日本で唯一の「国際町」の今:新潟県南魚沼市から見える「国際化」の厳しい現実

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コシヒカリの産地として知られる新潟県南魚沼市は、約60カ国からの留学生たちが学ぶ国際大学の所在地だ。行政は彼らを「住民」扱いしていない。豪雪地帯の「陸の孤島」で閉塞的な生活を送る多様な人材を、今こそ地域活性化に生かすべきではないのか。南魚沼を拠点に活動するライターが問題提起する。

57カ国の出身者が集まる「国際町」

私たちの日常生活は「国際」という言葉であふれている。新聞記事で目にするのはもちろんのこと、空港、学校、駅、病院、会社など、当たり前のように名称の一部に使われている。

しかし、「国際」という言葉を含む地名はまれで、日本に3つ(あとの2つは神奈川県の「湘南国際村」、長野県の「神山国際村」)しかない。

1982年、コシヒカリで有名な新潟県南魚沼郡大和町(2000年代の市町村合併で現在は南魚沼市)の16ヘクタールという広大な元農地に、日本で初めて、そして唯一の「国際町」地区が生まれた。将来の国際化を見据え、政財界トップのイニシアチブで、大企業の社員と外国人留学生をキャンパスの寮で寝食を共にさせ、日本の内なる国際化を推進しようと、英語を公用語とする大学院大学「国際大学」をここに設立したのだ。

国際大学
国際大学

初代理事長は中山素平・経済同友会終身幹事が、初代学長は大来佐武郎・元外務大臣が務め、国家の威信をかけた国際化プロジェクトだった。 

現在、国際町には、57カ国・地域出身の教員、学生、その家族ら300人の住民が暮らしている。その中にはソマリア、レソト、エスワティニ、東ティモール、タジキスタン、フィジーなど、日本に数十人程度しかいない国の出身者もいる。これほどの多様性は国内はもちろん、世界でもまれだろう。

大学の教授陣はほとんどが欧米の大学で博士号を取得しており、英・エコノミスト誌の2019年グローバルビジネススクールランキングで、世界94位、アジア6位を獲得した。日本の大学では唯一のランク入りだ。 

そんな国際町で最近、二つの差別事件が起きた。 

表面化した差別問題 

2019年3月11日、「アフリカ出身の学生の体臭がひどい」という差別的な内容を含んだ学生からの投書を、大学職員が学内の提示版に貼り付けた。さらに、その職員が貼り付けた投書の下に「彼らの名前を教えてくれたら、私が彼らと話をさせてもらいます」と差別を容認するとも受け取れる返答をしていた。6月にメディアで取り上げられ、大学は謝罪文をホームページに掲載した。

この投書事件に先立つ3月9日、林茂男・南魚沼市長が同大学を訪れた。国際町が新しいごみ処理施設の建設候補地に指定され、建設計画について住民に説明するためだ。しかし、配布された英語の説明書はたった19ページで、65ページの日本語版から情報が大幅に削られていた。

11月15日、国際町の住民有志らは建設計画の撤回を求める請願書を林市長に提出。現役学生や卒業生ら403人分の署名を添えた。請願書には「同等の住民として扱われている感じがしない」と記され、12月20日までに書面での回答を求めた。

11月20日、日本テレビ系列の「テレビ新潟」の「夕方ワイド新潟一番」で、この問題が特集された。説明会資料の量に差があったことについて問われた林市長は、「彼らは、2年くらいしかいない。これ(施設)ができるのは7年後ですよ。それを住民と同じレベルで説明すること自体がおかしくねえですか。でもわれわれは(説明会を)わざわざやっているんですよ」と話した。一方、現時点で請願書への回答はない。現在、学生有志らが、市長の外国人差別発言撤回を求めて、署名運動を展開している。

国際町には10年以上暮らしている教員やその家族たちがいる。博士号まで取得し、5年以上国際町で暮らす学生も中にはいる。彼らを「住民と同じレベル」ではないと言うこと自体、事実に反しており、差別である。

「住民」を無視する行政と大学事務局

日本の「国際化」の先駆的存在の国際町で、なぜこのような差別事件が起きるのか?

一番大きな問題は、国際町の住民が「住民」として行政に意見を言う場が限られていることだ。行政管区の大きな役割の一つは、区長が住民の意見を集約して市役所に伝えることだが、国際町の場合、市役所は原則大学事務局を通して学生や教員に通達を出す。

しかし、大学の事務局職員は国際町の住民ではない。意思決定権がある学長や理事長は東京に住んでいる。現在の理事長は三井物産の前会長で、学長は一橋大学の名誉教授だ。私立大学の組織のトップが、住民と市役所の間に入るというシステムになっている。

極端な例を挙げるとすれば、世田谷区で暮らす早稲田大学の学生に対し、区役所が大学を通じて、区の情報を提供しているようなものだ。今回の新ごみ処理施設建設計画を進める上で、このシステムのいびつさが露呈した。

同計画では、市が国際大学の敷地9ヘクタールを買い取り、そのうち5.5ヘクタールの土地にごみ処理施設、残りの土地に温浴施設などを造ることを想定している。ごみ処理施設から生み出されるエネルギーを大学に供給する案もある。利害関係が発生する立場の大学を通して、建設候補地から一番近くに住む「住民」に、この計画について連絡をするというのは中立性を欠く。

