安倍後継は「石破」つぶしの「菅」コロナ対策政権

政治・外交 社会

安倍首相の辞任表明と同時に、自民党内では後継総裁・首相選びが急ピッチで進んでいる。二階俊博幹事長を中心に党内調整が着々と行われているが、国民的人気が高く、自身の就任への意欲も強い石破茂元幹事長の総理への道はほぼ封じられようとしている。

安倍も麻生も石破茂が嫌い

日本の政治は「政策」では動かない。政策論争をしているように見えても、それはまやかしだ。「好き」か「嫌い」かで日本の政治は動く。それぞれの政治家や政党、あるいは派閥にとって「損」か「得」かでも動く。日本の国家、国民にとっていいか悪いかは政治行動の基本にはならない。

安倍晋三は石破茂が大嫌いである。麻生太郎も石破が嫌いである。ともに首相時代、石破から「退陣した方が」と迫られた屈辱的な経験を持つ。麻生も安倍も人の好き嫌いが激しい。とくに安倍はたとえ些細なことであっても、自分を小馬鹿にした人間は絶対に許さない。父安倍晋太郎外相の秘書官をしていた時代、官僚からかなり意地悪をされた経験を持つ。それが安倍の財務(大蔵)官僚嫌いの根源にある。

いままであまり付き合いのなかった経済産業省や警察庁の官僚を信頼し、その結果彼らが首相官邸を牛耳っている。そのボス的存在が経産省出身で総理秘書官から補佐官に格上げされた今井尚哉である。また警察庁出身の杉田和博官房副長官も各省庁の官僚人事を握り、睨みをきかす。安倍は一度嫌った人間は絶対に許さない。好きな人材は職を離れた後までも徹底的に面倒を見る。だから安倍に仕えた役人はみなイエスマンになり、メディアの安倍番記者たちは権力側の御用聞きになる。

第一次安倍政権退陣直後から捲土重来を期していた菅

2007年、持病の潰瘍性大腸炎で総理を辞職したあと、安倍事務所から「話を聴いてくれませんか」と言われ、東京・赤坂の小料理屋で二人だけで話し込んだことがある。慶応病院から退院した後だったと思う。安倍は印象に残るようなことは何も話さなかった。憔悴(しょうすい)しきった顔で私の話を聴いていた。「病気での退陣は辛いことだったけど、これからは一人の政治家として、こつこつと実績を積み上げていくこと、そうすれば、必ず活路を見出せる」、おおむねそのような激励をしたように記憶している。

そのときは後に再び総理大臣の座につき、在任期間で日本最長の総理大臣になるなど、夢想だにしないことであった。そのころ菅義偉はもう一度安倍で勝負する決意を固めていた。「あんな辞め方をした政治家が総理大臣に返り咲くなどありえない。バカなことはしない方がいい」と言う私の言葉を振りきって菅は言い放った。「あなたは安倍の恐ろしいまでの指導者としての能力、魅力を知らない」。

二度目となる「退陣表明記者会見」をテレビで見て、安倍が初めて自分の言葉で会見したな、と思った。原稿が目の前に流れてくる「プロンプター」を使うことなく、あまり力まずに話した。この中継を見ていた自民党のある大物議員は言った。「やはりあの乱暴な国会答弁は潰瘍性大腸炎による躁鬱状態のなせるものだったんだ」

見事に計算され尽くした二度目の退陣劇

突然の退陣表明のように見えたが、このタイミングといい、その後の後継総裁選出の手順といい、見事に計算され尽くしていた。二度にわたる慶応病院での診察があまりに長く、政界には「安倍潰瘍性大腸炎再発」「年内退陣か」などという情報が飛び交った。政局を動かすことのできる唯一のメディアとなっている「週刊文春」が「安倍再発、後継は菅コロナ暫定政権」と報じた。それでもまだ、体調についての説明とコロナ対策が記者会見の目的だと見る向きが多かった。

安倍は一人で退陣を決めた。いまのところ誰かに相談した形跡はない。2020年9月から10月にかけてはニューヨークでの国連総会出席や内閣改造人事、秋の臨時国会、それにコロナへの対応などで日程が空白になっていた。ここに総理交代に必要な日程をすべて入れ込む。そうすれば、後継総裁選びは党員投票と国会議員投票を合わせて行う自民党大会ではなく、それに準ずる両院議員総会+都道府県代表による投票で済ますことになる。コロナ禍の最中であるということで党員投票まで要求する声は消滅するだろう。

突然の退陣表明というショックは、安倍首相の胸の内にある「石破後継だけは絶対に認められない」という怨念を消す。安倍の胸の内は初めは岸田文雄だった。しかし、総裁選が事実上の「石破×岸田」の対決構図になれば、岸田が負ける可能性が高い。絶対に石破に勝てる候補、それは「引き続きコロナと戦う総理」ということで菅義偉以外にない。菅ならば安倍政権の継承であり、コロナ対策を熟知している、しかも来秋までの残りの安倍任期となれば、コロナ対策の継続という大義名分となる。

安倍政権の政治基盤はそのままの首すげ替え政権

岸田の後ろ盾になるはずの古賀誠は岸田に物足りなさを感じていた。その一方で古賀と菅の関係は急接近していた。その菅と二階俊博も悪くない。派閥を持たない菅は、持たないがゆえの強さを持っている。安倍の派閥細田派に、麻生、岸田、それに竹下派が乗れば、あっという間に菅政権誕生になる。1年だけ、なら岸田も乗れる。

問題は菅とことごとく相性の悪い麻生太郎がどうするかだ。麻生にとっての頭痛のタネは派内の河野太郎。出馬となれば麻生派は割れる。菅ならば、神奈川県つながり(菅も河野も神奈川県の選出)で河野も出馬断念しやすい。

結局はいまの安倍政権の政治基盤をそのままにして殿様の顔だけ入れ替えようという戦略だ。菅は秋田県の高校を出て上京、都内のダンボール工場で働きながら、2年後、法政大学の夜学に通う。大学の紹介で法政出身の政治家で衆院議長を務めた中村梅吉を紹介され、そこから同じ中曽根派の小此木彦三郎事務所に入る。後に菅は北海道知事の鈴木直道を全面バックアップするようになる。鈴木もまた法政の夜間出身なのだ。このきめのこまやかな人間関係が菅の本質であり、政治手法は師と仰ぐ梶山静六そっくりである。

というわけで、安倍後継は安倍を再び総理にし、最長政権を官房長官として支えてきた菅義偉で決まりも同然である。

菅の人生はいまどき珍しいくらいの田中角栄神話のような魅力がつまっている。エリート面した政治家が多い中で、叩き上げ風の菅の立身出世物語は大衆に受けるだろう。
ただ、同じ東北人としてほんとに大丈夫だろうかと心配にもなる。秋田県でも山形県寄りの出の菅義偉と山形出身の私と声や話し方がかなり似ているらしい。以前テレビで対談したら、映像を見ていないとどちらの発言か分からないとも言われた。

一年以内に解散総選挙があり、任期も来年9月で切れる。「暫定政権」が本格政権に化けるのはそう難しくはない。解散総選挙で勝利すれば、手続きなしに本格政権になる。(敬称略)

バナー写真 : 左・菅義偉官房長官、右・石破茂元自民党幹事長(いずれも時事)

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