原発がある風景——柏崎刈羽原子力発電所「安全対策」の現状

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3・11東日本大震災からまもなく10年を迎える。大津波による福島第一原発の事故は、いまだに生々しい記憶として残っていることだろう。その廃炉作業は、様々な困難が予想され、いまだ緒に着いたばかりというしかない。その一方で、東京電力の新潟県柏崎刈羽原発の再稼働問題が控えている。安全対策はどうなっているのか。その現状をレポートする。

視界を遮る膨大な盛土

柏崎には美しい浜がある。
夏は快晴の日が続き、ベタ凪の浜辺は海水浴客で賑わうが、冬ともなれば雲の厚い鉛色の曇天となり、人出は絶える。それは極端に閑散とした寂しい景色になるが、それでも空気の澄んだ晴れの日には、佐渡島の稜線がくっきりと見え、美しい夕日を眺めることができる。今年は例年にない記録的な大雪で、一面、銀世界になっていた。

今、人気のない「みなとまち海浜公園」から海岸線に沿って北に目を転じてみると、遠くにいくつかの巨大な鉄塔が立ち並ぶ施設が見える。この地方では、冬に落雷が多い。グレーの排気塔が4本、赤と白に塗り分けられた3本は避雷針の役目をはたす誘雷鉄塔だ。
それが柏崎刈羽原子力発電所である。

間近で見ると、風景はこうなる。
警備が厳重な入口から敷地内最奥の海岸線側まで進む。振り返ってみると、すぐ目の前に山が迫っているかのようだ。津波対策で高さを出すために、膨大な量の盛土をしたからである。巨大なコンクリートの壁が障害物のように聳え立っている区域もある。
かつては海側から原子炉の建屋を見ることができたが、今ではそれが完全に視界を遮っている。

原発の敷地は柏崎市と刈羽村にまたがっており、柏崎市内に4機、刈羽村内に3機の発電所が設置されている。施設の職員なら、東京ドーム90個分の敷地面積があると説明するだろう。施設は鬱蒼(うっそう)とした雑木林に囲まれており、外から内部を窺がうことはできない。
現在、7機ある原子炉のすべてが止まっている。東京電力は、このうち6号機と7号機の再稼働を目指し、粛々と安全対策の手立てを講じてきた。当面の目標は、7号機の再稼働である。

本題はここからだ。
福島第一原発の事故を教訓として、安全対策はどのようになっているのか。それが万全なものではない限り、再稼働が認められることはありえない。
東京電力は、原発の敷地に隣接して、鉄筋5階建てのサービスホールを設けている。入場無料で誰もが見学できるが、そこでは発電所や原子炉の模型が展示され、発電の仕組みや安全対策について、職員が説明してくれる。

津波に対する防護は強化されたか

それでは、これまでに構築された安全対策上の施策を記述していく。これは、再稼働の是非について論じるとき、われわれが知っておくべき重要な基礎知識となる。

原子力発電所の安全は、事故が起こった際には、原子炉を「止める」、燃料を「冷やす」、放射性物質を「閉じ込める」ことで担保されている。
しかし、福島第一原発の事故では、大津波に襲われ原子炉建屋が水没、非常用ディーゼル発電機も水に浸かり、全電源が喪失となる。「止める」ことはできたが、そこから先の「冷やす」ことができなくなった。そこから惨事につながったのだ。

その教訓から、柏崎刈羽原発の安全対策では、まず、津波による浸水から発電所を守ることに主眼がおかれた。もともと国が定めた新規制基準では、同原発に関して最高6.8mの高さの津波を想定している。しかし東京電力では、それをさらに引き上げて、海抜15mの高さの防潮堤を建設することにした。
すなわち、海抜5mの高さにある1から4号機までは、敷地の海側に高さ10mの鉄筋コンクリートの防潮堤を築いた。海抜12mの5から7号機では、従来の海側の斜面をセメント改良土で強化し、同様の改良土で3mを盛土して、海抜15mまでかさ上げした。
これにより、海岸側から見ると山を仰ぎ見るような風景に変わったのである。

では、想定を超える津波に襲われたらどうするのか。敷地内に水が流れ込んでも、原子炉建屋の中まで浸水しないように備えればよい。もし、建屋内に水が入り込むとすれば、それはいくつか窓のように開けられた、空気を取り入れるための給気口からとなるであろう。そのため建屋に沿ってさらに防潮壁や防潮板を設けた。

それでも建屋内が浸水したらどうするか。緊急時に炉心を冷やすための装置や非常用電源等の重要な機器のある区域を、分厚い水密扉を設置することで浸水から守ることにした。さらに、配管のつぎ目から水が入り込まないように配管貫通部の止水処理を強化した。