当初、大学事務局は、国際町での住民説明会は「必要なし」と市に伝えていた。説明会開催が決まると、今度は、大学は開催期日を体育祭と同日に設定し、さらに、学生たちへの通知メールに、建設予定地の正確な位置情報を記載しなかった。ごみ処理施設の予定地は大学の学生寮に近く、寮生たちが眺める景観は一変するにもかかわらずだ。結局、説明会に参加した住民はたった12人だった。

市内各地で開催される市長との座談会や市議会の報告会も、通訳を交えて国際町の住民向けに開催されることはない。

「陸の孤島」に閉じ込められた留学生たち

そもそも、なぜこのような大学が新潟の山間部に作られたのか。

旧大和地区の人口は現在1万4000人。この小さな地区に上越新幹線の浦佐駅があり、看護師や栄養士を養成する北里大学保健衛生専門学校、県内屈指の進学校である国際情報高校、400床ある魚沼基幹病院、国際大学がある。

そして浦佐駅前には、右腕を掲げた田中角栄像が建っている。この地域は田中氏の支持母体「越山会」の大きな地盤で、多くのインフラ工事を呼び込んだ。南魚沼市の初代市長も越山会出身で、林市長は初代市長から後継者として指名され、2016年に当選した。

国際大に16ヘクタールという広大な土地があるのは、将来的に学部や高校などを建設していく構想があったからだ。しかし、日本経済のバブルがはじけて、構想は頓挫。当初は学生の半数以上が日本企業から派遣された日本人だったが、今では日本人学生は全体の1割未満。一方、全体の半分以上が日本政府による途上国支援の一環で来日した研修生で、彼らの渡航費、生活費、そして学費などを税金で賄うことになる。学費、生活費だけでも、研修生1人当たり年間360万円程度だ。年間の学費が200万円かかる私立大学ではあるが、「私設公営」などと揶揄(やゆ)されるゆえんである。

研修生の身分で来日した場合、車の運転が許されない。大学周辺は完全な車社会だ。豪雪地帯のため、冬は車以外での外出は困難になる。最寄りの駅まで徒歩40分、飲食店まで徒歩15分、コンビニまで20分。1時間に1本、駅などの主要地を巡る大学のバスが学生たちの生命線だ(週末は1日2本しか走らない)。

雪景色の国際大学周辺
雪景色の国際大学周辺

また、多くの研修生は母国の政府機関や大企業の職員で、2年の研修期間を終えれば母国へ帰ることが義務付けられているため、日本語を学ぶ余裕はない。

こうして、ほとんどの住民が車を持ち、英語ができる人が少ない南魚沼市に、日本語が話せず、運転が許されない人が大多数を占める「陸の孤島」が出来上がった。学生たちは、国際大学「IUJ(International University of Japan)」は「Isolated University of Japan(日本の孤立した大学)」だと皮肉を込めて呼ぶ。

問われても学長の名前を言える日本人の地元住民は皆無に近く、「コシヒカリ」の意味を知らずに帰国していく留学生たちも多い。

単身者用の寮は一部屋八畳間くらいの広さで、トイレとシャワー付き。共用キッチンで料理をする者もいれば、学内のカフェテリアで食べる者もいる。図書館は深夜12時まで、パソコンルームは24時間利用できるので、夜遅くまで勉強する。生活のルーティンは全てキャンパス内で完結する。

アフリカ出身の学生は「キャンパス内に引きこもる生活で精神的ストレスを抱え、人間関係に悩む人も多い」と打ち明ける。

大学から徒歩5分の所に住む40代男性は「子どもの頃はよく大学に遊びに行っていた。日本人学生の子どもたちと遊んだりした。でも今は日本語ができる人が少なくなって大学に行く機会がめっきり減った」と言う。

「陸の孤島」での閉塞状況が、学生たちの人間関係にも影響して、特定の地域出身の学生たちに対する差別的な投書を招いたとも考えられる。

「地域に溶け込みたい」留学生の意欲を生かせ

さまざまな弊害がある中で、国際町の住民たちは地域に溶け込もうと必死だ。

彼らと他の地域住民の交流を活発化させようと、私は2018年5月、「Uonuma Network Group」というフェイスブックグループを立ち上げた。現在メンバーは730人。

そこで、除雪ボランティアや災害ボランティアなどの募集を英訳して流すと、多くの外国籍住民が手を挙げた。18年7月の西日本豪雨ではナイジェリア人が自腹で広島まで1週間ボランティアに行き、19年10月の台風19号では長野市へのボランティアバスの半数以上が外国人になった。

しかし、行政も大学も彼らを「住民」として扱ってこなかったため、彼らの地域貢献への意欲を地域の活性化にうまくつなげることができない。

「外国人との共生」というと、日本人が支援者で、外国人が受益者という根強いイメージがある。言語サポートやイベント開催などを通して、国際町の住民を支援するボランティア団体はいくつかあるが、彼らの能力を生かして地域活性化につなげようとする取り組みは少ないのが現状だ。

多くの地方自治体と同様、林市長も外国人観光客を呼び込みたいと言っている。ならば、在日外国人は「支援対象者」ではなく、地域活性化の担い手としてみなしてはどうだろう。「2年しかいない」人に対し、「わざわざ説明会をしている」ではなく、「2年以上いてもらえるよう、率先して説明させてもらいたい」と林市長には発想の転換をしてほしい。

「移民政策」を取らないと公言する一方で、外国人労働力には広く門戸を開く方針に転換した日本政府。「国際化」という言葉が日常化していく中で、国内で唯一の「国際町」の現状は、外国人との共生について大きな問題提起をしている。

バナー写真:2019年6月の国際大学修了式(バナーおよび本文中写真は筆者提供)

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