「もっと見せたい」日本の浮世絵:観光立国目指すなら文化インフラの充実を

文化

葛飾北斎(1760-1849)の没後170年、また2020年の東京五輪・パラリンピック開催を控え、浮世絵の美が日本を代表する文化の一つとして改めて注目を集めている。「北斎漫画」をはじめ多くのコレクションを持つ浦上満氏に、浮世絵をはじめとする日本の”文化インフラ”を今後どのように活用していくべきかなどについて聞いた。

浦上 満 URAGAMI Mitsuru

東京美術倶楽部常務、国際浮世絵学会常任理事、東洋陶磁学会監事。1951年、東京生まれ。学生時代に「北斎漫画」の魅力に取りつかれ、約1500冊を蒐集する世界的な浮世絵コレクター。本業は東洋古陶磁を扱う「浦上蒼穹堂」(東京・日本橋)社長。著書に『北斎漫画入門』(文春新書)など。

世界のマーケットで評価高まる

——新たな日本のパスポートのデザインに葛飾北斎の「冨嶽三十六景」が登場することになり、2019年3月には米国のオークションで三十六景のうち北斎の「凱風快晴」「神奈川沖浪裏」がそれぞれ5000万円を上回る価格で落札されるなど、浮世絵が改めて注目されています。

浦上 2年前、ニューヨークのにクリスティーズオークションで「大波」(神奈川沖浪裏)が1億円で落札された時には、「ついに1億円を超えたか」と驚いた。今回はその作品に比べて摺りが悪かったり、保存状態が悪かったりしたことでそこまでの値は付かなかったが、やはり高値での落札となった。

浮世絵は江戸時代の制作当時、何千枚と摺られた。「大波」も5000枚以上あったという。その大半は消失して、今は世界中で150枚から200枚しか残っていない。それらのほとんどが美術館に収まっているので、売りに出れば当然高値になってしまう。

一般的にここ10年ほど、日本人の美術品購入意欲が落ち込んでいる。日本にある中国陶磁とか印象派の絵画など、いいものはどんどん外国に流出している。日本の美術品で近年健闘しているのは、わずかに浮世絵と明治の工芸品といったところだ。この2つのジャンルは世界のマーケットで通用している。つまり、浮世絵は美術品の国際市場で改めて評価が上がっていると思う。

葛飾北斎の代表作「冨嶽三十六景」のうち「神奈川沖浪裏」(上)と「山下白雨」。いずれも浦上氏のコレクション
葛飾北斎の代表作「冨嶽三十六景」のうち「神奈川沖浪裏」(上)と「山下白雨」。いずれも浦上氏のコレクション

「展示できない」事情の改善を

——日本を訪れる外国人旅行客が年々増え、今年はラグビーのワールドカップ、来年は東京五輪・パラリンピックもあります。訪日客が「浮世絵を鑑賞したい」という時、どこに行けばいいのでしょうか。

浦上 「日本に行けば、いい浮世絵をたくさん見ることができるはず」という期待は、旅行者の気持ちとして当たり前のことだ。ただ残念なことに、現状はそうではない。実際のところ、その期待は裏切られると思う。

上野の東京国立博物館に松方コレクションがあり、浮世絵専門の太田記念美術館が原宿にある。2016年にはすみだ北斎美術館が東京都墨田区にオープンした。だが、見たい作品が常に展示されているとは限らない。むしろ常設展は貧弱な印象を受ける。

浮世絵版画は非常に色あせしやすいので、長期の展示はできない。例えば、すみだ北斎美術館の場合、内規で一つ一つの作品の展示期間は「1年に1カ月」と決まっているという。このため、一度展示したら、その作品に合う企画展があっても「そこには出せない」ということになってしまう。

美術館において保存と展示のバランスは根本的な問題で、解決は非常に難しい。だが、来た人に「なんて素晴らしい展示だろう」「なんていい作品だ」と思っていただかないと、美術館も盛り上がらないだろう。最近はLEDなど照明がよくなり、あまり紫外線を出さなくなったという事情がある。私は今まで1カ月に制限していた展示期間を2カ月、3カ月程度に延長してもいいのではと思っている。

インタビューに応じる浦上満氏
インタビューに応じる浦上満氏

——パリのルーブル美術館に足を運べば、必ず「モナ・リザ」が展示されています。浮世絵の場合、それはなかなか難しいということですね。

浦上 本当なら、北斎の「冨嶽三十六景」「北斎漫画」や歌川広重の「東海道五十三次」「名所江戸百景」などが常時見ることができる施設があればいい。そうすれば、世界の人たちは黙っていてもそこに集まってくる。訪日観光客が今以上に増えるのだとしたら、美術館は観光インフラとしても非常に重要だ。外国の人たちはそこに「日本の美と品格」を感じ、イメージアップにもつながる。

