ヘイトスピーチは止まったか:川崎市が全国初の罰則付き条例

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ここ数年、在日コリアンに向けられたヘイトスピーチ(敵意や憎悪を含んだ差別的な言動)が激しさを増していた神奈川県川崎市。これを取り締まろうと、全国初の罰則付きの禁止条例が今年7月、施行された。住民たちは法の後ろ盾という心強い武器を得たものの、「言葉の暴力」は依然くすぶり続けている。

町の悲鳴

例年、初詣の参拝客でにぎわう川崎大師の約1キロ南に、在日コリアンが数多く住む桜本(川崎区)という小さな町がある。京浜工業地帯の臨海部に位置する桜本は、住宅街の中に商店が混在し、どこにでもありそうなごく普通の町だ。

桜本の街並み(筆者撮影)
桜本の街並み(筆者撮影)

ところが、5年前の2015年11月8日、この静かな町が突如、異様な光景に包まれた。事前に予定を告知したヘイトデモの一群が町の一角に迫ってきたのだ。それまでもJR川崎駅前などでヘイト集会が何回か行われていたが、桜本に足を伸ばしてきたのは初めてだった。

「非国民」「たたきつぶせ」「日本の恥」-。旭日旗を掲げ「日本浄化」をうたう一団が町の手前に差し掛かった。小雨が降りしきる中、これに反対する人々が詰め掛け、「帰れ」「差別をやめろ」と叫び、騒然となった。

地元に住む在日コリアン3世の女性、崔江以子(チェ・カンイジャ)さんは当時を振り返って、こう言う。「川崎駅前でヘイト集会に遭遇したことがあり、怖かったので、その後は避けていたのですが、生活の場所に来られると逃げられない。大変な恐怖とショックを感じました。私たちの生活を土足で踏みにじるように『出て行け』とか、ひどい言葉を浴びました。抗議する人たちが駆けつけてくれ、『差別はやめて』という叫びを上げましたが、本当に町の悲鳴でしたね」

この日を境に恐怖感がいつまでもまとわりつく。「眠れない夜が続きました。『次』への恐怖がまた翌日から始まるわけです」。事実、桜本でのヘイトデモは翌16年1月にも行われ、「朝鮮人は出ていけ。ゴキブリだ」などと言葉の刃はエスカレートした。崔さんらは川崎市に対し、ヘイト集会の公園使用を許可しないよう働き掛けたが、「根拠法がない」の一点張り。無力感に襲われたという。

理念法から禁止条例へ

「ルールがないなら、大人が作って」。地元の子どもたちの声に押され、崔さんは行動を起こした。16年3月、法務局に人権侵犯被害申告書を提出したこともあり、参院法務委員会に呼ばれ、実態を証言。今度は与野党の超党派議員団が桜本を視察に訪れた。

「殺されてしまう。助けてください」―。視察団の矢倉克夫議員(公明)は、ある中学生の悲鳴のような訴えが「一番胸に響いた」と明かす。さらに、その子はヘイトデモの後日、日本人の友人に「なんか分からないけどごめん」と謝られ、善意の言葉なのに「違い」を感じかえって悲しかったという。矢倉氏は「分け隔てなく遊んでいた子供の世界にも恐怖だけでなく、区分けまで生んでしまう。ヘイトデモは許せない」と話す。

川崎市中原区で行われたヘイトデモ(2016年6月、時事通信)
川崎市中原区で予定されたヘイトデモは反対する市民に取り囲まれ、中止となった(2016年6月、時事通信)

現場の声を聞いて法制化に弾みがつき、議員立法の「ヘイトスピーチ解消法」が同年5月、スピード成立。罰則規定のない理念法とはいえ、「無策で野放しであり、何の救済もなかった私たちにとっては本当に大きな初めの一歩でした」と、崔さんは言う。

これを受け、川崎市は一歩踏み込み、ヘイトスピーチを抑える実効性のある条例作りに着手した。東京都や大阪府、神戸市にも独自の反ヘイトスピーチ条例があるが、罰則規定を盛り込んだのは川崎市が初めて。19年12月に制定、段階を経て20年7月に全面発効した。

ヘイト禁止条例を可決した川崎市議会(時事通信)
ヘイトスピーチ禁止条例を可決した川崎市議会(時事通信)

条例の穴

川崎市の条例は、外国出身者やその子孫に対する「不当な差別的言動」をなくす(2条)ことを目指す。ヘイト活動の回数が増えるたびに「勧告」「命令」「告発・罰金(最高50万円)」と、3段階で措置を厳しくする。

しかし、条例が完全施行された7月以降も、市内では川崎駅前などで少なくても計8回の集会が確認されている。ヘイトスピーチ問題に取り組む師岡康子弁護士は「条例自体は非常に優れており、機能し始めているが、まだ不十分だ」と指摘する。

罰則対象を定めた12条は「言論の自由」とのバランスを考慮、禁じられた言動を具体的に規定し、「排斥・危害・侮辱」の3類型に絞り込んだ。結果として、当たらずとも遠からずの内容には罰則が適用されず、ヘイトグループはかえって「お墨付きをもらったと調子づいている」(市民団体のメンバー)側面がある。

