果的なやり方がないのかどうか、あるいはやめた方がいいのかということも含めて抜本的に見直していきたい」と答弁している。

本当に中心市街地は活性化できないのか。成功例はないのか。ここでは筆者も再生事業に関わった香川県高松市丸亀町の商店街の例を見てみよう。

復活を遂げた高松丸亀町商店街

高松丸亀町商店街は、香川県の県庁所在地・高松市の中心市街地にある。城下町の時代から続くメインストリートにあるかつての「札の辻(※1)」は、直径25メートルの大きなガラスのドームに覆われた広場に作り変えられ、市内で最もにぎわうイベント空間となっている。

かつてのにぎわいを取り戻しつつある高松丸亀町商店街のガラスドームに覆われた広場(筆者撮影)
かつてのにぎわいを取り戻しつつある高松丸亀町商店街のガラスドームに覆われた広場(筆者撮影)

商店街はそこから南へ470メートル続き、A〜Gの7街区からなる。A〜C街区とG街区の整備が進み、商店街の両側の建物は必要に応じて共同建て替えが行われ、3階の上にガラスのアーケードが架けられた。高さは従来の2倍の22メートルだ。

高松丸亀町商店街・見取り図
高松丸亀町商店街・見取り図

開放感あふれる高松丸亀町商店街のショッピングアーケード(筆者撮影)
開放感あふれる高松丸亀町商店街のショッピングアーケード(筆者撮影)

道の両側には回廊がめぐり、上層階へ行く階段やエスカレーターが取り付けられ、アトリウムのような快適な空間になっている。C街区でエスカレーターに乗って2階へ昇ると、緑のあふれる中庭があり、四国特産の食品や工芸品、雑貨などを集めたライフスタイル・ショップ「まちのシューレ963」が出迎えてくれる。

高松丸亀町商店街にある「まちのシューレ963」のエントランス(筆者撮影)
高松丸亀町商店街にある「まちのシューレ963」のエントランス(筆者撮影)

商店街の4階から上にはマンションが整備されている。ここに暮らす住民は「玄関を出たらすぐ三越」という街中に暮らすメリットに加え、「まちのシューレ963」の上層階に診療所が設けられているので、在宅で高度医療、終末医療を受けることもできる。健康・福祉・医療サービスは、高松市の中心市街地の新たなセールスポイントとなっている。

こうした再開発の結果、商店街は復活を遂げた。1995年に1日に2万8000人を記録した通行量は、その後9500人にまで落ち込んだが、現在2万5000人に持ち直している。居住人口も5人から1000人(321戸)へと増加。商店街には157店が入居しているが、空き店舗率はゼロである。

土地所所有権には手をつけずに共同開発

高松丸亀町商店街振興組合が、相次ぐ郊外開発に危機感を覚え、再開発に乗り出したのは1988年の開町400年祭の時である。次の100年も生き延びられる商店街をめざして模索が始まった。紆余(うよ)曲折の末、2006年12月にA街区の市街地再開発事業が竣工(しゅんこう)。その後ドームを作り、C街区の建て替えを行い、商店街の上に新しいアーケードを架けた。12年にはG街区が竣工。D〜F街区の再開発事業は継続中である。

再開発を行うためには、城下町時代に短冊状に細分化された土地の上に共同でマンションを建設する必要があった。そこで、個々の土地所有権には手をつけずに共同でビルを建て、地権者たちが設立した会社が取得・運営する仕組みを作った。住民自身がデベロッパーになる事業スキームで、このような会社を「まちづくり会社(※2)」と呼んでいる。

高松丸亀町商店街振興組合が、土地所有権には手をつけず共同で建てたマンション(右奥)(筆者撮影)
高松丸亀町商店街振興組合が、土地所有権には手をつけず共同で建てたマンション(右奥)(筆者撮影)

この事業スキームによって広場や中庭など豊かな公共空間を生み出すとともに、上層階に有効に利用できる規模のスペースを作り、そこに必要な機能を導入することが可能となった。商店街の中に人々が溜(た)まり交歓する「第三の場所」を作り出すようにデザインコードを定め、建て替えを進めた。同時に、地域のライフスタイルを守り・育み・発信するビジネスを起こす取り組みに挑んだ。上述の「まちのシューレ963」や診療所はその成果である。

高松丸亀町商店街のA街区3階にオープンした丸亀町クリニック(写真提供:高松丸亀町商店街振興組合)
高松丸亀町商店街のA街区3階にオープンした丸亀町クリニック(写真提供:高松丸亀町商店街振興組合)

中心市街地再生のエンジンとなる「まちづくり会社」

高松丸亀町商店街の事例から明らかになるのは、デザイン、ビジネス、スキームの3ポイントを的確に組み合わせることの重要性である。これらを組み合わせた中心市街地再生の戦略は以下のように描くことができる。

  • その地域の特徴を生かして、痛んだ中心市街地を快適な場所、住み良い街へと再生していく。
  • 必要な市民サービスを充実させるとともに、農林水産業の6次産業化(※3)などによって地域固有のライフスタイルに根差した産業を興し、地域産業の内発的な発展をけん引していく。
  • 再開発のエンジンとなるのは、コミュニティーに根差したデベロッパーであるまちづくり会社。同社は開発を含めエリア・マネジメントも担っていく。

高松丸亀町商店街のような大規模な共同ビル化は常に必要なわけではない。商圏の大きさによっては、既存の建物のリノベーションが最適解となる場合もある。特に歴史的な町並みが残る商店街では、なるべく古い建物を残した方がいい。東日本大震災で被害を受けた宮城県石巻市や、全国に先駆けてまちづくり会社を作った滋賀県長浜市の中心市街地では、リノベーションと共同ビル化を組み合わせた再生プロジェクトに取り組んでいる。

このような地域再生の拠点となる中心市街地を、筆者は「クリエイティブ・タウン」と名づけた。市街地活性化のためには、多様なアイデアを持つ人々がクリエイティブ・タウンに集まり、周辺エリアも含めてその地域特性を生かした新たな産業の持続的展開をプロデュースしていくことが重要である。従来は中心市街地を単に消費の場と考え、問題を「中心市街地の商店街vs郊外の大型店」の構図で捉えがちであった。そうではなく、一歩進んでイノベーションの場と捉えるべきだという意味が込められている。

バナー写真=香川県高松市の高松丸亀町商店街のショッピングアーケード(筆者撮影)

(※1) ^ 街道や宿場町など往来の多い場所に高札(掲示板)を立てた場所。

(※2) ^ 実際には、ビルの運営は、商店街振興組合が設立した「高松丸亀町まちづくり会社」に委託している。この会社は商店街全体のマネジメントを行う会社で、丸亀町には都合、以下の3種類のまちづくり会社が存在する:①エリアマネジメントを行う会社、②街区ごとの、共同化したビルを所有する会社、③新しいビルでレストランなどさまざまな事業を展開する会社。

(※3) ^ 農林水産業などの1次産業が食品加工・流通販売を行うなど経営の多角化を図ること。

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