政官関係の変質:政治主導は成功したのか

政治・外交

「政と官」の関係は、第2次安倍政権以降に大きく変質。首相官邸の力が強くなり、「忖度政治」という用語まで登場した。筆者は、過度な政治主導の副作用として政策決定過程が劣化していると指摘、その是正に向け、公務員制度の改革が必要だと提言する。

日本の政府は、これまで「官僚主導」と呼ばれてきた。今では、これは否定的な意味で使われることが多いが、第2次世界大戦後の経済発展過程においては、優秀な官僚たちが政府のかじ取りを行っていたと肯定的に評価された。特に、海外からそのような指摘がなされた。その代表例が米国の社会学者であるエズラ・ヴォーゲルであり、彼は、その著書『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(1979年)で、長期雇用などの日本型雇用と並んで、優秀な通商産業省や大蔵省の官僚たちが経済や産業を主導し、日本の競争力を高めていると、官僚の役割を絶賛した。

しかし、90年代初頭のバブル崩壊を契機に日本経済は長期にわたり低迷し、接待汚職など官僚の不祥事も続いた。官僚主導が批判され、政治主導に向けた政治・行政改革が進められた。それでは、政治主導は期待した成果を挙げているのだろうか。本稿では、これまでの政治主導に向けた改革を振り返りながら、第2次安倍政権以降の政官関係に焦点を当て、政治主導の実態と問題を議論する。

「政策決定の軸」を担った日本の官僚

現状をレビューする前に、第2次世界大戦後の自民党政権における政官関係を振り返る。

官僚主導とは、一般には、政策に関わる意思決定において、国民から選ばれた政治家ではなく、官僚が主導権を握っていることを意味するが、なぜそうなるのか。図1の左は、伝統的な戦後の自民党政権における内閣、官僚、与党議員の関係を表したものである。ポイントは、本来政府を代表する内閣(首相や各省の閣僚で構成)の力が弱く、与党議員と官僚が大きな位置を占め、両者がパートナーとなっていることである。

政府の主な仕事は、教育や医療などの政策をつくり、それを実施することであるが、それには法律が必要である。一般には、各省庁がそれぞれの所掌に応じて法律の原案を作成し、閣議決定の後、国会に提出する。これは政府内での作業であるが、法律をつくるためには、与党との調整も必要である。

具体的には、閣議決定の前に、全ての法案は与党の事前審査を受ける仕組みになっている。事前審査とは、自民党内の政務調査会の関係部会の了承と総務会の全会一致の合意がないと、政府は法案を提出することができないという慣行である。法案は政府が作るとしても、国会で多数を占める与党議員の協力がなければ、法律にはならないからである。

諸外国の議会でも、政府と与党の事前協議が行われる場合があるが、協議で完全に法案の内容を固めてしまうわけではなく、委員会審議の場で実質的な法案修正作業が行われる。しかし、日本では、国会に法律が提出される前に、与党が修正する。一方で、国会審議は、もっぱら野党が反対するための場になり空洞化する。政府提案の法律が、与党や与野党合意で修正されることもあるが、例外的である。

政府と与党、更に関係業界という、いわゆる「鉄の三角形」において、合意形成や調整を担ってきたのが官僚たちである。官僚たちは黒子であったが、政策形成の軸となっていたことから、官僚主導と言われたのである。

このように説明すると、官僚の方が政治家より強い権限を持っていると思うかもしれないが、自民党の政治家は官僚の言いなりになっていたわけではない。

この点を明らかにしたのが、米国の政治学者であるジョン・マーク・ラムザイヤーとフランシス・ローゼンブルースである。彼らは、著書『日本政治の経済学―政権政党の合理的選択』(1993年)で、自民党の部会や調査会は、「拒否権プレーヤー」だったと分析した。政策や法律の細かい作業は、基本的には官僚たちに任せつつ、それが政治家の利害と反する場合は、待ったをかけていた。

「与党・官僚内閣制」から政治主導へ

筆者は、与党と官僚がパートナーとなる仕組みを「与党・官僚内閣制」と呼んでいる。この仕組みは、日本が戦後から復興し、高度成長を達成するまでは、機能した。官僚と業界の癒着などの弊害はあったものの、当時は、道路、学校、病院など、公的なインフラやサービスは絶対量として不足しており、パートナーがそれぞれの分野で利益の極大化を図ることが、国全体の福祉の向上につながったのだ。

しかし、高度成長が終わり、更にバブル経済が崩壊してからは、与党・官僚内閣制は、弊害が目立つようになる。貿易交渉などで迅速に意思決定をする、環境や消費者保護など複数の省庁に関わる問題を総合的に調整する、といった課題に対応するためには、与党・官僚内閣制では難しい。内閣、とりわけ首相の権限が弱いからだ。

こうして政治主導を実現するための改革が行われたが、なかでも重要なのが、故・橋本龍太郎首相が1996年に検討を始めた「中央省庁等改革」である。同改革の柱は、中央省庁の統合、内閣機能の強化、行政組織のスリム化などであり、2001年1月より実施された。

公務員制度については、1999年公務員の不祥事を契機に公務員倫理法が制定された。更に、人事評価の導入などの改革が行われ、2014年、幹部公務員の一元管理、内閣人事局の設置などのため国家公務員法等が改正され、一連の政治・行政改革はほぼ完成するに至った。

