グローバル化と都市化が招いた感染拡大:コロナが迫る社会転換

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大都市への人口集中やヒトやモノのボーダーレスな動きが、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を招いてしまった。こうした未曽有の危機を乗り越えるためには、大量生産・大量消費社会から持続可能な社会に転換を図るべきだと筆者は考える。

感染症で甚大なダメージを被った経済・社会システム

新型コロナウイルスが世界中に広まって半年が経ち、私たちは「見えない大津波に飲み込まれてしまった」とでも言うしかない異様な世界に生きている。「ワクチンが開発されるまでの辛抱だ」「それが見つかれば元に戻れる」と考えている人も多いようだが、私はとてもそんな楽観的にはなれない。

感染防止のために長距離移動と密集を厳しく制限するという新しい社会ルールが世界中で適用されるようになった結果、経済システムが広い範囲で文字通り「麻痺(まひ)」してしまった。「感染防止と経済活動の両立」や「新しい生活様式」を守りながら特効薬やワクチンができるのを待つしかないと言われているが、よほどの幸運がない限り、新薬が開発され普及するまで1年半以上かかるという。ということは2021年末までこの状態が続くということになる。私は経済の専門家ではないが、こんなに長期間大幅に事業を縮小しても存続できる企業がそれほど多くあるとは思えない。そうだとすれば、新薬が開発された頃には、多くの企業が倒産しているか、新しい状況に適応して形態を大きく変えているということになる。

もう一つ心配なのは、米国やブラジルなど感染防止より経済活動を優先した結果、医療崩壊の危機と生活困窮者からの抗議のジレンマに陥っている国の今後の行方だ。1年半もこの状態が続けば、統治者が状況を制御できなくなり、深刻な社会的対立や国際紛争を引き起こす可能性も否定できない。なぜこんなことが起こったのか。世界中の政界・経済界のリーダーたちは「コロナは人間の敵だ」「コロナに打ち勝とう」と訴えているが、まったく間違っていると私は思う。本当の原因は人間に、もっと正確に言えば感染症に対して非常に脆弱(ぜいじゃく)な経済・社会システムを作ってしまった人類にある。

ウイルスに最適な環境を与えたグローバル化と大都市化

脆弱さを生み出した原因はいくつもある。まず、経済のグローバル化によって、ヒトとモノをあまりにも自由かつ高速に移動できるようにしたことだ。コロナが中国の一地方からわずか3カ月で世界中に広まったのは、人に寄生したウイルスが人間と一緒に航空機に乗って効率的かつ高速に世界の隅々まで拡散したからだ。生物の世界は生態系という複雑な網の目から成り立っており、ある生物が勝手に移動しようとしても、例えば「縄張り」という境界があって簡単には移動できない仕組みになっている。ボーダーレスという言葉がもてはやされたこともあったが、「世界はボーダーレスだからヒトとモノは自由に移動していい」というのは人間の勝手なルールに過ぎず、それを生物界全体に押しつけた結果、感染症の爆発という強烈なしっぺ返しを受けたと考えるべきではないだろうか。

もう一つの脆弱さの原因は、行き過ぎた大都市への人口集中である。日本において東京で最も感染が拡大したのは、数百万人の人間を高密度に居住させる大都市という構造物がウイルスの拡散に極めて都合がいい環境だからだ。上下水道の整備から多種多様な抗菌グッズの普及に至るまで、都市住民は多大な資本と労力を投入して「清潔」という目に見えないインフラを整備してきた。超過密な都市空間に多様な消費文化が咲き誇ってきたのは、このインフラのおかげだった(新宿歌舞伎町はその象徴的存在になっている)。しかし、ウイルスから見れば、「清潔な大都市」とは数百万の同種の寄生主(つまり人間)が無菌に近い状態で密集して暮らしている環境、すなわち最も増殖に好都合な環境にほかならない。コロナ禍によって世界中の大都市の経済活動が麻痺したのは当然のことと言える。

コロナウイルスが大規模食料供給網を「破壊」

食料のグローバル供給網において、規模拡大と効率化が供給システムの脆弱さを浮き彫りにした事例が報告されている。2020年4月下旬、米国の複数の食肉加工施設で働く従業員がコロナに感染して加工施設が閉鎖された。世界最大の食肉加工業者タイソン・フーズの会長がニューヨークタイムズなどに広告を出し、「食料供給網は壊れかかっている」「短期間にせよ、何百万トンの肉が店頭から消えるだろう」と警告したことから、この事実が世界中で知られるようになった。多国籍アグリビジネスは大規模な食料供給網を世界中に展開しているが、その中核部分に思わぬ脆弱さがあることが明らかになったのだ。すなわち、効率性と収益性を追求して加工施設や流通施設を大規模化・集約化した結果、その施設でコロナウイルスの集団感染が起きると、そこがあい路(ボトルネック)となって流通全体が麻痺してしまうのである。コロナ禍は大規模食料供給網の「急所」を痛撃したと言える。