例えば、9月5日の川崎駅前での集会では「ルーツが日本人でない人たちは平気でうそをつき、振り込め詐欺がなくならないのは外国人に甘いから」などの発言があったと報道された。罰則対象の「侮辱」に当たりそうだが、条例は「本邦外出身者を人以外のものに例えるなど」と例示しており、今回のケースは該当しない。

罰則規定で禁じられている言動類型

禁止類型 規定 例示
排斥 本邦外出身者を居住地域から退去させることを扇動、告知する 〇〇人を川崎から叩き出せ
危害 本邦外出身者の生命、身体、自由、名誉、財産に危害を加えることを扇動、告知する 〇〇人は殺されても仕方がない
侮辱 本邦外出身者を人以外のものに例えるなど、著しく侮辱する ウジ虫〇〇人

出典:川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例12条と解釈指針

監視に当たっていた市職員は、ある集会でヘイトグループのメンバーが挑発するかのように、こう叫ぶのを聞いたという。「われわれはヘイトスピーチしませんから、市の職員の人はちゃんと聞いていてくださいよ」

 川崎市はこれまでのところ、条例の禁止規定に「違反する行為は確認されなかった」(大西哲史担当課長)としている。師岡弁護士は「市は12条の禁止規定対象に当たるかどうかしか言わない」とし、たとえ禁止規定に抵触しないケースであっても「2条の定める『不当な差別的言動』があれば、許されないと市長が積極的に発言していくべきだ」と強調する。

ネット攻撃

ツィッターや伝言板などSNSを介した個人攻撃も後を絶たない。国会で証言した崔さんは、その姿や言動が報じられ、今でも匿名のネット攻撃にさらされている。プロバイダーへの削除要請や刑事告訴、裁判など個人で対処してきたが、あまりに負担が大きい。特にきついのはメンタル面で、「どんな被害があるか立証せねばならず、一度受けた被害を2度も3度も見つめないといけない」と訴える。

これに対し、条例はネット対策について、第三者機関の審査会に諮り、「不当な差別的言動」と認められた書き込みには、個人に代わって市がプロバイダーに削除を求める方針を打ち出した。しかし、崔さんは市に332件申請していたにもかかわらず、審査会のヘイト認定を経て市が11月11日時点で削除要請したツイートは2件にとどまっている。

師岡弁護士は「認定が初めて出たのは前進」とした上で、「何がヘイトなのか極端に狭く解釈しているし、審査期間は5カ月と時間がかかり過ぎ救済として不十分」と話す。書き込みはリツイートなどで急速に拡散するため、できるだけ早く手を打つ必要がある。

ヘイトはなぜ生まれる?

在日コリアンが攻撃される根拠としては、外国人でありながら日本人並みの特権が与えられているといった「在日特権」が挙げられることが多い。在日コリアンには確かに「特別永住者」という在留資格が与えられているが、国会議事録によると、政府は15年5月の参院法務委で次のような見解を示している。

「日本の国籍を離脱することとなった歴史的経緯だとか、わが国における定着性に鑑みて、入管特例法において一般の外国人とは異なる措置が特例として定められた。(中略)特別永住者の法的地位の安定を図るために法律により特に設けられたものであり、このような措置を根拠として日本社会から排斥するようなことは、あってはならない」(当時の法務省入国管理局長の井上宏氏)

1910年の日韓併合で日本国籍となった朝鮮半島の人々は、さまざまな事情から日本に渡ってきた。戦後、祖国が独立を果たした後も日本に残った人々を、日本政府は「外国人」としつつも、日本社会に生活基盤を築いていることを理由に、「特別永住者」と位置付けた経緯がある。政府見解では「特権」ではないことが明示されている。

ただ、特別永住といっても永住権はなく、「植民地支配により元々『日本国民』だったのだから本来日本国籍者と同等の権利を保障すべきなのに、さまざまな権利が制限されている」と師岡弁護士は指摘。「例えば日本国民として戦争に駆り出され、亡くなった人がいるのに補償がない。地方参政権、公務就任権、年金や生活保護など現在も公的差別があり、2級市民扱いされている」ことが差別意識を生んでいる面があるという。

それにしてもヘイトスピーチという暴力的な言動に発展してしまうのはなぜか。議員立法に関わった矢倉氏は「経済が縮小して社会には閉塞感、不安感がある。特に政治の目が向いていない中間層には不平不満があり、弱者を『優遇されている人間』とみなし、たたく。社会の中で分断が広がりつつある」と、時代の空気を読む。東アジアの緊迫化した国際関係も「目の前の人格を否定するようなヘイトを正当化する理由にはならない」と言う。

共生を求めて

桜本では「ふれあい館」という公共施設を舞台に、日本人と在日コリアンが分け隔てなく交流する取り組みが行われてきた。1988年の設立当時には「民族運動の拠点が生まれるのは好ましくない」と近隣で反対運動も起きたが、今ではいろいろな国籍の子供が遊びに来たり、親が出入りしたりして、自然に交わりながら相互理解を深めている。

ここでボランティア活動をしている山田貴夫さんはこう言う。「日本人も在日コリアンも共にいられる場所ができたおかげで、互いの垣根は低くなってきた。背景とか違いを認め合って生きているのが、この地域の特徴だ。ヘイト活動に対しても在日コリアンを孤立させずに、押し返す力が生まれた」

ふれあい館(筆者撮影)
ふれあい館(筆者撮影)

バナー写真:ヘイトデモに抗議する人々(川崎市中原区で2016年6月、時事通信)

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