ロンドンの大英博物館、パリのルーブル美術館、マドリードのプラド美術館。日本人も海外旅行に行けば、ほとんどの人が足を運ぶのではないか。なぜ博物館、美術館に行くのか。それは文化を通じてその国のアイデンティティーを知りたいからだ。東京国立博物館は世界の名だたる所に比べると、やはり少し落ちる。今後観光立国を目指すのなら、日本の文化インフラはちょっとお寒い状況なのではないか。

足りない文化・芸術の発信

——政府も、京都迎賓館を通年公開したり、国立の博物館・美術館の夜間開館を拡充したりするなど、それなりの対応は始めているようにも見えます。

浦上 ところが、開館時間を長くする一方で、肝心の予算は年々カットしている。これは国立の美術館長に聞いた話だ。日本の文化庁の予算は他の国に比べ、恥ずかしいほど少ない。その多くが寺社の修復などに使われて、生きた事業をする余裕がない。

私は東京美術倶楽部の役員を20年近くしていて、文化庁を文化省にしようという運動もやっているのだが、なかなか実現しない。なぜか。日本の政治家、官僚の多くは、言葉では「文化の発信は重要」と唱えても、まだまだ文化・芸術の力を本心から理解していない。

例えば、閣僚レベルの政治家が文化行政への理解、芸術への造詣が深いというのは、外交面で非常に大事なことだ。欧米では文化を語ると、その人の評価がぐっと上がる。フランスの歴代大統領はみな、文化行政で国民や世界にアピールする。

伊勢志摩サミットの際、会場に北斎の作品を飾ろうという話があったと聞く。これは実現しなかったが、アイデアとしてはとてもいい。世界のトップは美術・芸術が好きだ。話をすれば盛り上がる。安倍首相もそういう話ができれば株がぐんと上がる。食べ物とお酒の話だけではなく、プラスアルファが必要だと思う。

印象派の画家たちにも大きな影響を与えた「北斎漫画」
印象派の画家たちにも大きな影響を与えた「北斎漫画」

敗戦直後の占領期、吉田茂はGHQとの会議に際し、会場の朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)によい美術品を並べるよう指示した。米国の青年将校は当時、日本を“野蛮な国”だと先入観を持っていた。だが、それらの美術品を目にして態度が変化したそうだ。それをてこに吉田は会議をうまく回したという。欧米のエリートは、素晴らしい美術品に対しては尊敬の念を持つ教育を受けていたということだ。

北斎の浮世絵がパスポートのデザインになって、日本人は海外に出掛けた際にこのパスポートを現地の人に見せて、北斎の素晴らしさについて話ができるだろうか。そういう人はなかなかいないだろう。でも、それができるような日本人になってもらいたいと思う。また、日本を訪れる人々に対しては「浮世絵の母国へようこそ。とっておきの作品をお見せしましょう」と言える、そのレベルの文化施設を持たなければいけないと思う。

美術品は「道楽」という歪んだ価値感

——日本の浮世絵は幕末・明治期、欧米の人々がまずその美に驚き、芸術性を客観的に評価して、印象派など多くの画家に影響を与えたといいます。当時の日本人は、その人気ぶりを理解できなかったとか。

浦上 もちろん江戸時代の庶民には浮世絵は非常に人気が高かったわけで、日本人に見る目がなかったというわけではない。ただ、身近にありすぎるものだったから、外国人が興味があるならば「好きなだけ持っていけば」という気持ちだった。

日本にはいい美術品があるし、いいものをたくさん生み出してきた。もともと美術の才能はあると思っている。ただ美術に対する社会的な評価や認識が今一つ足りない。

例えば、先ほど話した「日本人が美術品を買わなくなった」という傾向だが、これは文化国家としては真逆の方向に向かっている。お金があれば、まずは車や家を買いたい、旅行に行きたい、おいしいものが食べたい。これはいいのだが、100人に1人、1000人に1人くらいは美術品を買いたいという人がいてもいい。日本では今、そういう人が少なくなっているし、もしいても周りの人たちの評価を得にくい。

最大の原因は、日本では美術品を購入することが「道楽」というか、「金を捨てている」ようにみなされているからだ。外国では「資産」、そして「投資」だ。投資がいいというわけではないが、少なくとも良い美術品は大きな価値があると評価されている。

一般の人たちの、美術品に対する「あんなものは金持ちの道楽だよ…」という意識が変わらなければ、日本は永遠に文化大国にはなれない。日本がこれから政治大国、軍事大国になれますか。今後も経済大国でいられますか。そうはなれない。日本はこれから、文化国家として世界にアピールしていくべきだと、私はそう思っている。

「北斎漫画」を手にする浦上満氏
「北斎漫画」を手にする浦上満氏

取材・文:石井 雅仁(ニッポンドットコム編集部)
写真:川本 聖哉

バナー写真:浦上満氏=2019年5月24日、東京・日本橋の浦上蒼穹堂で

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