こうして見ると、コロナ禍によって経済的富を生み出す大量生産システム(グローバル供給網)と富を消費する大量消費システム(大都市の消費活動)が破壊されたことが理解できるだろう。「破壊」という言葉は強すぎると感じられるかもしれないが、タイソン・フーズの会長が「食料供給網は壊れかかっている」(the food supply chain is breaking)と言ったように、システムはまさに「破壊された」のだと私は考えている。

大量生産・大量消費社会から持続可能な社会に

さて、以上の現状分析からどのような将来展望を描くべきだろうか。ただし、どんな希望的な展望を描こうと、私たちは目前に迫った三つの大混乱に突入することは避けられない。第1に、コロナウイルスの感染拡大の第2波である。8月21日に政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会のメンバーが、全国的な感染拡大の第2波が7月下旬にピークに達していた可能性を指摘したが、私はそうは思わない。さらにこの第2波が長引くのではないか。そうなると第1波のように徹底した経済活動の抑制がもはやできない状況で、第2波はもっと大きな被害を引き起こす可能性が高い。第2に、国際通貨基金の6月の世界経済見通しが示すように、2020年度の下半期から「大恐慌以来で最悪の景気後退」が始まるのは間違いない。第3に、地球温暖化による異常気象と災害の頻発である。

しかし、こうした混沌(こんとん)とした時代の濁流に巻き込まれざるを得ない時だからこそ、それを超越する中長期的なビジョンを掲げる必要がある。そのビジョンとは「大量生産・大量消費社会から持続可能な社会に劇的に転換する」ことしかないと私は思う。ビジョンなしに混乱に身を任せれば、無定見な政治指導者に扇動されて悲惨な世界大戦に突入した20世紀の過ちを繰り返すことになるかもしれない。

持続可能な社会に転換するための原則は、民間のシンクタンクであるローマ・クラブが1972年に発表した報告書『成長の限界』にすでに明確に示されている。経済成長を最優先する政策をやめること、人口を増やさないこと、物質とエネルギーの消費を大幅に減らすこと。半世紀前に警告されていたにもかかわらず、ずっと実現できなかったこうした課題に今こそ本気で取り組むべきだ。

見つめ直すべき当たり前の生活の価値

多くの日本人はすでにこのままではいけないことに気づき始めていると思う。コロナ禍を契機に、家庭料理の習慣が広い範囲で復活し、家庭菜園を始める人や大都市から地方に移住を考える人が大幅に増えるなど、一部の人々は持続可能な社会への道を歩もうとしている。経済のグローバル化をすべて否定するつもりはないが、ヒトとモノの移動はもっと減らした方がいい。地域で採れるものは地域で食べる(使う)という「地産地消」の考え方を経済の原則にすべきだ。

特に食料は国内自給率をもっと高める必要がある。日本は工業製品を輸出する見返りに農林水産物を大量に輸入した結果、食料自給率は37%しかない。輸入が途絶えれば、一気に食料不足に陥るのは目に見えている。日本の農業政策は高級農産物の輸出を推進するなどグローバル化に向けた取り組みを進めてきたが、これを機に、国内で賄える食料はできる限り自給し、農業を支えている小規模農家や新規就農者を含めた多様な担い手を総合的に支援する方向に転換すべきである。

例えば、千葉県いすみ市では、市内の小中学校の給食米を全量地元産の有機米に切り替えた自治体として注目を集めている。市内で有機米作りが始まったのは2013年で、当初参加した農家は3人だった。作付面積は約0.2ヘクタールで、収穫量は0.24トン。毎年面積を増やしていき、17年には参加する農家23人、面積14ヘクタール、収穫量50トンにまで拡大し、全小中学校の2300人分の使用量を賄う42トンを供給することが可能となった。有機米に切り替えたことで児童や生徒の食べ残しが激減し、彼らの食育に大いに役立っているという。グローバル化した経済システムに組み込まれた日本が、一朝一夕にして地産地消・国内自給型社会に転換できるわけではない。しかし明確なビジョンを掲げ、地道な取り組みを重ねることでしか、これまでの流れに歯止めをかけることはできないだろう。

暮らし方も見直す時だ。佐賀県の農民作家・山下惣一さんは「コロナの発症は大都市に集中していて、地方都市は少なく、農村にはほとんどない。コロナ騒動は、田舎暮らしの安全・安心、そして『食』を生産・保有していることの盤石の強さを教えてくれた」と語っている。実際、6月に発表された内閣府の調査によると、テレワーク(在宅勤務)経験者のうち4人に1人が地方移住への関心を高めている。安心して生まれ、育ち、働き、暮らし、穏やかに年を取って死んでいく。そんな当たり前の生活の価値を改めて見つめ直すべきではないか。新型コロナウイルスは私たち一人一人にそう問いかけているような気がしてならない。

バナー写真:千葉県いすみ市の水田風景。同市は学校給食の米を全量地元産の有機米に切り替えた市として有名で、有機米に切り替えたことで児童や生徒の食べ残しが激減したという(筆者撮影)。

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