東京電力関係者は言う。
「ひとつ手立てを講じて、それがダメだったら次にどう防げばよいか。そういう発想で安全対策を考えていった」
浸水対策を講じただけではない。以下にその施策を列挙してみる。

全電源を喪失したらどうするか

浸水あるいは他の理由で、万が一、電源が喪失した場合、どうすればよいのか。福島第一原発事故では、電源喪失により原子炉を冷却する手段を失った。なんとか電源を確保しなければならない。
その対策として、ただちに電源供給が可能となるようガスタービン発電機を備えた車両4セットと配電盤を高台に設置することにした。それに加えて、移動可能な電源車20台を常時配備している。

福島第一原発事故では、自衛隊のヘリが上空から原子炉建屋に散水している映像を記憶されている方は多いだろう。原子炉を冷却する最後の手段は、とにかく大量に注水するしかない。そこで敷地内に2万m3の淡水貯水池を設け、消防のポンプ車42台を置くなどした。また、電源がなくなっても、原子炉の蒸気の力で注水冷却可能となるポンプを設置している。

柏崎刈羽原発で行われた放水訓練(共同)
柏崎刈羽原発で行われた放水訓練(共同)

ここから先は、最悪の事態になった場合の対策である。
これまで述べてきた手段でも原子炉を冷却できず、いよいよ炉心損傷が起こり、放射性物質が外に漏れるような危機に陥ったとき、どうするか。福島第一原発では、建屋内の水素の滞留により爆破が起こったが、これには水素と酸素を結合させて水素濃度の上昇を抑える設備をあらたに設置して対処する。さらに、万が一、炉心損傷が起こり、放射性物資が格納容器内に漏れたとしても、そのまま建屋外に拡散しないように、その濃度を低減させる「フィルタベント装置」も設置した。

こうした安全対策は、2013年7月に見直された新規制基準に基づいている。それは「世界一厳しい基準」といわれているが、新基準では地震と津波に対する従来の基準が大幅に強化され、あらたに「意図的な航空機衝突への対応」などテロ対策まで盛り込まれている。
そして、7号機に関しては、昨年10月に国の審査が終了し、安全対策上の種々の工事は、今年1月にほぼ完成した。現場の感覚としては「やれるだけのことはやった」、あとは再稼働にむけて、「地元同意」を得られるかどうかという段階になっているのだ。

「雇用の創出と収入増」に「苦渋の決断」

そこで、再稼働が認められるためには、立地自治体の同意が必要である。
昨年11月、東日本大震災で被災した東北電力の女川原発2号機の再稼働につて、地元宮城県の村井嘉浩県知事は、関係する女川町と石巻市の首長との三者会談を経て、「地元同意」を表明した。被災した地域の原発再稼働に地元が同意したのは初めてのことである。
同意表明した理由について、村井知事はそのときの記者会見で、「発電所が稼働することで雇用の創出が見込まれるほか、立地自治体は固定資産税や核燃料税の収入増も期待される」と述べたが、「苦渋の決断だった」とも付け加えている。

地元にとって経済的な事情は無視できない。
柏崎刈羽原発の場合はどうか。
発電所で働く約6300人の従業員(東電と協力企業の合計、2021年1月1日現在)のうち、ざっと3500人が柏崎市と刈羽村の地元在住者である。これは現場で働く人の数であり、家族がいることを考えあわせると、その2~4倍の地元の人々が発電所のおかげで生活していることになる。

立地自治体の収入の面ではどうか。原発の所在地には、いくつかの交付金が支給される。それは、①電源三法交付金②原子力発電施設立地市町村振興交付金(県核燃料税)③使用済み核燃料税などである。
他に、固定資産税や法人市民税等も柏崎市と刈羽村の歳入になる。
こうした収入は、どのくらい市や村の財源に貢献しているのだろうか。

柏崎市の場合には、①から③の合計で約34億円の交付金がある。これに固定資産税、法人市民税を加えると、一般会計歳入531億円のうち、約15%にあたる80億円が原発関連の歳入となる(2018年度)。
刈羽村では①と②の合計で約13億円、これに固定資産税、法人市民税を加えると、村の歳入58億円のうち約50%にあたる29億円が原発関連の歳入となっている(2018年度)。とすれば、市と村の財源は、かなりの額を原発に依存しているといえるだろう。

