9月入学案はなぜ消えたのか?

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全国知事会で多くの知事の支持を集め、その後、安倍晋三首相も「前広に検討する」と前向きな姿勢を見せたことから、がぜん、大きな注目を集めたが、萩生田光一文科相の「導入を急いで結論づけない」という発言で事実上、お蔵入りが決まった。あれほど盛り上がった9月入学変更案はなぜあっさり立ち消えとなってしまったのか?

重要テーマがいとも簡単に消えてしまった背景

「熱しやすく、冷めやすい」を地で行くような結末だった。新型コロナウイルスによる長期休校の解決策として今春、浮上した「9月入学案」の話だ。都道府県知事から国会議員まで巻き込んだ論争に発展していたにもかかわらず、政府はわずか40日足らずで「直ちに導入するのは困難」との結論に達した。

その後、政府は「検討は続ける」と言ってはいるものの、潮が引くように議論自体が聞こえなくなっている。こんな日本社会全体を変えるかもしれない重要テーマが、なぜ、いとも簡単に消えてしまったのか。検証してみたい。

休校が長引き、来年の受験に不安を募らせた高校3年生が「全ての学校の入学時期を4月から9月へ」とネットで署名を呼びかけ始めたのは4月19日だった。これに呼応するように、村井嘉浩宮城県知事が4月27日の記者会見で9月入学案を提起した。

翌28日の全国知事会のリモート会議では、小池百合子・東京都知事ら、賛同する知事が相次いだ。これに反対する人は、あらゆる改革に後ろ向きな「守旧派」だというような雰囲気だった。

その翌日、安倍首相も国会で「前広にさまざまな選択肢を検討していきたい」と答弁した。「前広」とは、なじみの薄い言葉だが、「前向きに検討する」よりは慎重な意味合いの役所用語だそうだ。ただし安倍首相は2006年に出した著書『美しい国へ』で9月入学を提唱し、その直後に首相に就いた第1次政権時には、国公立大への9月入学枠設置を打ち出している。そうした経緯があるだけに、答弁は「本気」と受け止められた。

学年が始まる時期は、英国、フランスが9月、ドイツが8月、米国は7月。それが先進国のスタンダードだ。9月入学にすれば、欧米への留学もしやすくなる。4月入社が基本の就職活動も変わり、避けて通れない働き方改革にもつながるだろう。4月から翌年3月の年度が原則の政治・行政も変わる。

かねて筆者も秋入学が望ましいと考えてきた。新型コロナの緊急事態は、そんな状況でもないと、長年動かせなかった日本の社会システムは変えられないとも思えた。それでも「具体的に検討すればするほど、導入が困難であることが分かる」と終始冷ややかだったのが、所管の文部科学省だった。

古くて新しい入学時期問題

秋入学は決して新しいテーマではない。

そもそも明治時代の日本の大学は欧州に倣(なら)い、秋入学だった。それが大正時代、4月に変わっていったのは、当時の徴兵検査対象者への通知が春だったからだという説もある。

そして終戦後、1984年には「戦後政治の総決算」を掲げていた中曽根康弘首相が、教育改革を目指して作った臨時教育審議会(臨教審)に、その名も「入学時期委員会」が設置されて、9月入学実現に向けた本格的議論を始めた。

「あなたは春の桜派(4月)? 秋のコスモス派(9月)?」といった報道もあって、国民の関心を呼んだのを思い出す。

世界では9月入学が主流。海外へ留学する際も、海外から日本に留学する際も、日本の4月入学制がネックになっている(AFLO)
世界では9月入学が主流。海外へ留学する際も、海外から日本に留学する際も、日本の4月入学がネックになっている(AFLO)

この時、「教育も国際化を」と訴える財界側に立ちはだかったのが旧大蔵省と旧文部省だ。理由に挙げたのが国や自治体の財政負担が増えることだ。4~8月生まれの全ての子供を一律遅らせて小学校に入学させた場合、一学年の人数は17カ月分に膨らみ、教室や教員の確保に支障を来すというわけだ。

「初年度は6月入学、次年度は9月入学」とする緩和策も検討されたが、混乱をどう回避するかの妙案は浮かばず、立ち消えた。そして、その後も「数年に一度、浮かんでは消える」を繰り返してきたのだ。

今回もほとんど同じ議論だったと言っていい。国や自治体の負担だけではない。文科省は9月入学にすれば、小学生から高校生までの子供を持つ家庭の追加負担の総額は2.5兆円にも上るとの試算を発表。保育所や幼稚園に通う期間も長くなり、待機児童がいっそう増えるという今日的な問題も加わった。

今回も5年間の移行期間を置く案が示されたものの、結局、柴山昌彦氏ら文科相経験者を中心に、にわかに設置された自民党のワーキングチームは6月1日、見送りで合意。当初から慎重だった萩生田文科相も当然同意し、首相も受け入れた――。経過をたどればこうなる。

安倍首相側近の「離反」が意味するもの

政治的な側面にも触れておきたい。

今回、秋入学反対の急先鋒として目立ったのが文科省の元事務次官、前川喜平氏だ。同氏は加計学園の獣医学部新設問題で「行政が歪(ゆが)められた」と証言し、最近は一段と激しい安倍首相批判で知られる。そもそも安倍首相ら官邸主導で決まった全国一律の学校休校要請にも同氏は強く反対していた。

このため「安倍支持」対「反安倍」の図式で捉えられる向きもある。実際、前川氏らが指摘するように、保護者が負担を強いられた一斉休校への不満をそらすため、首相や知事らが9月案に飛びついた印象は否めない。安倍首相や知事らが文科省に対抗できる理詰めの反論を持っていなかったのも事実だ。

「制度として直ちに導入することは想定していない」と記者会見で語る萩生田光一文科相。この発言で9月入学制論議はほぼ収束した(時事)
「制度として直ちに導入することは想定していない」と記者会見で語る萩生田光一文科相。この発言で9月入学論議はほぼ収束となった(時事)

しかし、もっと注目すべきは9月案に慎重姿勢を示し続けた萩生田文科相も、自民党ワーキングチームの柴山元文科相も、首相の側近として知られている点だろう。

「安倍首相1強」と言われる中、首相の意に反する結論を出すのは勇気が要る。ところが文科省の影響を受けたとはいえ、こうした首相の側近でさえ、短期間でこんな結論をあっさりと出したことに「1強」体制の変化を感じないわけにはいかない。やはり今の政治状況と無縁ではないのだ。

長年の制度を変えるのが、日本でいかに難しいかを示す一幕でもあった。しかし、忘れてはならないのは、来年の受験に苦しむ高校3年生たちだ。共通テストの日程をはじめ、彼らに配慮する動きが出ているのは当然だ。

新型コロナでは、オンライン授業をはじめ、日本がいかに立ち遅れているかを示す機会となった。首相も、国会議員や官僚、そして知事も、まず考えるべきは、未来を担う「子供たちファースト」であるべきなのは言うまでもない。

バナー写真:コロナ禍のような「緊急事態」だからこそ実現しそうな機運が盛り上がった9月入学制の導入だが、今や風前の灯となった(PIXTA)

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