大阪都構想は何を提起しようとしたのか : 大都市制度を考える

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「大阪都構想」を問う2度目の住民投票は、2020年11月、僅差で否決された。「大阪維新の会」が2010年の結党時から掲げてきた看板政策であり、菅義偉首相が「大都市制度の議論において一石を投じることだったのではないか」と述べたように、自治体の姿を住民が直接選ぶ貴重な機会だった。しかし、賛成派vs反対派の政治的な対立に矮小(わいしょう)化され、大阪ローカルの話題としてその本質が理解されなかったように思える。大阪都構想は何を目指し、日本の地方自治制度にどんな問題提起をしようとしたのか、改めて振り返ってみたい。 

「府市合わせ=不幸せ」

大阪都構想は、政令市の大阪市を廃止し、東京23区のような複数の特別区に再編する制度。都市計画や成長戦略などの広域行政は府に一本化し、福祉やごみ収集など住民に身近な行政は特別区に、というすみ分けを明確化。府と市で権限が重なる「二重行政」を解消し、効率化するのが狙いだ。

大阪では府と市が別々に成長戦略や産業振興、広域交通に取り組んで連携が不十分とされており、非効率な運営になる状況は「府市合わせ(不幸せ)」とやゆされてきた。大学、病院、図書館、信用保証協会、研究機関、産業支援組織などは府と市にそれぞれ存在。バブル期には高さ250メートルを超える超高層ビルを双方で競うように建設したが、ともに経営破綻した。

こうした状況を変えたのは、08年に府知事に就任した橋下徹氏だった。当初は、大阪市の平松邦夫市長とは良好な関係だったが、府と市の浄水場が一部で近接して非効率な運営があるとし、府市の水道事業統合を協議したことが火種となった。一度は合意したものの運営をめぐって決裂し、両者は対立を深めた。ここで橋下氏は市を廃止する大阪都構想を提唱。実現に向けて大阪維新の会を旗揚げするに至った。

11年には府知事・市長のダブル選が行われ、府議の松井一郎氏が知事に、橋下氏が市長にくら替えして平松氏を破って当選し、大阪維新で両首長ポストを占める体制が誕生。国政政党に働き掛け、特別区を作る手続きを示した大都市地域特別区設置法が国会で12年、成立した。

バーチャル都構想を制度に

大阪維新が知事と市長を務める体制が始まってから、府と市の緊張関係は緩和され、研究機関や産業支援組織、港湾組織などは統合。大阪府立大学と大阪市立大学を統合した「大阪公立大学」も22年4月の開学が決まった。二重行政排除に努めた結果、実質的には橋下氏が目指した姿に近づいたといえる。ただ、大阪維新は、「バーチャル都構想」と呼ばれる現在の状態を、「府知事と市長の人間関係に基づく脆弱な仕組み」と指摘。大阪都構想で権限のすみ分けを制度化すれば、将来も「府市合わせ」にならないと主張した。

2度の住民投票で市民に示した特別区の制度案の基本構造は概ね同じ。最も大きな変更点は区割りだ。15年の5区に再編する案では、各区の間で最大約2倍の人口差が生じたが、20年は人口のバランスをそろえた4区(淀川、北、中央、天王寺)案とした。15年は特別区の新庁舎を建設する前提だったが、20年は初期コストを抑えるため、既存の施設を使う方針に変更。府が特別区に10年かけて財源を追加配分する規定も設け、教育や福祉などのサービス低下の懸念払しょくに努めた。

政令市は「特別自治市」提唱

ここで、現在東京にしかない特別区について触れたい。東京は、明治時代から昭和初期まで「東京府」と府庁所在市の「東京市」に分かれ、東京市の中に現在の23区の原型となる15の区があった。戦時下で帝都の統制を強化するため1943年に東京府と東京市が廃止され、東京都が誕生。東京市は東京都の区となった。戦後の47年に制定された地方自治法では「都の区は、これを特別区という」と定められ、現在に至っている。

自治法制定当初、特別区は通常の一般市と同格の「基礎的な自治体」の扱いだったが、52年の改正で「都の内部団体」とされ、区長を選挙で選ぶ仕組みも廃止。区長公選制が復活したのは75年で、自治法で「基礎的な自治体」と再定義されたのは、2000年と新しい。東京23区の人口規模は最多の世田谷区が92万人で政令市なみ、大田区、練馬区は各73万人などとなっているが、自治体としての権限は一般の市並みとなっている。

