論考:東京五輪の課題

橋本聖子氏は日本の「セバスチャン・コー」になれるのか:東京五輪の課題(9)

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女性蔑視発言で辞任した東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長に代わり、橋本聖子氏が新会長に就任した。スピードスケートと自転車で五輪に計7回出場し、国会議員としても25年以上のキャリアを持つ橋本氏。同様の経歴で思い出されるのは、組織委会長として2012年ロンドン大会を成功に導いたセバスチャン・コー氏(英国)だ。通称「セブ・コー」のように、橋本氏は難局が続く東京大会を背負っていけるだろうか。

五輪憲章が求める「政治的中立」

2月18日の就任記者会見で、橋本氏にはこんな質問が飛んだ。

「閣僚は辞任したが、議員辞職はしないのか。スポーツと政治の距離感についてどう考えているのか」

国務大臣は公益法人の役員を務めることはできないという「大臣規範」がある。このため、橋本氏は五輪担当相を辞任し、後任に丸川珠代氏が就いた。その流れで「スポーツと政治」という問題を記者が改めて問い掛けたのだ。

橋本氏は「議員を辞職せずに会長になることは、国際オリンピック委員会(IOC)などにも認められている。(スポーツと政治の距離感については)疑念を持たれないよう行動する。国に左右されず、経験を生かして会長として何をやるべきか理解しているつもりだ」と答えた。

元首相である森氏を「政治の師」と呼び、互いに「父」「娘」と表現する間柄がクローズアップされた。このため、森氏が辞任後も影響力を残すのではないか、という見方は根強い。橋本氏が政権の意のままに操られるとの厳しい指摘もあり、野党議員からは「自民党議員の立場では五輪憲章に反する」との批判も出た。

五輪憲章には、IOCの使命と役割として、「オリンピック・ムーブメントの結束を強め、その主体性を守り、政治的中立を維持するとともに促進し、スポーツの自律性を保護するために行動する」と明記されている。オリンピック・ムーブメントとは、五輪の精神を世界に広める運動のことであり、「五輪運動」と訳される。

組織委会長にも「政治的中立」が求められる。これを守らず、政治的に偏った言動をすれば、トラブルの種になりかねない。橋本氏は結局、国会議員は辞職しないものの、自民党を離党する判断を強いられた。

モスクワ五輪に独自参加した英国の選手たち

スポーツと政治を語るうえで欠かせないのが、1980年モスクワ五輪だ。東西冷静下、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議した米国のカーター大統領が西側諸国に不参加を呼び掛け、日本や分断国家の韓国、西ドイツ(当時)などが同調した。

その中で英国の選手たちは政府の意向に反して、大会に独自参加する道を選び、開会式や表彰式では五輪旗を掲げた。その中にいたのが、陸上競技の中距離選手、セバスチャン・コー氏だった。

ロサンゼルス五輪陸上男子1500m決勝で先頭を走るセバスチャン・コー。モスクワ五輪に続き同種目2連覇を果たした(1984年8月11日) 時事通信フォト
ロサンゼルス五輪陸上男子1500m決勝で先頭を走るセバスチャン・コー。モスクワ五輪に続き同種目2連覇を果たした(1984年8月11日) 時事通信フォト

コー氏は1500mで金メダルを獲得し、800mでも銀メダルを手にした。政府の反対を押し切って参加した当時の気持ちを、伝記『ザ・チャンピオン  セバスチャン・コー物語』(1983年、ベースボール・マガジン社)の中でこう振り返っている。

「政府はスポーツ会議などのスポーツ関係者と相談もせず、さらに国際スポーツに対する知識も持たずに、突然外交官を(IOC本部のある)ローザンヌに派遣して、代替開催について話し合いを行いました。これは侮辱だと思います。(中略)政府の態度はただ政治的なだけなのでしょう。保守も革新も政治にスポーツを利用してもらいたくないと思います」

コー氏は現役を退いた後、92年から英国・保守党の下院議員、2000年には「一代貴族」の爵位を与えられ、貴族院にあたる上院議員となった。一方でロンドン大会の組織委会長を務め、今は世界陸連会長、IOC委員を歴任している。スポーツと政治の境界線を常に歩いてきたのだ。

伝記の最終章は「アスリートの自由を」である。コー氏は政治だけでなく、商業主義との関係にも触れた後、こんな言葉を書き残している。

「あらゆるスポーツにおいて、私たちは基本的な自己決定とかスポーツマンシップといったものを守っていかなければなりません。ボルテール(1694~1778年、フランスの作家で哲学者)も言っているように、自由であるためにはつねに用心が必要なのです」

