デジタル人民元の恐るべき野望と未来

国際

2022年、中国は北京冬季五輪開催と共に歴史的事業となるであろうデジタル人民元の完成を目指している。世界初となる中央政府によるデジタル通貨の流通には、米ドル基軸体制に風穴を開ける狙いがある。習政権はどのようにして盤石なドル支配を切り崩そうとしているのか。その周到にして老獪な野望について解説する。

ドル覇権崩しが本格化する2021年

2021年は中国・習近平政権によるデジタル人民元をテコにしたドル覇権崩しが本格化する情勢だ。習政権の戦略は用意周到で、ドル金融センター、香港を完全に掌握すると同時に、巨大ネット資本アリババ集団を強権で支配する工作に着手した。アリババが構築したデジタル決裁ネットワーク基盤の上に、共産党が支配する中国人民銀行が発行するデジタル人民元を国内で普及させる体制を年内に整えるための布石である。

次のステップは拡大中華経済圏構想「一帯一路」沿線国・地域や貿易相手国に拡げ、ドル基軸体制を蚕食(さんしょく)していくことだろう。

20年から21年にかけての習政権による数々の強権行使は見境のない独裁者本能むき出しそのもののようでいて、実はドルと人民元を撚(よ)る一本の太い糸でつながっている。

20年6月に香港国家安全維持法(国安法)適用を強行し、国際金融センターを中国共産党の監視・統制下に置いた。1949年の建国以来、党のドル調達拠点である香港への「長期打算・充分活用」路線は、「自由香港」の褪色(たいしょく)によって損なわれると思いきや、中国の巨大ネット資本、アリババを筆頭に香港市場に続々と上場させ、香港株価を吊り上げ、強欲な西側の機関投資家、投資ファンド、大手金融資本を引き寄せ、それを人質にして西側の対中制裁発動を控えさせた。

トランプ政権は国安法に対抗して香港自治法に署名し、金融制裁することにしたが、対象は香港自治侵害に関与した香港と中国の下僚10人にとどまった。19年11月には香港ドルと米ドルの交換禁止を可能にする香港人権・民主主義法を制定済みで、発動すれば人民元と存分に交換できる香港ドルを介して米ドルを入手する中国本土にとって大打撃になるはずだったが、見送った。国際金融市場全体がパニックに陥るリスクを考慮したためだ。

デジタルインフラは「乗っ取り」で構築

習政権は次には、ジャック・マー(馬雲)氏が創業した中国電子商取引最大手アリババ集団の電子決済・金融大手アント・グループの締めつけと直接支配に着手した。2020年11月初め、中国と香港で予定していたアント・グループのIPO(新規株式公開)を延期させた後、中国人民銀行(中央銀行)をはじめとする当局は、新たな金融持ち株会社の設立をアントに命じた。

この持ち株会社に国有商業銀行や国有企業が大株主となって、党の影響下に置く意図がある。IPOは巨額のドル資金調達を可能にするのだが、外国の持ち株比率が高くなることを警戒したようだ。そうなると習政権によるアントの経営支配のもくろみに支障をきたす恐れがある。

さらに、習政権は独占禁止法違反容疑でアリババを調査しており、事業の見直しや資産売却を命じることになろう。

中国のキャッシュレス・ネットワークはアリババ系アントのアリペイとインターネットサービス大手のテンセント系のウィーチャットペイが築き上げた。このインフラをそっくり乗っ取ろうとするのが、中国人民銀行が発行準備を進めているデジタル人民元である。すでに深圳(しんせん)や蘇州で実用化試験中で、北京冬季五輪開催の22年2月までにシステムを完成し、中央銀行による世界初のデジタル通貨を普及させる計画だ。

デジタル人民元はペーパーマネーと併用し、人民銀行が商業銀行に供給し、商業銀行が預金口座を通じて一般の利用を可能にする従来の銀行システムは温存される。消費者や企業はアリペイやウィーチャットペイを通じたスマホ、パソコンなどの端末決済をデジタル人民元に統一することになる。とすると、アリババやテンセントが独占してきた14億人市場の電子取引データがデジタル人民元経由でそっくり党支配下の人民銀行に集約される。

通貨のデジタル化で監視社会システムが完成

カネはあらゆる個人や企業などの組織の情報を付随させるため、習政権はこれまで密告やモニターカメラなどに頼ってきた国民監視システムを中国共産党という全体主義権力が通貨をデジタル化することによって漏れなく張り巡らすことになる。目に見えない恐怖の監視社会システムが完成するわけである。

前述した香港に話を戻すと、香港の締めつけを習政権が急いだ大きな動機は、絶え間のない本土からの資本逃避の受け皿が香港であるという事情にある。資本逃避のために中国は人民元発行の裏付け資産である外貨準備が脅かされ続けている。その香港金融市場を厳重に監視する政治的基盤を築くのが国安法の最大の狙いのはずである。そのうえにデジタル人民元決済で香港を取り込んでしまえば、いつだれがどのようにどこへカネを動かしているかどうかを掌握できるだろう。

習政権の野望は尽きない。ユーラシア大陸からアフリカまでを網羅する中華経済圏構想「一帯一路」でのビジネス取引、さらに日米欧、中南米との貿易取引のデジタル人民元決済化を普及させると、基軸通貨ドルによる金融ネットワークを大きく切り崩すことができる。