東京23区は、権限を徐々に獲得した歴史があるのに対し、大阪都構想の特別区は、最初から東京や一般市より多い権限を持たせている。認定こども園の認定や障害者手帳の交付、都道府県が持っているパスポートの交付権限なども移し、「住民に身近な行政は特別区に」のコンセプト体現に努めた。

政令市は1956年の地方自治法改正で創設され、一般の市より多くの権限を持つ。「横浜市中区」「仙台市青葉区」のように市の事務の一部を処理する「行政区」があることも特徴だ。特別区のように区議会はなく、区長は市の管理職ポストの一つだ。

47年に自治法が施行された際、大都市が府県から完全独立して地方の全ての事務を担う「特別市」制度ができたが府県側が猛反発し、一度も実現しないまま56年に廃止された経緯がある。代わりにできたのが政令市制度。当初は横浜、名古屋、京都、大阪、神戸の5市で始まったが、現在は20市に増えた。政令市が持つ権限は道府県のそれの8割程度とされ、道府県の下に位置するため「妥協の産物」とも呼ばれている。

政令市でつくる「指定都市市長会」は2010年、政令市より権限を強化した「特別自治市」を提唱した。外交や防衛など国が行う以外の地方の事務は、すべて特別自治市が担う構想だ。現在、政令市のエリア内で徴収する地方税のうち、一部は道府県税だが、特別自治市はこれをすべて市税とし、仕事量に見合った税制を求めている。制度化には国会での法整備が必要だが、実現に向けた政治的な動きは鈍い。

「市廃止」超えるメリット見えにくく

2020年11月の大阪都構想の住民投票では、賛成67万5829票(49.4%)に対し、反対69万2996票(50.6%)で、約1万7000票差で否決。賛否の割合は、前回15年の賛成49.6%、反対50.4%とほぼ同じだった。

否決された理由について吉村洋文知事は住民投票翌日、「大阪市がなくなることに対して、それを超えるメリットを説明し切れなかった」と分析し、「(バーチャル都構想で)府市一体の戦略を進めて、高い評価を頂いている。『そのままいったらいい』と思う市民もたくさんいた」との見方を示している。

賛成票は、有効投票のほぼ半数あり、新型コロナ対応で脚光を浴びた吉村氏ら大阪維新の根強い人気に加え、閉塞感を打破したいと考える市民も相当数いた。都構想の案では、市が担う約2900事務のうち約430事務を府に移し、府からも一部移譲を受け、特別区は約2400事務を担うと規定。移行作業には膨大な労力が必要だ。移行コストの試算も賛成派と反対派で異なり、新型コロナウイルス感染拡大による将来の影響も見通せない中、現状維持でよしとする勢力を上回るには至らなかった。

二重行政、現行の仕組みで工夫

大阪都構想は戦後の自治体の統治機構を再整理し、住民の判断を直接仰いだ画期的な出来事だった。ただ、日本の地方行政は、「身近な市町村に国や都道府県の権限を移す=地方分権」の流れが確立されている。政令市が、さらなる権限強化を求めて「特別自治市」を志向するのとは真逆のベクトルで、大阪都構想は権限の多い政令市をなくす方向に向かおうとするもので、従来の分権の流れとは異なるとの考え方もある。

大阪のように特別区を作ろうとする動きは他の地域ではない。橋下氏が1回目の住民投票を主導した15年前後、愛知県や新潟県など各地で独自の大都市構想が浮上したが、今はほとんどの地域で実質的な議論が止まっている。

二重行政の問題は地域共通の課題で、知事と市長が対立する事例も散見されるが、大阪のように市解体論にまで発展する動きはない。政府は14年の地方自治法改正で、二重行政解消に向けて道府県と政令市が協議する「調整会議」を各地で置けると規定。現行の仕組みの中で工夫して取り組んでいるケースも多いようだ。

もともと大阪都構想は府知事だった橋下徹氏が大阪市との水道事業統合が不調に終わったことを受けて打ち出したもので、住民から提起された問題ではない。府庁と市役所が繰り広げてきた長年の権限争いの側面があると指摘する識者もいる。

地方自治の分野では、急速な過疎化や高齢化、人口減で税収が減り住民サービスが低下するといった問題が主に議論されている。政府関係者からは、大阪以外で大都市行政の議論が低調な理由について「市民生活が改善される具体像が見えにくいからではないか」とする声が聞かれる。

一方で新型コロナの問題では、緊急事態宣言における国、都道府県、政令市などの権限をめぐり軋轢(あつれき)も起きている。大阪都構想がついえ急速にしぼんだ感のある大都市論議だが、危機に強い自治体のあり方を探る上でも、常に議論をし続けなければならない。

バナー写真 : 共同イメージズ

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