「空気を読む」メディアと国民の「感情的まなざし」から考える皇室の今

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社会問題に独自の視点で切り込み、皇室を巡る時代の空気やメディア報道の鋭い観察者でもある水無田気流氏に、令和の皇室が置かれた状況と皇室に向けられるメディア、国民の視線の変化などについて聞いた。

水無田 気流 MINASHITA Kiryū

社会学者、詩人。国学院大学教授。研究分野は文化社会学、家族社会学、ジェンダー論。1970年神奈川県生まれ。詩人として『音速平和』で中原中也賞、『Z境』で晩翠賞を受賞。著書に『「居場所」のない男、「時間」がない女』(日本経済新聞社、2015年)『シングルマザーの貧困』(光文社新書、2014年)、共著に『雅子さま論争』(洋泉社新書、2009年)など。

お祭りムードに水を差さない

——5月の「即位後朝見(ちょうけん)の儀」、10月「即位礼正殿の儀」、11月にアイドルグループ「嵐」が登場した「国民祭典」、沿道に11万9000人が集い祝福したパレード「祝賀御列(おんれつ)の儀」、そして「大嘗祭」など、一連の即位関連行事が終わりました。昭和から平成への代替わりと比較して、どんな印象を持ちましたか。

水無田 気流 30年前は「一世一元」の制度に基づく昭和天皇崩御の後の代替わりで、日本全体が喪に服した中で粛々と行われました。この時の「朝見の儀」では、女性皇族は黒いベールで顔を覆い喪服姿でしたが、今回は華やかなドレスが目立ちました。一方で、つえをつかれたり、車いすで参列なさった皇族のお姿も目立ち、全体的に高齢化しているという印象です。

——雅子さまに対する報道や国民の視線も以前と少し変わった気がします。

水無田 雅子さまは、以前は体調不良で公務をこなせるのかと懐疑の目で見られてバッシングを受けていた時期もありました。今はメディアの報道も好意的で穏やかです。ご療養中でご公務を制御なさっているのはあまり変わらないのですが…。SNSの影響など、メディアの形態が変わってきたことが大きいのでしょう。個々の読者が活発に意見を言うことが可能になったため、マスメディアも信念で突っ走る報道はできなくなり、世間の空気を読むようになったということでしょうか。

——メディアでは天皇制の在り方を問う議論はあまり目立たず、女性皇族のファッションや雅子さまが「国民祭典」とパレードで流した涙が大きく報じられていました。

水無田 昭和天皇が崩御した時の代替わりの際は、戦争責任も含めて天皇制の是非を問うテレビ番組や新聞報道がありました。当時は、戦争を経験した人たちが今よりも多くいたことも大きいでしょう。一方、時代はちょうどバブルに向かう時期で、天皇制を真剣に問い直す背景として、景気は上向きであるという安心感がどこかにありました。ところが今は「失われた20年」から脱しようともがいている状況で、国民の生活も暗くなりつつあり、少子高齢化の影響で年金を含め将来に不安を感じている日本人も多い。刹那的でもいいから、明るい材料がほしいという感情がくすぶっているのではないでしょうか。このため、総じて「お祭りムードに水を差すべきではない」という空気が充満しているということでしょう。

近代家族の理想像を示した上皇ご夫妻

——時代によって、メディアと皇室の関係は変わりましたか。

水無田 皇室はメディアの発達とともにその像を変えてきました。戦前は皇室、特に天皇・皇后両陛下と庶民をつなぐメディアは、学校などに掲げられた『御真影』でした。家父長専制的な明治憲法の下で、国の巨大な父親として天皇は君臨してきたのです。戦後も、昭和天皇ご夫妻が連れ立ってお姿を見せることは、それほど多くはありませんでした。 

一方、1959年のご成婚パレードがテレビの普及に貢献したといわれる東宮時代の明仁上皇、美智子上皇后は、昭和後期の民主化された近代家族の像を示しました。60年代の高度経済成長期に団地という新しい形の郊外型マイホームファミリーが増えていきますが、その現場である(1960年東京・北多摩地区に完成した)「ひばりが丘団地」をお二人が訪れたことは象徴的です。完ぺきな近代家族の皇室像は今の上皇ご夫妻によって形作られたと言っても過言ではありません。特に美智子さまは、自ら育児する姿もお見せになった。これもかつてはあり得ないことです。

戦後、日本国憲法の最初にうたわれた象徴天皇制はとても抽象的で、国民たちが感情面でついていくのは非常に難しかったはずです。その中で、皇太子・皇太子妃時代から平成を通じて、上皇ご夫妻は並々ならぬ努力で国民からの親しみの念と敬意の念の二つを同時に獲得しました。そこにはテレビ時代における皇室報道の役割が大きく、国民はメディアの報道を通して見るお二人に感情的な象徴性を見いだすようになっていきました。

——SNSのコメントや週刊誌の秋篠宮家に関するゴシップ的な記事などを見る限り、国民の皇室に対する視線がより「感情的」になっている印象があります。

水無田 それには二つの要因があります。第一は先にも言ったように、制度としての皇室を問い得る言語が社会であまり流通しなくなってきていること。「制度としての天皇制」を考えることへの関心が薄まっています。第二はネット時代の中で、メディア側も国民感情の「空気」を読むようになったこと。この二つの相乗効果で、エモーショナルなものばかりが取り上げられるようになっています。

また、ある意味で国民の感情的な関心を引きつけやすい方たち、メディアにとってもキャラクターとしていじりやすい対象があるのです。例えば、雅子さまと紀子さまの対立の構図や、秋篠宮家関連のものが挙げられます。秋篠宮殿下に対するバッシングもありますし、お二人の内親王に関する記事も多い。長女は婚約者を巡る騒動、次女はヒップホップダンスに興じているなどです。