米国が覇権国であるゆえんは、ドルの流通を通じて世界の機密情報をたやすく入手でき、ピンポイントで敵対する個人や企業、政府を制裁できるからだ。為替取引や資本・金融取引が不自由極まりない人民元がデジタル通貨になろうとも、全世界にただちに普及するはずはないが、貿易決済を中心にじわじわとデジタル人民元が浸透し、ドル基軸体制に最初は取るに足りない穴を増やし、最終的には突き崩す戦略を描いているだろう。

痛打を浴びせられなかったトランプ政権

米国はどう対抗するのか。少なくともトランプ前政権はデジタル人民元を静観してきたが、警戒は怠っていない。米国から伝わってきたニュースでは、「米当局者は自国の投資家による投資を禁じる銘柄に中国の電子商取引最大手アリババグループとインターネットサービス大手テンセントホールディングスの追加を検討している」(1月7日付け米ウォールストリート・ジャーナル=WSJ電子版)とある。

トランプ前政権は中国人民解放軍や保安当局とのつながりを理由に自国民による投資を禁じる企業のブラックリストを作成し、20年11月には31社を列記した。それに両社を加えようというわけだ。「テンセントとアリババは中国の上場企業のうち時価総額で上位2社。合計の時価総額は1兆3000億ドル(約130兆円)を超える。両社の株式は多数のミューチュアルファンド(発行者が証券の買い戻しを保証している投資信託)などの米投資家が保有している」(上記WSJ)。

前政権は1月20日に終了し、アリババとテンセントへの投資禁止案は時間切れで実現しなかったが、バイデン政権は懸案として引き続き検討するだろう。

トランプ前政権は二つの国家安全保障の観点から上場中国企業を点検していた。一つは中国の軍事力を増長させてきたドル資金や技術、もう一つは中国のネット企業に集約される米国の民間や政府機関の情報だ。アリババなどはまさにこれに当てはまる。

習政権自体、米株式市場からのドル資金調達に加え、アリババが電子決済個人情報を利用しようとし、アリババが中国国内にとどまらず米国など国外にネットビジネスを拡げ、世界をリアルタイム監視下に置くもくろみがあると、トランプ前政権は見抜いていたはずだ。アリババなどへの投資禁止が今後どうなるかは、バイデン政権が前政権の対中金融戦略を共有できるかどうか、にかかっている。

ジャック・マー氏失踪は「英雄演戯」か

そんな渦中の人物、ジャック・マー氏が2020年10月末以来、21年1月20日、オンライン会議に姿を現すまで、公から姿を消した。中国ではさまざまな憶測が飛び交った。「当局に監禁されている」「本人が自重して表に出ないだけ」など。どの見方も習近平政権とマー氏の緊張関係説が背景にある。

マー氏は20年10月24日、銀行界、金融監督当局や政府の要人が出席した上海の会合で、中国の銀行はまるで「老人クラブ」であり「質屋」程度の感覚で営業しているとズバリ。すると当局はアントが計画していた上海と香港での新規株式上場(IPO)を無期限延期させた。さらに、アリババ集団には独占禁止法違反容疑で調査を開始したばかりか、アントに対しては金融持ち株会社を設立させ、国有資本が出資して影響下に置こうとする動きに出た。

この流れの中でのマー氏動静不明というわけで、噂話の多くは党独裁の市場支配に対するマー氏の抵抗という構図なのだが、何かヘンである。マー氏は一介の英語教師から起業家に転じたのだが、この国で党権力との結びつきなくして大成功を収められるはずはない。

現実に、マー氏は習氏に忠誠を誓ってきた歴(れっき)とした共産党員である。それを見越したマー氏はあたかも習政権に抗(あらが)う姿勢をみせて、米側を油断させる「英雄演技」をしていたのではないか、と筆者はみる。三国志演義の例を持ち出すまでもなく、策略に策略を重ねる中国史を考えると、当然の戦術なのだ。

習政権に足元を見られる日米の新政権

1月初めの時点で、以上のようにマー氏消息不明事件について書いていたら、マー氏は1月20日、約3カ月ぶりに公の場に現れ、オンラインの慈善事業イベントで地方の教師らに話しかけた。これを真っ先に大々的に報じたのが共産党直系の対外工作用メディア「環球時報」で、それをブルームバーグなど海外メディアがフォローした。マー氏はこのビデオ講話でアントはもちろん、中国金融について何も触れず、ただ健在であることだけを示したことになる。これもまたやらせっぽい。

党中央としてはマー氏を監禁、拘束しているという海外からの疑惑をかわし、マー氏にしてみれば当局に抵抗する自由で独立した「民間企業家」と、国際社会に思わせ続けたい。習政権がマー氏を弾圧してアントが共産党支配下に置くという真意を知られると、アントは海外投資家の信頼が失われ、外資を惹きつけられなくなる。それは習、マー両氏にとってまずいことなのだ。

折りも折り米国では民主党バイデン政権が1月20日に発足した。バイデン政権は前述したように、アリババグループやテンセントへの投資を禁止するトランプ前政権の計画を引き継いでいる。習、マー両氏にとってはこのタイミングでワシントンの警戒感を緩めるために第2幕の演出を行ったのだろう。

バイデン氏はトランプ前政権の対中強硬策を支えた米国第一主義を廃棄し、軟弱で空疎な多国間協調路線へと回帰する。基本的に全体主義膨張路線を封じこむ意志と実行力が備わっているかどうかが問われる。

それ以上に気掛かりなのは対中融和と対米協調を組み合わせる菅義偉政権だ。このままだと習政権にからめとられかねない。

バナー写真:PIXTA

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