そもそも柏崎刈羽原発は、1969年(昭和44)に柏崎市と刈羽村とで誘致を決議し、1978年(昭和53)12月に1号機の建設が着工された。1985年(昭和60)9月に1号機の営業運転が開始され、1997年(平成8)7月に7号機の営業運転が開始されたことで、現在の7機体制が確立された。その後、中越沖地震による火災などで一部の原発の稼働が停止となり、2011年3月の東日本大震災ですべての原発が止まった。
工事着工からざっと40年以上となり、その間、稼働の有無にかかわらず、原発によって生まれる収入は、地元経済にしっかりと組み込まれているのである。

柏崎市の人口は、2010年に約9万人だったが、2020年には約8万1千人に減少し、住民の高齢化、過疎化に歯止めはかかっていない。刈羽村も同様である。
柏崎駅前の商店街は、ご多分に漏れずシャッター街になっており、繁華街にある料飲食店はこのコロナ渦もあり、閑古鳥が鳴いている。
今日の経済的な苦境を考えたとき、雇用の創出と歳入の確保といった点では、再稼働に同意した女川原発の地元の事情と、状況は似ているといえるのではないだろうか。

投入された安全対策費は約1.2兆円

ならば、柏崎刈羽原発の「地元同意」は得られるのか。その見通しはどうか。

昨年11月に行われた柏崎市長選では、再稼働推進派の現職市長が反対派の新顔を大差で破り、再選を果たした。市議会では推進派の市議が多数を占める。同時期に行われた刈羽村長選でも推進派の現職が6期当選を果たし、村議の大半も推進派だ。

柏崎刈羽原発を巡る経過

2007年7月 新潟県中越沖地震。運転・起動中の4基が緊急停止
2011年3月 東日本大震災、東京電力福島第1原発事故
2013年9月 東電が6、7号機の再稼働に向け原子力規制委員会に審査申請
2016年11月 桜井雅浩氏が柏崎市長選で初当選
2017年6月 桜井市長が6、7号機再稼働容認の条件として1~5号機いずれかの廃炉計画提示を東電に求める意向
2017年12月 6、7号機が規制委の審査に合格
2018年2月 第1原発事故を検証する新潟県の委員会が報告書を2~3年後に公表する方針示す
2018年6月 新潟県知事選で花角英世知事が初当選。「検証結果が示されない限り再稼働の議論は始められない」と表明
2019年8月 東電が桜井市長に「6、7号機の再稼働後5年以内に、1基以上の廃炉も想定する」と回答
2020年10月 規制委による7号機再稼働に向けた一連の審査が終了。地元同意の行方が今後の焦点に

出典:共同通信

ただし、新潟県は慎重姿勢を崩していない。県は、独自に原発事故の検証委員会を設けており、その検証作業が終わらない限り、再稼働の議論はしないとしている。

とはいえ、地元政界通によれば、
「検証委員会で原発に否定的な意見が出ない限り、花角英世知事は再稼働を容認するとみられている。知事の任期は22年6月。政府・自民党としては、結論を先延ばしにして、再稼働の可否を知事選の争点とはしたくないので、今年中に目途をつけたいと考えている」

政府にとって柏崎刈羽原発の再稼働は規定路線になっている。
なぜなら、政府は将来のエネルギー供給源として、原子力発電を3割と見込んでいる。CO2の削減のためには、火力発電を減らし、再生可能エネルギーの比率を高めるしかないが、電力の安定供給にはほど遠いのが現実で、削減の目標達成のためには発電時にCO2が発生しない既存の原発を再稼働させるしかない。

これまでに、柏崎刈羽原発の安全対策には約1兆2000億円もの巨費が投じられてきた。
先に、現地の安全対策について縷々説明したが、「これで確かに安全だ」と言えるのかどうか。新規制基準に基づく東京電力の取り組みを見る限りでは、考えられる様々な危機的状況を想定し、可能な限り対策を講じているように思える。
建前からいえば、他国の原発と比較しても、世界一厳しい新規制基準をクリアした原発を再稼働しない理由は見当たらない。しかし、である。われわれは想定外の事態を経験しているだけに、私自身も、ただちに「安全安心」とはなかなか断言しづらいのである。

そんな中、同原発の東電社員が、他人のIDを不正に使って中央制御室など重要施設内に入っていた不祥事が発覚した。これは安全対策上、重大な疑念が残るといわざるをえない。誰かに成りすまして侵入することが可能なのか?
大事故の原因となるのは、自然災害に限らず、怠慢、誤認、誤作動という「ヒューマンエラー」であることが多いのだ。設備装備のハード面を強化するだけでは「安全安心」とはならない。

それでも、政府の方針として再稼働に向けてのスケジュールは、着々と進んでいる。その現実を、われわれは認識し、これから先、原発とどう向き合っていくのかを考えなければならない。

バナー写真:柏崎刈羽原発7号機(左)と6号機(右)=共同

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