モスクワ五輪では、英国だけでなく、フランスやスペイン、イタリア、オーストラリアなどが西側諸国でありながらも参加の道を選び、スポーツ界の自律性を守り抜いた。

オリンピアンで唯一のノーベル平和賞

五輪出場経験のある政治家として、コー氏の「先輩」にあたる英国人も紹介したい。モスクワ五輪から歴史をさかのぼること60年。1920年にベルギーで開かれたアントワープ五輪の陸上男子1500mで銀メダルを獲得し、引退後は政治家として反核・軍縮活動を推進したフィリップ・ノエルベーカー氏だ。長い五輪の歴史上、ノーベル平和賞を受賞した唯一のオリンピアン(五輪出場経験者)として知られる。

ヒトラー率いるナチスドイツが開催した36年のベルリン五輪当時、ノエルベーカー氏は英国オリンピック委員会の役員だった。しかし、ユダヤ人の競技者がドイツ代表に加われないことなどに対して反対運動を展開し、大会には参加しなかった。この時すでに英国・労働党の議員でもあったが、ナチス政権によって差別が生じ、平等に参加の道が開かれないベルリン五輪に強く抗議したのだ。

第二次世界大戦前から一貫して軍縮活動に携わり、59年にノーベル平和賞を受賞した。亡くなる2年前にはモスクワ五輪を視察し、日本にも立ち寄って原水爆禁止の世界大会にも出席した。

「この核の時代に、人類にとって最大の希望は、オリンピックが存在することである。オリンピックこそは史上最大の平和運動である」が口癖だったという。

国家間や民族、宗教などあらゆるカベを超越して、五輪は平和な世界を実現できる。そんな思想と信念を持ち続けた。82年に92歳でこの世を去ったが、反核軍縮運動と五輪運動を通じ、世界の平和を追い求めた生涯だった。

五輪運動への賛同を得ることが仕事

橋本氏は自著『オリンピック魂 人間力を高める』(2013年、共同通信社)の中で、自身のスポーツ観、五輪観を次のように記した。

「スポーツは自発的運動の楽しみを基調としていますが、『するスポーツ』のみならず、『見るスポーツ』、『支えるスポーツ』も、その楽しみ方の一つであり、人類共通の文化です。オリンピックは『世界の文化交流』そのものといえるでしょう」

この言葉を実践するのであれば、東京大会を決して日本の国力を示す場にしてはならない。国威発揚や経済成長をメリットに挙げる政治家も多いが、五輪は本来、そのような目的のために開催するものではない。

安倍晋三前首相は招致段階から「東日本大震災からの復興を世界に示す」と訴え、菅義偉首相は「新型コロナウイルスに打ち勝った証しとして開催する」と強調している。いずれも社会の現実とはかけ離れた感覚といえる。都合よく五輪を結びつけ、政治利用していると言われても仕方がない。

五輪は本来、コー氏の言う「アスリートの自由」を尊重し、ノエルベーカー氏が求めた理想のように、分け隔てなく人類をつなぐ役割を果たすものでなければならない。

新型コロナウイルスの感染が収束しない中で、何が何でも大会を開催するという強引な姿勢では社会の理解は得られない。コロナ下で国民や世界の人々が五輪やパラリンピックに何を望んでいるかをつかみ、五輪運動に多くの賛同を得る必要がある。それが組織委会長の仕事のはずだ。

橋本氏の役割は東京大会だけでは終わらないだろう。2030年冬季五輪・パラリンピックには札幌が立候補を表明している。北海道出身の政治家兼元冬季五輪選手として、招致でも主要な立場に就く可能性が高いとみられる。新幹線の札幌延伸や外国人観光客の誘致など、北海道経済の活性化も関係してくる。政財界の思惑が渦巻くが、そうであっても本質を見失わないことだ。

五輪が巨大イベントになればなるほど、政治の関与は強まり、逆に世の中の厳しい声は高まる。スポーツと政治の世界を知る橋本氏には、政界の顔色をうかがうのではなく、社会に目を向け、五輪の価値を発信し続ける真摯(しんし)な努力が求められる。

バナー写真:イギリス・ウェールズ最高峰の山頂で採火されたロンドン・パラリンピックの聖火(火だね)が入ったランタンを手にするセバスチャン・コー組織委員会会長(左から4人目)ら(2012年8月22日、ロンドン・パラリンピック組織委員会提供)AFP=時事

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