背景にあるのは、“ノブレス・オブリージュ”(高貴なる者は義務を負う)を果たしていないという不満ではないでしょうか。品のある振る舞いをして、品のある方と結婚して、品のある家庭を作っていただきたい―恐らく(眞子さまは)その期待にそぐわない方と結婚したいと言っているので、騒ぎになっているのでしょう。また世間は子育てに“失敗”した母親に特に厳しいので、紀子さまにも厳しい目が向けられます。一般家庭なら、立派に成人した二人の娘とかわいい男の子にも恵まれて、何も文句を言われることはないのですが…。多くの人たちは、皇室を公的な存在とみなしているため、その役目の規範から外れることが許せないという感情的バッシングが多いのだと思います。

皇室を形骸化する「男系男子」へのこだわり

内親王の眞子さま、佳子さまは、皇室典範にのっとり民間人と結婚すると皇籍を離れることになる。皇室は現在18人で構成されるが、そのうち6人が現時点で未婚女性。また、18人の中で30代以下は7人だ。女性皇族が結婚して皇籍を離脱すれば、皇室の活動の担い手が大きく減ることになる。政府は女性皇族が結婚後も皇籍に残る「女性宮家」創設の検討を始める方針だというが、「女性天皇・女系天皇」に道を開くのではないかと保守派の中には根強い反対論がある。

現状の皇位継承者は秋篠宮さま(54歳)、悠仁さま(13歳)、常陸宮さま(84歳)の3人のみ。皇室制度を今後どのように安定させていくのかという重大な課題の検討は先延ばしにされてきた。男性皇族が減少する中、小泉政権下の2005年に、女性・女系の皇位継承を認める有識者会議の報告書がまとまった。だが翌年に悠仁さまが生まれて、議論は深まらなかった。一方、自民党の一部議員らから浮上しているのは、第2次世界大戦後の改革で皇籍を離れた旧宮家の男性を復帰させるという案だ。

——最近の世論調査では、皇位継承を男系男子に「こだわる必要はない」が多数派を占めています。皇位継承を巡る問題をどのように考えますか。

水無田 恐らく国民が望んでいる皇室、天皇の役割は、血統の維持、伝統文化の継承、そして(国民の統合としての)絶えざる象徴性の醸成の三つでしょう。これらは同時に維持するのがとても難しい。まず、男系の万世一系を厳粛に維持しようと思えば前近代的な一夫多妻制度が不可欠になってしまいます。一人の女性の平均的な出産を考えれば、天皇制を嫡流(ちゃくりゅう)で継続していくのは難しい。いずれ後継者不足になります。

旧宮家の男性を皇族に復帰させるという案もありますが、70年以上前に皇籍を離脱した方たちが、真の意味で皇室の伝統文化を継承することができるのかは未知数です。特に天皇家では、天皇しか知り得ないさまざまな儀礼もあり、皇太子が子供時代から受け継いでいくものとされます。また、国民は上皇ご夫妻に対して、感情的な親しみと敬意を両立させてきました。仮に皇室に復帰した方々が順次皇位を継いでいくことになった場合、国民はそこに絶えざる象徴性を見いだせるでしょうか。代を重ねるごとに庶民の生活とは関係ない、どこかの高貴とされる人たちの古典儀礼を見るようなまなざしに変わっていく可能性が高いでしょう。そうすればやがて、天皇制が国民の日常性を帯びなくなる。それは、象徴天皇制の形骸化を意味すると私は思っています。

小泉総理の時に浮上した「女性天皇・女系天皇」を認める案は、恐らく先ほど挙げた国民が期待する三要件をソフトランディングさせるための策だったと思います。それがついえてしまってからは、政治家の人たちはできるだけ触りたくないのでしょう。国論を二分する大きな問題だからです。自民党の思想的な分裂も招きかねません。恐らく選挙で得にならない限り、野党も触れたがらない。誰も責任を取ろうとしない状況です。

令和の新しい家族像を

——徳仁天皇・雅子皇后は国民にとってどんな象徴となり得るでしょうか。

水無田 平成の30年は、阪神淡路大震災、東日本大震災、台風大型化など、災害の多い時代でもありました。前天皇・皇后は、被災地訪問を積極的に行い、被災者たちの心に寄り添った。東日本大震災の計画停電の際には一部から苦情も出ましたが、当時の天皇ご夫妻が自分たちも自主的に節電していると報じられてから、誰も文句を言わなくなりました。国民の統合の象徴として大きな機能を果たしていると、改めて思いました。 

令和の「朝見の儀」のお言葉で、天皇は「上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿」「国民に寄り添いながら」などと述べられ、先代の意を継いでいきたいという姿勢を示されました。ただ、「超人的」だった上皇・皇后さまをあまり強く意識なさらないほうがいいのでは。昭和から平成への代替わりで家父長性から民主的な近代家族(の模範)に変わったように、ご成婚当時、キャリアウーマンだった雅子さまは共働きのパワーカップルのような、新しい皇室ファミリーの像を見いだせるのではと多くの人は期待しました。でも、結局伝統や旧家の重みに耐えられていないという印象となり、特に雅子さまへのバッシングはお気の毒だったので、今後は無理に上皇ご夫妻のやり方を踏襲なさることはないと思います。今度こそ、新しい形の皇室像・家族像をお二人でおつくりになればよろしいのではないでしょうか。

(聞き手・構成=ニッポンドットコム編集部 板倉君枝) 

バナー写真:天皇陛下の即位を祝うパレードの号外を求める人たち=2019年11月10日、東京都中央区(時事)

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