歪んだ政策形成過程

2012年12月に発足した第2次以降の安倍政権は、異例の政治的安定を保っている。2019年8月末時点において6年8カ月が経ち、首相連続在職日数および通算在職日数の2つの指標で、歴代第2位となっている。平成の約30年間(1989~2019年)においては、今の安倍晋三首相を含めて17人もの首相が誕生したことを考えると(平均在職年数は2年弱)、第2次以降の安倍政権は驚異的だ。他方、政策形成過程については問題が多い。その背景の1つに政官関係の変質がある。

「三本の矢」「働き方改革」「一億総活躍」「人生100年時代」など、標題が目立つ政策が次から次へ登場している。従前の政策がレビューされることなく、半年ごとに新しい政策が登場している。また、それらを検討する会議体(その多くは法律に基づいて設置されたものではない)が乱立する。政府文書には問題点の分析はほとんどなく、計画や方針ばかりで、「やっている感」を演出する。

さらに、教育無償化や消費増税延期などの重要政策は科学的なデータに基づく検討が乏しく、官邸の限られた者によって先に結論が決まっている。選挙を意識して、社会保障や岩盤規制などの構造改革には後ろ向きである。意思決定は官邸主導で効率的だが、与党や政府内での合意形成が十分ではなく、科学的な分析・検証もおろそかである。

強い官邸に官僚が「忖度」

それでは、なぜ政策過程が劣化したのか。その背景の1つは、2014年の国家公務員制度改革である。審議官以上の幹部公務員を任命する際には、首相・官房長官・閣僚による協議が必要となった。幹部公務員を政府全体で横断的に人事管理するという当初の目的は正しかったが、今は副作用が生じている。

首相らで協議する仕組みは、従来の正副官房長官で構成される閣議人事検討会議を法定化するものであるが、従来以上に官邸が府省人事に介入している。恣意的な人事でも適材適所と言えば認められる。明確な基準がないからだ。官僚は耳障りなことは言わずに官邸を忖度する。政治家への応答性がより強く求められるため、専門知識による分析が軽視されている。経済財政の中長期試算などは、従来以上に楽観的な前提になり、数字が歪んでいる。

要するに、強い官邸が官僚を「政治化」させているのだ。ただし、これは安倍政権で新たに生じた問題ではない。政策過程で政治家や業界との利害調整を担ってきたのが官僚だからである。

必要な公務員制度改革

それではどうすればよいか。公務員制度は、公務員に何をさせるかという哲学に基づいている。2つの方法があり、能力で選ぶ資格任用か、政治家が選ぶ政治任用かである。前者では専門性に基づく分析や検討が重視され、英国が代表例である。後者では政治的な調整が重視され、米国が代表例である(図2参照)。ただし、英国でも政治任用の首相や大臣の特別顧問がいるし、米国でも部課長までは資格任用が原則である。

日本の問題は、一般公務員は資格任用が建前なのに、現実には政治任用しうることである。また、外部からの登用も限定されてきた(閉鎖型)。英国では、首相・閣僚に公務員の直接的な人事権はない。政治家を忖度しないようにするためだ。他方、資格任用を貫くため、幹部は特に公募が重視されている(開放型)。

政治主導のためには政治家が公務員人事を行うべきだとしばしば言われるが、米国のように大統領が好き嫌いで行う人事でよいのか。幹部公務員となるためには特定の政治家との関係が重要になる独仏のような政治任用もあるが、政権交代で失職する幹部のため、天下りや手厚い年金が必要となる。

こうして考えると、日本は法律が想定する英国型を基本とすべきである。新たに導入された幹部公務員制度は諸外国の例にならうものではあるが、運用面では似て非なるものになっている。

見直しの第1は、幹部公務員の選抜方法である。現在は、約600人の幹部候者名簿から選ぶ仕組みとなっているが、これでは恣意的な人事になりかねない。局長などポスト毎に能力・業績を満たした3人程度の名簿の中から首相らが選抜するようにすべきである。

第2に、政治任用の扱いである。一般公務員が政治化するのは、政治任用の仕組みが不十分だからである。ただし、補佐官らはあくまでも首相・閣僚に仕えることが本務であり、府省を指揮命令してはならない。彼らのルールを規定する行動規範が必要だ。

第3に、内閣人事局の役割である。府省幹部の人事情報を蓄積し、大臣らが恣意的な人事を提案してきた場合には、同局は異議を唱えなければならない。また人事院とも協力して、次官の人事評価を厳正に行うことも必要である。

現在の政策過程に欠けているのは、データや証拠に基づく分析・検討を行い、首相・閣僚らが合意形成を図りつつ、迅速に意思決定することである。官僚が政治を忖度するのでは、良い政策はつくれない。政治家と官僚は役割分担が必要であり、そのための公務員制度が求められている。

行政と政治は表裏の関係にあるため、官僚だけでは問題を解決できないが、それでも、年次順送り人事の是正、専門性を強化するための人材開発など、府省でできる改革も多い。官僚自ら変わることも必要だ。

バナー写真:内閣人事局発足式が行われ看板かけをする、(左から)加藤勝信内閣人事局長、稲田朋美内閣人事局担当大臣、安倍晋三首相、菅義偉官房長官=2014年5月30日、東京・永田町(時事)

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