企業スポーツを襲うコロナの荒波、改革に生かせ―東京五輪の課題(4)

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新型コロナウイルスの感染拡大で東京五輪・パラリンピックが史上初めて延期、世界中のスポーツ活動は停止に陥った。さらにレナウンが経営破綻するなど、景気悪化は大きなスポンサー企業にも及び始め、「企業スポーツ」の存続が懸念されている。1990年代以降、バブル崩壊とリーマン・ショックによる2度の景気後退で、多くの社会人チームが休廃部に追い込まれており、今回のコロナ・ショックは、さらなる荒波として再び企業スポーツを襲う恐れがある。

世界でも珍しい日本のアマ競技形態

企業スポーツは日本で誕生した世界でも珍しい競技形態だ。欧米では個人会員の会費や企業の協賛で運営される地域のクラブチームが主流で、サッカーのFCバルセロナ(スペイン)などはその代表格といえる。一方、同じ会社で働く社員でチームを構成し、企業対抗で試合を行う日本の方式は、「実業団」「ノンプロ」とも呼ばれ、戦前から存在した。とりわけ、戦後の高度経済成長期には、好景気に乗じてチーム数が増加していった。

こうした企業チームが集う団体競技の多くでは、年間を通じて覇者を競うリーグ戦が実施されている。競技によって名称は異なるが、「日本リーグ方式」と言えば分かりやすいだろう。このシステムを最初に持ち込んだのが、Jリーグが発足する以前のサッカーだ。

1964年東京五輪のサッカーで日本代表を指導した旧西ドイツ出身のコーチ、デットマール・クラマー氏は、「日本サッカーの父」と呼ばれる。そのクラマー氏が提唱したのが「日本サッカーリーグ(JSL)」の創設だった。

勝ち上がりのトーナメント戦だけでは試合数が限定される。しかし、全てのチームと対戦するリーグ戦方式なら、多くの試合をこなすことができ、日本のレベルアップにつながるという考えだ。65年にJSLが発足すると、バスケットやバレーなど他競技もこれに続いた。全国規模のリーグが次々とスタートし、企業の宣伝とも連動して活況を呈していった。

企業スポーツの役割は、時代に合わせて変化を重ねてきた。最初は、社員の健康増進やストレス解消につながる「福利厚生」の側面が強かった。やがてチームが大会に出場して活躍するようになると、応援団も動員し、「社員の士気高揚」に役立つと見られるようになった。そして、その活躍がメディアを通じて国民に広く伝えられると、次は「会社の宣伝」という広告効果が求められた。

バブル崩壊、リーマンの荒波

会社の宣伝であれば、競技そのものが労働になる。職場で仕事はせず、競技に専念する選手が多くなったが、その結果、職場との距離は離れ、社員の士気高揚にもつながらなくなった。

そうした弊害が表れ始めたころ、バブル崩壊が日本経済を襲った。各企業は経費削減を迫られ、身を切る経営改革の矛先はスポーツや文化事業(メセナ)に向かった。

リーマン・ショックへと至る時期を振り返れば、社会人野球のチームが最も多く姿を消した。日本野球連盟に登録されている加盟チーム数の推移を見ると、前回東京五輪を翌年に控えた1963年の「会社登録チーム」は237を数えた。しかし、2008年には84チームと最盛期の3分の1程度にまで減少した。

影響は伝統あるチームにまで及んだ。00年には女子バレーボールの名門、ユニチカと日立がともに廃部となる。「東洋の魔女」と呼ばれた東京五輪バレーボール女子の金メダリストは、全員がニチボー貝塚(のちのユニチカ)の選手たちだった。その後、1970年代以降は日立が日本代表を多数輩出した。そんな栄光のチームですら、会社経営の重荷と見られるようになった。

こうして90年代後半に加速したバブル崩壊の「第1波」で多くのチームが消え去り、2008年のリーマン・ショックにおける「第2波」でも、野球や陸上、アメリカンフットボール、女子サッカーなどで企業の撤退が相次いだ。

所有から支援へ、多様化する企業スポーツ

アスリートの競技基盤が失われる中で、新たな形態を模索するチームも現れた。複数の運動部を持っていた新日鉄(現・日本製鉄)は、「所有から支援へ」というコンセプトを打ち出し、所有していた多くのチームを“地域クラブ”化した。

所属する選手たちの雇用先を関連会社や地元の企業に分散させ、新日鉄以外にも複数の企業がスポンサーとしてチームを支援する形式に変更した。バレーの堺ブレイザーズ、ラグビーの釜石シーウェイブス、野球のかずさマジックなどがその例だ。

