現代に通じる危うさ、学生らの「帰ってきたヒトラー」

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東京外国語大学の学生たちが2018年の学園祭でドイツ語劇「帰ってきたヒトラー」を演じた。今なぜヒトラーなのか。学生たちの思いを探った。

東京外大の学園祭は各学科が専攻語で演じる外国語劇が売り物。2018年はドイツ語科の「帰ってきたヒトラー」(原作:ティムール・ヴェルメシュ、15年に映画化)が大きな注目を集め、公演当日の11月25日、プロメテウスホールと呼ばれる講堂は定員の500席が埋まった。立ち見客も出て、入りきれなかった人までいたほどだ。1974年に卒業以来、キャンパスを訪れたことがないというOBも「現代を扱ったこの演目だからぜひ来たかった」と朝早くから並んだという。

原作は、ヒトラーが突如現代にタイムスリップしてしまうというブラックコメディー。誰からも本物だとは気付かれず、「極ものコメディアン」扱いされるうちにテレビの人気者になってしまう。衣の下の鎧には気づかれぬまま。

コメディー調の原作に対し、学生たちはヒトラーがテレビやインターネット上でデビューを果たした後、政治の世界へ足を踏み込んでいく姿も描いた。「最初は彼(ヒトラー)を笑っていたはずなのに、ふと気が付けば彼と一緒に笑っている」とのエンディング・ナレーションに象徴されるように、現代社会にはいつの間にかヒトラーを受け入れてしまう素地があるのではないか問題提起しているように見える。

第一次大戦敗戦に伴う多額の賠償支払いや世界恐慌で経済が破綻、物価がかつての1兆倍に膨れ上がり、街に失業者が溢れる中、独裁者ヒトラーを生み出した1920-40年代のドイツ。現代世界との間に共通点はあるのか。主役を演じた佐藤創君(言語文化学部3年)は、「当時のドイツは国民の不満や不安がすごく大きかったと思う。現代も欧州への難民流入など問題の形は変わっても人々が大きな不満を抱えているという意味ではとても似ている」と話す。

原作の出版は2012年なのに対し、彼らが目指したのは「2018年バージョン」。この6年間で世界の歴史の歯車は大きく回った。英国の欧州連合(EU)離脱や「アメリカファースト」のトランプ政権誕生、欧州各地での排斥主義や極右勢力の台頭など、内向きの動きが世界規模でまん延しつつある。背景にあるのは、経済格差の拡大や移民・難民の大量流入、失業増加がもたらす社会不安だ。

不平や不満という点では日本も例外ではない。佐藤君は「極めて恵まれた生活ができる人が生まれる一方で、衣食住もままならない人も出てきて全体として不満を抱えた層がどんどん厚くなっている」とし、格差拡大が日本社会のキーワードだとみる。

ポピュリズム

劇は、ナチスの独裁から生き延びた老女が「あいつは恐ろしい奴だった。世界大戦が終わって73年。私たちは少しは賢くなったのだろうか」と問い掛ける場面で幕を開く。舞台は2018年の現代。ハーケンクロイツ(鍵十字)の腕章を巻き軍服を身にまとったヒトラーが突如迷い込んだ。誰もが「そっくりさん」と思い込む中、人づてにその存在を知ったテレビ局のディレクターの目には、視聴率アップに格好の素材と映った。

ヒトラーが現代に生きていたら、テレビでいったい何を話すだろうか。想像を巡らせた学生たちは、ヒトラーをお笑い番組「エンタの女神様」に出演させ、次のように語らせた。

「ドイツ民族にかつてない繁栄と満足した生活を約束しよう」
「繁栄は将来を担う世代なしではあり得ない。学費を減免し、奨学金制度を充実させる。保育所を5年以内に倍増させ、待機児童をなくす」
「政府は貴重な血税をドイツ国民のためにではなく怠け者の国のために無駄遣いしている」

劇中のテレビ視聴者らは単なるお笑い芸人としてだけではなく、自分たちの願望の代弁者として、この謎の男を称賛する。演説の台詞を練り上げた遠藤雅崇君(国際社会学部3年)は、実際のヒトラーならいきなり声高に極右思想を振りまくのではなく、「最初は受け入れられやすいポピュリズム的な要素から入って人々の心をつかんで行くだろう」と考えたという。

演説中の「無駄遣い」発言は、欧州連合(EU)を支えるためドイツが多くの支出を強いられているという、国民の冷ややかな本音に呼応した。だが、遠藤君はこう言う。「EU拠出金の国内総生産(GDP)比での負担割合はドイツも他の欧州諸国とほぼ同じなのに、金額でみればドイツだけが苦しい思いをしていると思い込んでしまう。簡単な論理で簡単な結論を提示し、人々がさっと受け入れてしまうのがポピュリズムの怖さだ」。

遠心力

ドイツ語科の学生たちが演劇の準備を始めたのは、2018年の春先からだった。演目を決めようと話し合ったところ「シンドラーのリスト」「朗読者」など計8本の提案があり、多数決で「帰ってきたヒトラー」に決まった。

佐藤君は入学当初から「何でもいいから語劇で主役を張りたかった」そうだが、この演劇に決まった際には「まさかヒトラーとは」と絶句したという。2度にわたる長い演説シーンは計30分近くに及ぶ。下宿で大きな声を張り上げて練習するわけにもいかず、誰もいない教室を見つけては一人きりで台詞を覚えた。腕を振り上げたりするなどの振り付けは、ユーチューブ上の実際の演説シーンを参考にした。日ごろは物静かな好青年も時に息をはあはあ切らせながら声を張り上げる別人格の独裁者を演じきった。

劇中の子どもやお母さんたちも重要な役回りを担っている。次第にヒトラーに惹かれていく人々の姿を示し、観客に「自分たちもこうなってしまうかもしれないと気づかせる」(佐藤君)のが狙いだ。

演説を担当した遠藤君は、フランスの政治学院に短期留学した時の衝撃が忘れられない。英国のEU離脱は「出口」を示すエグジットをもじり「ブレグジット」と呼ばれるが、パリで目にしたのはフランスのEU離脱を示す「フレグジット」という言葉。欧州全体に働く「遠心力」を体感した。

共生より自国第一

「正しいことを言っているように人々には聞こえるので、受けがいい。その後は民主的に選ばれたことを盾にしてやりたいことをどんどんやっていく」のがナチスの手法と話す遠藤君。劇中のヒトラーも、テレビやソーシャルネットワークサービス(SNS)上での受けがいいことに気を良くして政界進出を夢見る。だが、選挙演説の発言は「エンタの女神様」のときとは明らかに違い、過激さを増した。

戦後のドイツは米ソ冷戦の下で東西に分割されたり、国際社会でも国際連合への拠出額の割に発言力が小さかったりと、ナチズム贖罪(しょくざい)の重い十字架を背負わされて思うに任せない―。現代によみがえったヒトラーはこう不満を爆発させ、最後に言い放った。「ドイツ人がドイツ人のために金を使うようにするだけでいいのだ。EUから脱退し強いマルクを復活させ移民を制限しドイツ人の雇用を復活するのだ!NATOからも脱退し自らの手で自らを防衛するのだ!」

劇中の支持者たちは「ハイル、ヒトラー!」と熱狂していくが、観客席の方は静まり返り、空気はピンと張り詰めた。恐怖を感じたのか、子どもが突然泣き出した。現代に生きるわれわれ日本の観客は、目の前の独裁者に戸惑い、距離を置こうとしたに違いない。

劇中のヒトラーが主張したように、現実のドイツではEUを支える中核国としての役割を放棄しようという風潮が台頭している。他の欧州諸国と共生することで信頼を積み上げてきた戦後ドイツはもはや、危機のギリシャを支えたり、シリア難民を受け入れたりする余力が少なくなってきた。「EUの守護神」と評されるメルケル首相が国民の支持を失い、与党党首の座から降板したのは、その象徴だ。

また、米トランプ政権は中国との激しい貿易戦争を展開。自国経済を中国の輸入品から守ると称して、制裁関税を課している。

佐藤君はこう言う。難民受け入れや自由貿易など、「世界には我慢しないといけないことがたくさん出て来る。負担を分かち合い自ら一歩譲歩することで全体としてより平等な世界が出来上がるはず。しかし、戦後70年が経ってそれができなくなり、不平不満をダイレクトに表現するなど逆戻りに近いことが起きている」

ネットを通じて、ある主張が猛スピードで拡散する現代。独裁者が忍び寄り、国民をあらぬ方向へ導こうとした場合、われわれはどこかで踏みとどまれるのだろうか。「カエルは熱い湯に入るとすぐ飛び出すけど、ぬるま湯で徐々に温度が上がっていくと逃げずにのぼせてしまう」。遠藤君は、気づかぬ間に「いつか来た道」へ進む危うさを指摘している。

取材・文=持田 譲二(ニッポンドットコム編集部)
バナー写真:「帰ってきたヒトラー」を演じる学生たち
本文写真:演劇に使われた台本

 

関連表「内向き化が進む世界」

出来事
2014 6 イスラム国(IS)が樹立宣言
2015 1 パリの風刺週刊誌銃撃事件
欧州へのシリア難民が急増、受け入れ論争
8 EUがギリシャへの新金融支援
11 パリ中心部でテロ、130人死亡
2016 6 英、国民投票でEU離脱決定
11 米大統領選でトランプ氏当選
2017 1 トランプ大統領がTPP離脱の大統領令
5 フランス大統領選決選投票に極右「国民連合」候補進出
9 ドイツ総選挙で右派「ドイツのための選択肢」台頭
2018 3 トランプ大統領が中国製品に追加関税を課す大統領令に署名
3 イタリア総選挙で「五つ星運動」台頭
4 ハンガリー議会選で右派与党が勝利
6 米国と中国が互いに制裁・報復関税を発表
9 スウェーデン総選挙で極右「民主党」伸長
11 英、EUと離脱条件で合意も議会承認得られず
11 フランスで黄色いベスト運動、全国一斉デモ
12 ドイツのメルケル首相が与党(CDU)党首退任

出所:共同通信「世界年鑑」を基に編集部が作成

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