さらに企業スポーツ衰退の“反動”として、野球では四国アイランドリーグなどプロの独立リーグが誕生し、サッカーではJリーグが3部まで拡大した。バスケットボールもリーグの分裂を経てプロ化し、2016年から始まったBリーグは1、2部で計36チームと全国に広がりを見せている。

アスリートたち自身も自活の道を探り出した。陸上競技などではプロ宣言してマネジメント会社と契約を結び、複数の協賛企業を募る選手も出てきた。サッカーをはじめ団体競技でも海外のプロリーグに所属する選手が多くなった。

こうして企業スポーツ崩壊の第1、2波は、結果的にトップ選手や準トップクラスの競技者の場を多様化させた。20年東京五輪の開催も決まり、以前に比べれば、選手たちの競技環境は改善されたかに見えた。

コロナの衝撃

しかし、予想もできなかったコロナウイルス禍による経済危機は長期化が予想され、企業がどこまでスポーツ界を支えてくれるのか、そして支えられるのか、全く先が見えない。企業内チームはおろか、クラブチームでさえも懸念は広がる。日本代表となっているようなトップ選手たちは、東京五輪が延期された来年までは環境が保証されるだろう。だが、その五輪さえも感染の収束状況によっては開催が確実なわけではない。

いわんやトップクラス以外の選手たちの立場ははるかに脆(もろ)い。バブル崩壊以降、契約社員の選手や関連会社に籍を置く選手が目立って増えてきた。プロ契約している外国人選手も多い。いずれも競技活動に専念しやすい環境に身を置き、所属部署での社業は重視されない。スポーツ中心の生活を送れる半面、休廃部になれば、会社から去らなければならず、競技の場を失うリスクを負う。

企業スポーツは日本の競技レベルを支える重要な基盤だ。ところが、メディアの注目はプロや五輪のトップばかりに集中し、企業スポーツにまで光が当たることは少ない。試合で結果を残して、メディアで会社が宣伝されるという役割だけでは、もはや企業スポーツは生き残れない。休廃部が相次いだ過去の苦い経験を振り返ってもそれは明白だ。ゆえにコロナ・ショックによる企業スポーツ崩壊「第3波」の襲来を前に、関係者は改めて役割を考える必要がある。

「第3波」への備えを

そのためにはまず、チームはなぜ存在する意義があるのかを突き詰め、一日も早く行動を起こすべきだ。外出が自粛され、全体練習もできない中、一部の選手たちはトレーニングの映像を撮影するなどしてSNSを通じて発信を続けている。これらの活動を手始めに、競技の合間を見て、社会とのつながりを再発見できる取り組みを検討してはどうだろうか。

企業スポーツの意義は、やはり「社会への還元」だ。企業は、自社が生み出す製品やサービスを世の中の人々に買ってもらうことで利益を得る。その利益を社会にお返しするための一環として、企業スポーツは存在するといってもいい。チームは、会社と社会のつながりを保つ存在であるべきだ。金勘定を超えた存在になることは後で大きな果実を生む。

しかし、現実的にはスポーツだけに専念する環境に選手たちは置かれ、社会はおろか、会社の業務にさえ目が向いていないケースが多々ある。年間数億円にも及ぶ運営維持費を理由に、ある日突然、選手たちに休部が告げられる。バブル崩壊期に何度も繰り返された光景はもう見たくない。

競技活動が再開されたら、地域社会との関係をもう一度見直してほしい。一番身近なのは、地元の少年チームや子どもたち。中学校や高校とのつながりを強化するのも一つだ。スポーツ教室やファンサービス、さまざまな工夫が求められる。新たにオンラインでできることもあるに違いない。別の企業チームとも協力すれば、活動の輪も広げられる。

選手たちも自分の競技の外に視野を広げ、地域に不可欠な存在になるためにどうすべきか、知恵を絞ってほしい。社業にも積極的に取り組み、一般社員との結びつきを強めれば、企業にとっても切り離しにくい存在になるはずだ。

05年に設立された「日本トップリーグ連携機構」(川淵三郎会長)という組織がある。団体球技を行う9競技の12リーグを束ね、企業スポーツだけでなく、Jリーグ、Bリーグのプロも含め、全国310チームが傘下にある。このような団体を中心に連携を強め、「ポスト・コロナ」を見据えてスポーツ界を再構築する時が訪れている。

バナー写真:チーム再建の署名活動をするアメリカンフットボールの旧「オンワードオークス」の選手たち(時事通信)

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